カイト山
先週、マムシ岳に登ったとき、十石(じっこく)峠に連なるなだらかな山稜から頭一つ抜きん出て、頂稜に岩場を配したカイト山が目を引いた。次はあの山に登ってみたい。
2020-11-28追記:山名について、『薮岩魂』ではカイト山〔白板山〕、『上野村誌 上野村の自然 地形・地質・気象』では白板(しらいた)山〔皆戸(かいと)山〕と称している。〔…〕は別名。
通常ならば、カイト山は林道矢弓沢線を利用して車で頂上近くまでアプローチでき、小一時間の歩程で登れる。しかし、昨年の台風19号の被害により、林道矢弓沢線は全線通行止となっているため、現状では(幸か不幸か)安直には登頂できない山となっている。
(林道矢弓沢線のみならず、十石峠越えのR299、ぶどう峠越えの県道上野小海線も通行止で、上野村から信州へ抜ける道は全滅中である。)
山と高原地図「西上州」を見ると、カイト山の東に林道矢弓沢線とほぼ並行して、旧十石峠道と記された赤線(登山コース)が記載されている。ネットで調べると上野村HPにコースの説明があり、関所跡や道祖神など歴史を感じさせるものがあるとのこと。これは面白そうだ。このコースを経てカイト山に登れば、歩き応えも増して日帰りの山歩きにちょうど良さそう。という訳で、三連休の中日に出かけてきました。
桐生を早朝、車で出発。先週と同じく上野村に入り、今回は上野村ふれあい館の駐車場に車を置く。広い駐車場は関東一円のナンバーの車で8割方埋まっており、私を除く(多分)全員が釣り師だ。何事かと思ったら、10/23から来年2/21まで神流川に冬季釣り場が開設され、ハコスチやニジマスが釣れるらしい。ただし、C&Rが義務で釣った魚は持ち帰れない。ふれあい館が8:30に営業を始めると、釣り師が列をなして釣り券を求めていた。
ふれあい館を出発、R299の楢原橋で神流川を渡る。眼下の広い河原には、早くも釣り師の姿が点々と見える。すぐに左折して県道上野小海線に入り、レトロな雰囲気のある砥根平橋で神流川支流の黒川を渡る。
幅の狭い県道をしばらく進み、「白井入口」の道標に従って右に分岐する急坂を登る。急勾配の車道を大きくジグザグを切って上ると、山上の陽当たりの良い緩斜面に出て、多数の民家が軒を並べる白井(しろい)集落に入る。
集落内の路地を進むと風化した石祠があり、上野村が設置した「白井の市神様」の説明板がある。それによると、十石峠の名は、信州から一日十石(約1.5t)の米が馬で運ばれたことに由来する。白井では毎月計7日の市が開かれ、上州、武州、信州から商人が集まり、信州からは味噌、醬油、衣類、日用品、上州からは木炭、木鉢、下駄、和紙、薬草、栗の実、繭など、各地の物産が集まり交易が行われた。米問屋7軒をはじめ、宿屋、酒屋、質屋、飲食店など多くの商店があり、明治の中頃まで栄えていた。また、江戸幕府は中山道の脇往還を取り締まるため、寛永八(1631)年に関所を設置したが、明治二(1869)年に廃止された、とのこと。現在も奥地の山上とは思えない数の民家が建ち並び、かつての繁栄を偲ぶことができる。
集落の中央に広場があり、休憩所やWC、訪問者用の駐車スペースがある。ここにある案内看板の絵地図で進路を確認し、旧十石街道に入る。集落から少し外れると脇に水上神社があり、立ち寄ってみる。かつて信濃国から峠を越えて白井宿で休んだ安閑(あんかん)天皇を祭神とするとのこと。集落内にも安閑天皇の御座石と呼ばれる遺跡がある。
後日調べると、安閑天皇は日本書紀に記述されているような伝説上の人物だ。そんな人が何故、上野村に?訳がありそうで、ちょっと興味を惹かれる。
旧峠道は山腹をトラバースしてほぼ平坦につけられている。落ち葉に深く埋もれているが、道型はしっかりしている。緩く右にカーブして行くと急斜面のトラバース道となり、岩を削り谷に石垣を積んで道が整備されている。
岩尾根の切通しを抜けると、道端に大小二体の馬頭観音像がある。風化が進んで銘は掠れているが、大きい方には文化の文字が見える。江戸時代後期の往来を偲ばせるものだ。左側の斜面は急峻で、深い谷を隔てて対岸の山を仰ぐ。
ところどころに黄色標柱が立ち、送電線巡視路が分岐する。かつて米を運んだ峠道は、現代では電力供給を守る道として利用されている。少し先の岩の割れ目には、一体の馬頭観音が落ち葉に埋もれている。
トラバース道を進むと、いつの間にか左側の沢床が近づいていて、杉木立を透かして渓流や砂防堰堤、林道を間近に見おろす。やがて、旧峠道も沢に降りて、河原の端を進む。
渓流に沿って進むと谷が狭まり、傾斜が増して二股に着く。右股の導水管の先で沢を渡るが、水害のため道型が消失し、荒れている。
左右の沢に挟まれた尾根を絡んでジグザグに登り、左股の沢沿いに進む。斜面が崩落し、道型が断ち切られた個所があり、気をつけて崩落斜面を横断する。
杉林の中に入ると明瞭な道型がある。徐々に高度を上げて雑木林に入り、水流に近づくと、右手の斜面が大規模に崩落した箇所に着く。樹木を巻き込んで深く抉れ、地滑りと言って良い。堆積した土砂を登って、道型に復帰する。
すぐ上が林道矢弓沢線で、ここで旧峠道は終点となる。この地点には道標の類はない。旧峠道コースの前半は、かつての峠道の雰囲気が残り、歴史を感じさせるものであったが、後半は水害で道が荒れて整備の手が入っておらず、ハイキング向きとは言えない(私にとってはそれもまた楽しめたが ^^)。
ここからは林道矢弓沢線を歩く。大規模土砂崩れの上端は林道のカーブに達し、道路を完全に断ち切っている。ここは復旧工事が進み、カーブをショートカットして臨時の通路ができている。
林道はカイト山の南尾根の斜面を大きくジグザグを切って登る。途中、林道の側に送電線の矩形鉄塔が建つ。なかなかレトロな雰囲気のある鉄塔だ。送電線の周辺は樹林が切り開かれているので、神流川左岸の山々の眺めも良い。
県道からカイト山の斜面を見上げると灰白色の岩壁がそそり立ち、その奥にカイト山の頂上が僅かに覗いているのが見える。振り返れば、天丸山や大山、両神山のギザギザの稜線が折り重なって眺められる。
雨量観測所(下久保ダム管理所三岐雨量局)を過ぎ、小さな尾根を越す地点に差し掛かると、カーブミラーの傍らに三体の石仏がある。いずれも風化が進んで、銘は読み取れない。
林道はここからカイト山の西面へまわり込む。木立の間からマムシ岳や御座山を望む。尾根への取り付き点を探して進むと、法面のコンクリート擁壁にステップが刻まれた個所があり、ここから尾根に上る。
尾根上は幅広くなだらかで、冬枯れの林に覆われて明るく、藪はない。
『薮岩魂』によると、この辺りに天保十一年の石仏がある、とのことだが見過ごした。あるとしたら地形図の破線路沿いで、尾根を少し下がったところかも。
尾根を緩く登ると、行く手に灰白色の岩壁を擁したカイト山の頂上稜線が見えてくる。「カイト山→」の道標を過ぎ、細く急になった尾根を登り詰める。
尾根を右に折れると岩稜が現れる。秩父の二子山の稜線に似て、石灰岩が溶食された岩場だ。岩稜に登って程なく、カイト山の頂上に着く。
頂上には三角点標石と山名標識がある。北面と南面は切れ落ちた岩壁で、東西に細長い岩稜となっている。岩稜の上は平坦で寛げる。そして、樹林で遮られる西方の一部を除いて、360度の大展望が開ける。
まず、東には赤久縄山の山群が芒洋として横たわり、その手前の笠丸山の岩峰と高反山の鋭鋒が目を引く。視線を右へ転ずると両神山、帳付山など上武国境稜線の山並みがギザギザのスカイラインを描く。
さらに神流川源流域を取り巻く山並みが続き、大蛇倉山を中心とする上信国境稜線、奥に一際高く聳える御座山、手前には最近登って印象が深い船坂山やマムシ岳を望む。
西の十石峠方面の眺めは、樹林に一部遮られる。中央の鋭い小ピークが1447m標高点とすると、天望山(1471m)はその右奥辺りか。
北には上野村と南牧村の境をなす稜線が横たわり、その奥には荒船山の経塚山や毛無岩の鋭鋒、妙義山、さらには遥か遠く浅間山の勇姿を望む。
平たい石の上に腰を下ろし、大展望を楽しみながら昼食にする。風は少し冷たいが、陽射しを全面に浴びていると暖かい。レトルト鯖味噌煮をつまみに缶ビール(小)を飲み、カップ麺の坦々麺を食べる。
頂上で1時間程過ごしたのち、下山にかかる。往路の尾根を下ると、左斜面のすぐ下に作業道が見えたので(頂上からも見えていた)、好奇心が湧いてそちらに下ってみる。しかし、枯れたイバラで引っ搔かれた上、林道の切土の段差が高くて、降りるのに苦労し、ちょっと後悔。林道の路面にもススキとイバラが繁茂し、今のところ、歩くのに差し支えはないが、今後はますます藪が深くなりそうだ。
作業道を下ると、三体の石仏のある地点で林道矢弓沢線に下り着く。林道をジグザグに下ると、カイト山の頂上が既にかなり高い所に見上げられる。下りは楽で早い。
往路で見たレトロな送電鉄塔を復路でも鑑賞。実は2本の送電線が並行して走っている。大規模崩壊の地点は、改めて上から覗き込むと地盤がごっそり抉れており、凄まじい。
下りは旧峠道に入らず、ずっと林道を辿る。1255m標高点の北面の谷には大きな岩峰が二つ立ち並び、林道からも仰ぐことができる。迫力があり、なんとか岩などの名があってもおかしくない。
林道の大きなカーブに差し掛かり、ごく緩い斜面の向こうに木立を透かして林道が見える。これはやはりショートカットするでしょう。
しかし、このほとんど平らな場所でアクシデント。枯れたヤマアジサイに足を取られ、踏み堪えようとした二の足も刈り取られてパッタリ転倒。ヤマアジサイに柔道技のような一本を取られる。下はフカフカの落ち葉なので大事はないが、脚が攣った上、どこでどう打ったのか、左胸の肋骨が痛い。
攣った脚を必死に伸ばしたのち、林道を下る。肋骨の方は歩くのに支障はないが、くしゃみをすると響く。林道は数箇所で路盤が完全に崩落しており、復旧工事中だ(今日は休日なので工事も休み)。
旧峠道が左手の近いところを並走する区間があり、旧峠道に入ることも可能だ。「起点から1.0Km」の標識の辺りから、林道は両岸が切り立った峡谷の間に入って行く。一方、旧峠道は険しい谷を避けて、左岸山腹の高いところをトラバースして行く。
やがて、林道矢弓沢線始点に着いて、神流川本流沿いの県道上野小海線に出る。あとは大きく蛇行する神流川に沿って県道を歩く。神流川の両岸も険しく、旧峠道が高巻いて付けられたのも宜なるかな。砥根平橋と楢原橋を渡り、上野村ふれあい館の駐車場に戻る。釣り師に加えて、ドライブの観光客やツーリングのバイク乗りも増えて、大いに賑わっている。この三連休は天気が良いので、観光地はどこも賑わっていそうだ。
帰りは先週に続いて浜平♨しおじの湯に立ち寄り、湯船にゆったり浸かって骨を休める。帰りの運転では、カーブでハンドルを回すたびに肋骨が痛み、油断を深く反省しつつ帰桐した(帰宅後は日が経つに連れて回復中)。