(点名)日向倉

天気:
メンバー:T
行程:境沢入口 7:40 …境沢峠 8:45〜8:50 …528m標高点 9:20〜9:25 …日向倉(695m) 10:20〜10:35 …鞍部 11:35 …水沢バス停 12:35 …境沢入口 13:10
ルート地図 GPSのログを地理院地図に重ねて表示します。

諸般の事情により、春分の日の三連休の山歩きは、最終日に日帰りの軽い行程で出かけることにする。行き先は、足尾山地の未踏のピークが良いなと考えて、石裂山の南東稜線上にある695m三角点峰(点名/点の記に記載の俗称:日向倉)を思いつく。

日向倉に登った山行記録は、ネット上にその筋の方のものがいくつかあり、いずれも石裂山〜三峰山を縦走する途中で山頂を踏んでいる。三峰山から431m三角点峰までは既に歩いたことがあるし(山行記録)、石裂山も登ったことがある。地形図で日向倉の東に記載されている点線県道の峠道も気になるので、今回は南麓の入粟野側からこの峠道を経て日向倉に登り、日向倉の西の破線路を下って周回する計画を立てて、出かけてきました。

桐生を車で出発し、R293、粟野川沿いの県道草久粟野線を走って、「境沢入口」の標識のある県道入粟野引田(280号)線の分岐付近の広い路側スペースに車を置く。少し先の路側には何台もの駐車が列をなし、何事かと思ったら、大勢の釣り師が粟野川に釣り糸を垂れている(後日調べると、3/1に渓流釣りが解禁され、ヤマメが放流されているらしい)。


境沢入口にて粟野川上流を眺める


県道入粟野引田(280号)線に入る

朝方の冷たい空気は残っているが、良く晴れて陽射しはポカポカと暖かく、今日はかなり気温が上がりそうだ。県道280号線に入り、ポツポツと民家のある山間の車道を緩く上がる。途中には六角形の青い標識が立ち、この道が確かに県道であることを示している。

やがて谷間の奥に、天辺に巨大な紅白鉄塔をおっ立てた日向倉が見えてくる。南向きの急な山肌には全面に陽が当たり、山名としても日向倉が相応しい。ここの集落の住人に伺えば、確実な山名が判明するだろう。表に出ている住民が居られれば話が伺えると思い、集落の奥まで行ってみたが、残念ながら誰も見かけなかった。


県道の路線標識


境沢集落から日向倉を仰ぐ

集落の奥から峠道の入口まで戻る。この地点には屋根が差し掛けられた2体の石仏と1基の石碑がある。中央の石仏は智拳印を結んでいるように見えるから大日如来かな。右の石碑には「日支事変 馬力神 昭和十四年 大貫新作建之」と刻まれている。


峠道(県道280号線)入口


峠道入口の大日如来像

ここから県道280号線の車両通行不能区間に入る。墓地の右脇を通り、小渓流に沿って杉林の中の山道を緩く登る。最初は比較的良く踏まれた道だが、やがて水流が消え、踏み跡が怪しくなる。荒れた作業道が現れたので、そちらに乗り換えて、大きくジグザグに登る。稜線が見えてきたので、作業道から外れて杉林の急斜面を強引に登り、平坦な稜線の上に出る。GPSで現在位置を確認すると、破線路からだいぶ右(南)に外れた稜線に登り着いていた。稜線を左(北)に辿ると点線県道の峠(きりんこさんによると境沢峠と呼ぶらしい)に着く。

峠には3基の石碑が互いに少し離れて建つ。石碑の1つは日月の紋様のある萬延年間の庚申塔で、「上久我村境澤住 幼名房吉 改而大貫忠右ヱ門」と刻まれているようだ。二つ目の庚申塔には「寛政十一己未稔(1799年)九月」「講中九人」とあり、最後の石碑は何とか「寛文三癸卯(1663)年」の文字が読み取れる。

峠道は丈の低い笹に覆われているが、微かに道型が残っている。境沢側の道を辿って見ると少し先で掘割道となり、往時の往来が偲ばれる。稜線直下には作業道が通じ、多分、登りで一時辿った作業道の続きと思われる。


峠道(県道280号線)を登る


境沢峠の庚申塔
萬延元庚申(1860)年十月吉日

峠から稜線を辿る。杉植林帯に覆われて、藪はない。薄い踏み跡が続く。所々で右(東)側の樹林が切れて、粟野の三峰山や二股山、鶏鳴山辺りの山々が眺められる。


杉植林帯の稜線を辿る


三峰山を望む

短い急坂を一段上がると送電鉄塔に着く。境沢側から送電線巡視路が上がって来て、この先の稜線上にしばらく通じている。


送電鉄塔の下を通過


杉植林帯の稜線が続く

いつの間にか巡視路と分かれ、杉植林帯の稜線を登る。露岩の多い急坂となり、登り切ると528m標高点の頂上に着く。ここには大きな石祠があり、中には右手に錫杖、左手に宝珠を携えた地蔵菩薩が御座す。石祠の側面には「別當 正泉寺」と刻まれている(後日調べると、正泉寺は上久我にある寺らしい)。先人の山行記録によると、石祠の前には木の鳥居があったようだが、倒壊したらしく、今は見当たらない。


528m標高点直下の急登


528m標高点の石祠

528m標高点から急坂を下り、相変わらず杉林の稜線を辿る。左斜面は若い植林帯となり、陽当たりの良い場所には灌木藪が繁って少々煩わしい。行く手にはだいぶ近づいて紅白鉄塔を仰ぐ。右斜面は伐採地となり、稜線直下まで作業道が通じている。やがて、地形図の等高線の詰まり具合の通り、急斜面の長い登りに差し掛かる。最後はけもの道を利用してジグザグに登り、頂上稜線の一角で石祠のあるピークに着く。


528m標高点から急坂を下る


日向倉頂上の紅白鉄塔を仰ぐ


頂上稜線に向かって急登


登り着いたピークの石祠

ピークの右(北)から送電線巡視路が通じていて、「南いわき幹線278号に至る」との黄色標柱がある。稜線を緩く下り、巡視路のプラ階段を登ると、樹林が切り開かれて開けた平地に巨大な紅白鉄塔が建つ日向倉頂上に着く。


日向倉へ向かう


日向倉頂上

三角点標石は鉄塔基部の傍らにある。山名標識が見当たらないと思ったら、鉄塔の陰に隠れてあった。なお、鉄塔の銘板によると、この鉄塔(南いわき幹線279号)は1996年5月製で、高さは117mである(ちなみに鳴蟲山の紅白鉄塔は132m)。


日向倉の三角点標石


山名(点名)標識はここに

送電鉄塔に占拠された頂上なので、趣きがやや削がれるのは否めないが、明るく開けているので居心地は悪くない。展望は東面に開け、三峰山(粟野)から谷倉山、三峰山(星野) にかけての山並を遠望する。


日向倉から三峰山を望む


谷倉山(左)と三峰山を望む

まだ10時半で昼食には早いので、水を飲んで休憩したのち、先に進む。巡視路のプラ階段を下って行くと、稜線の右側は大規模に伐採された斜面となる。行く手のピークとの間は小ギャップとなり、短い急坂を下る。最低鞍部付近の岩場の上には屋根が失われた石祠がある。塔身には「上久我村 鉄炮連」「明治十六(1883)年未十月廿五日」と刻まれている。


西へ稜線を下る


鞍部手前の石祠

鞍部からの登り返しは岩場混じりの急斜面となる。難場という程のことはなく、変化が付いてちょっと楽しい。登り上げた地点で左折するのがルートだが、右手の僅か先の高みは広大な伐採地に面して眺めの良い展望地になっているので、立ち寄ってみる。


鞍部から急坂を登り返す


展望地に立ち寄る

展望地からは、北に鳴蟲山、その奥に鶏鳴山と羽賀場山を望む。振り返れば日向倉の紅白鉄塔が存在感を放っている。


鳴蟲山と鶏鳴山(左奥)を望む


日向倉を望む

展望地から戻り、杉林に覆われた幅広くなだらかな稜線を下る。枝打ちされた杉の枝葉が地面を覆い、歩くのに大きな差し障りはないが、弓のように反った枝の一端を踏むと他端が跳ね上がって手や顔を打つことがあるので(と言うか打たれた^^;)注意。

木立の間から、稜線左脇の送電鉄塔(南いわき幹線280号)が見える。境沢の集落を俯瞰する眺めが得られるかな、と思って鉄塔に立ち寄ってみたが、杉木立に遮られて期待した展望は得られなかった。


広くなだらかな稜線を下る


稜線脇の送電鉄塔から南面の眺め

さらに稜線を辿り、地形図の破線路が越える鞍部に着く。峠道の痕跡はほとんどない。鞍部から南側の杉林の斜面を下る。作業道を横断し、けもの道を利用して下って行くと左(東)に寄り過ぎたので進路を修正。520m圏の小鞍部に着く。ここから小さな窪の中を下る。地形図で破線が記載されている場所だが、道型は見当たらない。


この鞍部から左(南)に下る


小鞍部から小さな窪を下る

水のない窪を緩く下って行くと、徐々に谷が深くなり、右岸から小滝で落ちる水流を合わせる。さらに右岸から沢を合わせると、対岸の伐採地に荒れて藪っぽい作業道が現れる。


右岸の小滝(2段4m)


右岸から沢を合わせる

だんだん水量を増した渓流に沿って、作業道を下って行く。昨年の台風の被害か、あちこちで作業道が浸食・分断されている。車両による通行は全く出来なくなっており、林業への被害が大きそうだ。徒歩による通行は全く問題ない。正午を回ってすっかり春の陽気に包まれ、道端の水溜りでは親蛙に見守られて大勢のオタマジャクシが孵化している。


水害で分断された作業道を下る


水溜りにカエルの親子

作業道を下り、人家が現れると程なく県道草久粟野線に出る。ここにはリーバスの水沢バス停がある。バスの便(JR鹿沼駅〜上五月つつじの湯)は朝夕で計2往復しかないから、この時間帯は利用できない。


水沢バス停


栗野川の清流

あとは粟野川の清流や釣り師を眺めながら車道を歩いて、駐車地点まで戻る。途中、道端に「三十丁目」の標石がある。説明板によると、賀蘇山神社への道標として設置されたものらしい。この後も「三十二丁目」「三十五丁目」「四十一丁目」の石碑がある。57本建立されたと記録されている丁石のうち、10本が残存しているとのこと。駐車地点に戻ると、この周辺の釣り師は別の場所に移動したのか、他の駐車はなくなっていた。


三十丁目の標石


境沢入口に帰着

山中では昼食を摂らず、早めに下山したので、蕎麦処で蕎麦を食べて帰ることにする。しかし、立ち寄った蕎麦処はどこも長い待ち行列ができているか、売り切れで営業が終了している。(私も同じなので人の事は言えないが^^;)COVID-19も何のその、行楽の人出が多いようだ。ようやく、R293沿いのばんどう太郎で坂東肉そばを食べたのち、帰桐した。