陣場平山・茶臼山
9月21日〜23日の3連休は戸倉上山田(とぐらかみやまだ)温泉に宿泊し、長野市内の里山で軽い山歩きを楽しんできました。
初日の21日は桐生を車で発ち、新幹線で来たS&SをJR上田駅でピックアップ。別所温泉近くの蕎麦処で昼食を食べながら、今日のこれからの予定を相談する。天気が良くないので、山歩きはなし。ドライブで美ヶ原に上がって芸術鑑賞にしよう、ということで、美ヶ原高原美術館に向かう。
県道美ヶ原公園沖線を走り、山間に入って急な山腹を九十九折りで登る。登るにつれて霧と雨が強まり、前がよく見えない。濃霧と霧雨の中、標高約2000mの美ヶ原高原美術館に到着。こんな悪天でもお客さんはそこそこ来ている。入館料は1000円。館内の展示を見た後、美術館備え付けの傘をさして、外の展示を見に行く。そう、この美術館は野外展示の現代彫刻がメインなのである。草斜面に配置された彫刻を鑑賞しつつ、歩道を歩く。さすがに高山で長時間、風に吹かれていると寒く、あまりじっくりとは見られない。
彫刻を一通り鑑賞したのち、山を下って宿に向かう。戸倉上山田温泉に泊まるのは2回目だ(前回の山行記録)。今回の宿は遊子千曲館。すっかり体が冷えたので、すぐに温泉に入って、ゆっくり温まった。
陣場平山
2日目は長野市HPの「トレッキングコースのご案内」の「七二会陣場平トレッキングコース」を参考にして、西部山地の陣場平山に登る計画を立てる。
9時過ぎに宿を車で出発。犀川に沿ってR19を走り、瀬脇交差点を左折。県道戸隠篠ノ井線に入り、緩急が複雑に混じった階段状の斜面に集落が点在する七二会(なにあい)の山村を縫うように上がる。最奥の集落から急峻な山腹を大きくジグザグに上がると、陣場平山の西の地蔵峠に登り着く。広い駐車場があり、ここに車を置く。簡易WCやトレッキングコース案内板、長野市HPのものと同じトレッキングマップを置いたポストもある。
峠の脇には「官有地下戻記念碑」の立派な石碑がある。説明板によると、明治政府による地租改正で、それまで周辺十ヶ村の住民が自由に利用していた入会地が官有地となり、立入禁止となった。驚いた関係村内の住民から、官有地の下戻しの運動が湧き起こった。明治32年に国有土地森林原野下戻法が発布され、明治36年にようやく官有原野下戻しが許可された。この碑は、関係する村の団結と下戻し運動を後世に伝えるため、明治39年に建立された、とのこと。地租改正は日本史で習ったが、内容はさっぱり覚えていない。後日調べると、同様の騒動は日本全国で起こったらしい。
東に延びる林道陣場平線から、すぐに右に分かれる未舗装道に入る。低い雑草に覆われた道を進むと、ほとんど登りらしい登りがないまま、陣場平山の頂上に着く。
頂上は樹林に囲まれ、展望は全くない。草地の中央に一等三角点標石が鎮座する。説明板によると、この標石は上面中央に「矢羽根の付いた+」が刻まれ、全国的に珍しいものだそうだ。確かによく見ると+の四端にV字型の切れ込みがある。
頂上から、さらに幅広く平坦な道を辿る。あまり踏まれていなくて、ますます低い草が蔓延る。程なく左(北)側が開けた小平地に出る。曇天で霞んでいるが、戸隠山から飯綱山にかけての山々が視認できる。トレッキングマップによると、この平地にはかつて山の家があったそうだが、利用者減のため、現在は建屋の一部だけが残っている、とのこと。
山の家から北側の林道に降りて地蔵峠に戻ることもできるようだが、この先にあるという神社に興味があるので、さらに尾根上を進む。東屋を過ぎて少し下り、鞍部から急坂を登り返すと、立派な木の鳥居が現れる。鳥居の先は平坦な尾根の上に杉の大木が並木をなし、神さびた雰囲気がある。
紙垂の下がる鳥居を潜り、杉並木を通る。途中に展望板があり、善光寺平を流れる千曲川が俯瞰できる。杉並木の奥の頂に葭雰(よしきり)神社がある。石垣に囲まれた覆屋の中には奉納幕と沢山の陶器のお稲荷さんがあり、その奥に木の祠が祀られる。この神社は飯綱神社の前宮と伝えられ、保食神(五穀の神)を祀るとのこと。覆屋の屋根には積もった杉の葉を土壌に草葉が茂っている。風情があるが、屋根が痛みそうでちょっと心配だ。
神社の裏手から右へ進むと大小3基の石碑が建つ。これらの碑は、入会地の境界をめぐる村と村の争いで松代藩に直訴した咎により処刑された村民の遺徳を偲ぶために、相手方に向けて建立したもの、とのこと。地蔵峠の碑が村と村の団結を記念するものに対して、こちらは主旨が逆だ。陣場平山の歴史の一端を示していて、いずれの石碑も興味深い。
この先は「犬戻りの坂」と呼ばれる急坂を下る。木の階段が整備されているので、特に問題はなし。
展望に乏しい稜線歩きだが、この辺りで北側に鬼無里の荒倉山(1432m)が見える。鬼女紅葉伝説で知られ、一度は訪れてみたい山だ。
稜線の左側のすぐ下を通る林道を横目に緩く登ると、東屋の建つ小ピークに着く。ここは朝日城跡と言われる場所だが、特に城の遺構は見当たらない。丸太のベンチにちょっと腰掛け、パンを齧って腹に入れる。この東屋の屋根も雑草が繁茂し、大きなシダまで生えている。
東屋から緩く下ると坪根峠に着き、林道陣場平線に∩字カーブの所で出る。下り着く手前には「富蔵山觀世音」と刻まれた石碑がある。後日調べると、山頂に観音堂が建つ富蔵山(とくらさん)という山が筑北村にあり、この山に縁があるもののようだ。
あとは林道を歩いて、地蔵峠に戻る。ほとんどアップダウンのない道で楽だ。道端のキケマンやギボウシ、ミゾソバ、サラシナショウマ、キツリフネなどの草花を眺めつつ歩いて、1時間弱で地蔵峠に着く。この間、車は1台も通らなかった。
宿への帰りは、R19と犀川を横切って県道戸隠篠ノ井線を篠ノ井まで辿る。途中、明日登る山の候補の一つに考えている茶臼山の登山口を確認しておく。宿に着いて温泉に入り、夕食までの時間をのんびり過ごす。夕食のメインはすき焼き。今日は適度に運動したので、ビールと御馳走の美味さがアップ。明日の予定を検討したのち、就寝した。
茶臼山
温泉旅行最終日は、雲は多いものの、まあまあの天気。長野市HPの「篠ノ井茶臼山トレッキングコース」を参考にして、予定通り茶臼山に登ることにする。
宿をチェックアウトし、前日に見ておいた登山口に向かう。信里合同庁舎の裏にトレッキングコースのポストがあり、ここの駐車場に車を置く。パラパラ雨粒が落ちてきたが、今日はごく軽い山歩きなので、気にせず出発(すぐに止んで、その後は降られなかった)。車道を少し進んだ奥にも駐車場がある。
奥の駐車場から左の山道に入ると石碑がある。茶臼山には、川中島の戦いで武田信玄が本陣を置いた跡と言われる旗塚が9ヶ所あり、ここはその一つとのこと。武田信玄に対峙して上杉謙信が陣を張った妻女山には登ったことがあるので、何か完成させた気分(^^;)。旗塚の先で道は崩壊地に突き当たって右に下る。この崩壊は地すべりによるものだそうだ。
かつての茶臼山は北峰と(旗塚のある)南峰の双耳峰であったが、弘化4(1847)年の善光寺地震が誘引となり、昭和初期から40年代にかけて激しい地すべりが続き、南峰は山体の東側が崩落して、標高が50mも低くなったとのこと。対策工事により地すべりが安定した後の跡地は、自然植物園や恐竜公園として整備され、現在に至っている。
崩壊地を迂回して赤松林を下ると、先ほど通った奥の駐車場から旗塚を巻いてきた作業道と合流し、崩壊跡地に入る。既に鬱蒼とした樹林に覆われているが、見上げる崩壊壁は高くて、地すべりの規模の大きさが実感できる。
崩壊跡の凸凹した地形を進み、右に自然植物園、続いて左に芝池への道を分ける。
崩壊跡地を抜けると茶臼山北峰への緩い登りとなる。Y字の分岐は左に進むが、右は頂上への直登路だったようだ。少し急な坂道を登り切れば平坦な道となる。途中で道標にしたがって右に分岐する道に入ると、なだらかな茶臼山の頂上に着く。山名標識と三角点標石がある他は、樹林に囲まれて展望もなく、地味な頂だ。
さて、目的の山頂は踏んだので、ここで引き返しても良いのだが、それではちょっと軽すぎるので、トレッキングコースをもう少し先まで辿ってみることにする。
分岐から少し進むと「←展望台入口」の道標があり、西側の眺めが開ける個所がある。しかし、雲が垂れ込めて、遠くの山は一部しか見えない。
樹林に覆われたなだらかな丘陵を下ると、石祠のある峠に着く。ここは一本松と呼ばれ、右(東)に中尾山温泉、左(西)に夜交・芝池への峠道を分ける。かつては峠の目印として赤松があったそうだが、今は地名だけが残っている。石祠は雪州神社といい、入会地の境界争いで高裁まで上告して、明治14年に逆転勝訴を得た村長の功績を讃え、昭和12年に建立されたものとのこと。入会地をめぐり、あちこちで争いが絶えなかったのだねえ。
トレッキングコースはこの先にも続いているが、切りが良いのでここから引き返す。帰りに再度、展望台に立ち寄ると、雲が上がって後立山連峰を遠望することができた。
これにて、今回の温泉旅行と里山歩きは終了。半過岩鼻の麓の「道と川の駅おとぎの里」に立ち寄って、馬鹿バーガーと桑の実ソフトを食べ、ナガノパープルという皮ごと食べられる巨峰のようなブドウを土産に買い、JR上田駅でS&Sと別れて桐生への帰途についた。