富士山〜丸山〜吾妻山

天気:時々
メンバー:T
行程:富士山下駅 12:15 …富士山(163m) 12:25 …白髭神社 12:55〜13:05 …丸山(174m) 13:10 …庚申塔・石灯籠 13:35 〜吾妻山(481m) 14:25 …雷電山(217m) 15:15 …琴平山(154m) 15:40 …西桐生駅 15:55
ルート地図 GPSのログ(赤:往路、青:復路)を地理院地図に重ねて表示します。

先週末は本州付近に秋雨前線が停滞してぐずついた天気となったので、山歩きは一回休みとした。今週末も天気予報はイマイチ。加えてマイカー Freed Spike の車検を予約しており、代車はあるが、車の持ち込み/引き取りに出向く必要があるから、遠出は難しい。この夏の酷暑もやっと一段落した様子なので、地元桐生で低山を登ることにする。以前、計画したけれどまだ実行していなかったコースを引っ張り出して、歩いてきました。

今日は蒸し暑い天気の下の低山歩きなので、Tシャツ、ハーフパンツ、トレランシューズにデイパックという軽装で出発。藪漕ぎは多分ないから、この服装でも大丈夫だろう。自宅から自転車を漕ぎ出し、桐生市街を横切って、西桐生駅の駐輪場に自転車を置く。

西桐生駅は上毛電気鉄道(上電と略称される)の東端の始発駅で、昭和3年に開業した当時の駅舎がそのまま残る古風な駅だ。玄関脇には「関東の駅百選認定駅」のプレートが掲げられている。昼間は毎時16分、46分発で中央前橋駅行の電車がある。前橋に用があっても車かJR両毛線で行くことがほとんどで、上電には総計しても片手で足りるくらいしか乗ったことがない。今日は折角の機会なので、僅か2駅分だが、上電に乗って行くことする。

富士山下(ふじやました)駅まで170円の乗車券を買って、11:46発の電車に乗車。上電の車両は昔、京王井の頭線で使われていたもので、私も一時期、通勤でお世話になった。上電は無料で自転車持ち込み可。この列車にも2台ほど自転車が乗っている。

西桐生駅
西桐生駅・駅舎内
上電700形車両
富士山下駅

電車は丸山下駅に停車したのち、渡良瀬川を鉄橋で渡って、次の富士山下駅に11:49着。ここで下車する。この駅名は富士山(ふじやま、標高163m)のすぐ近くにあることに由来する。たまに外国人が富士山(3776m)の登山口と間違えて、ここに来ることがあるそうで、「ふじさん」が世界文化遺産に登録された2013年には、そんな話が全国的に話題となった。当時、上電は話題に便乗して「ふじやま」登頂記念認定証を発行したり、「富士山下駅」記念入場券セットを発売するなどのイベントを開催した。実は、今回のコースはそのイベントに参加しようとして計画したものだが、諸事情で日の目を見なかったという、5年越しのものである。

富士山下駅より吾妻山を望む
レストラン「ていしゃば」

富士山に登頂する前に腹拵え。駅のすぐ裏側にあるレストラン「ていしゃば」に入る。店内は昭和の喫茶店の雰囲気で、品の良いおばちゃん二人で切り盛りしている。ナポリタンを注文。M(580円)とL(780円)があり、Mを選んだが、量は十分だし、麺はコシコシ感があって美味しく、大満足だ。

昼食後、いよいよ富士山に取り付く。実は、この富士山に登るのは2回目だ。登山口には前回はなかった「富士山入口」の標識があり、訪れる登山者の便宜が図られているようだ。

富士山入口
「富士山入口」の道標

登山道に入ると直ぐに右手の草叢の中に一合目の石標がある。これは前回、迂闊にも気がつかなかった。正面上部に富士山の線画と「致 穀聚山程 壹合」、側面に「嘉永三庚戌歳 十一月吉日」と刻まれている。後日調べると、穀聚山は富士山の別名だそうだ。

一合
七合二勺

さらに登ると立て続けに七合二勺の石標、「大天狗 小御嶽石尊大権現 小天狗」の石碑、九合の石標を見て、10分程で立派な石祠のある「ふじやま」の頂上に着く。本家「ふじさん」に較べれば、実に楽な行程だ(^^)

小御嶽石尊大権現
九合

頂上の南面には梵天が立ち、またその方向に眺めが開けて、八王子丘陵の茶臼山辺りが見える。冬枯れの時期には北面にも渡良瀬川を隔てて赤城山の展望が得られるのだが、この時期は樹木の葉っぱに遮られて全く見えない。のんびり休んでいると蚊に食われるので、適当に切り上げて往路を戻り、下山する。

富士山頂上
富士山より茶臼山を望む

次は県道(前橋大間々桐生線)を歩き、渡良瀬川に架かる赤岩橋を渡って、対岸の丸山に向かう。赤岩橋は、車では何度も通っているが、歩いて渡ったことはほとんどない。赤岩橋付近の渡良瀬川は富士山と丸山に挟まれ、両岸の岩場を洗って深く静かに流れる。桐生の市街地に隣接しながら、なかなか山深い趣きがあり、景色をじっくり眺める。

赤岩橋
赤岩橋より上流側の眺め
赤岩橋より下流側
丸山を望む
赤岩橋より富士山を望む

丸山に登る前に、麓の白髭神社にお参りする。石鳥居を潜ると赤い幟が本殿まで立ち並ぶ。本殿の前にはシラカシの巨木があり、境内を緑陰で覆う。このシラカシは樹高が約20m、目通り周囲が約5mあり、桐生市の天然記念物に指定されているとのこと。

白髭神社入口
白髭神社

本殿の後ろには、桐生近辺の各所から遷座された神社がいくつか祀られている。参考文献(末尾)によると、金刀比羅宮は堤町の琴平山から移されたものらしい。また、かつて吾妻山の頂上に祀られていた四阿神社もここに移されているそうだが、どれがそれかは判らなかった。

金刀比羅宮
白髭神社境内の祠

白髭神社裏手の車道に出て、丸山に登る。杉林の中の錯綜する作業道を、高みを目指して適当に選んで登る。頂上の手前には小さな栗林があり、まだ熟していないがたわわに栗が実って、意外な所で秋の訪れが感じられる。

丸山の頂上は広く平坦で、少しづつ離れて3基の石祠がある。杉林に囲まれて展望は全くない。山頂を巡って縦横に道型があり、かつては丸山公園と呼ばれていた痕跡を留めるが、現在はポサポサと藪があって、訪れる人が多いような様子は窺えない。

丸山へ車道を登る
すぐに作業道に入る
たわわに実った栗
丸山頂上

次は吾妻山に向かう。丸山を降りて、県道と上毛線を横断し、堤町から山際の坂道を緩く登る。谷間に広がる住宅街から、濃い緑に包まれた吾妻山が仰がれる。

堤町の西極寺
堤町から吾妻山を仰ぐ

途中の道角に数基の石造物が建ち並び、石灯籠や「青面金剛」と刻まれた大きな庚申塔がある。ここが今回、一番訪れたかった場所だ。

実は2013年7月末にこの辺りをジョギング中、桐生山野研究会のhisiyamaさんにパッタリ出会って、吾妻山に関するいろいろな話を伺った。その中に「山麓に四阿山と刻まれた石灯籠がある。これが吾妻山の謂れ。大きな青面金剛文字碑もある」という話があり、そのとき、石灯籠は通りがかって見ていたが、銘文までは読んでいなかったので、今回はそれを確認しに来た。

石灯籠に絡まる蔦を引き剝がすと「奉納 石尊宮 庚申天 四阿宮 御宝前」とクッキリと刻まれた銘文が現れる。側面には寛政元(1789)年の銘もある。吾妻山の歴史を伝える貴重な石造物ではないかと思う。

堤町の庚申塔・石灯籠
石灯籠の銘文
「四阿宮 庚申天 石尊宮」

さらに堤町の坂道を上がり、宮本町に抜ける車道を辿って、吾妻山への登山道の陸橋(吾妻橋)の下に着く。hisiyamaさんによると、この橋の下は「泣き竜のように反響がいい」そうなので、試しに手を叩いてみたら、話の通り非常にクリアなエコーがかかった。

ここから吾妻山へは何度も歩いたことのある道だ。吾妻山の急坂が始まる登り口にはプレハブの廃屋がある。hisiyamaさんによると、これは「かつての造成地の事務所で、開発途中で県により停止させられた」とのこと。

吾妻山への登山道の陸橋(吾妻橋)
吾妻山頂上の鐘撞堂跡(右の平地)

急登に加えて、折からの蒸し暑さで汗ぐっしょりとなって、吾妻山の頂上に登り着く。この頂は訪れる人が絶えない。今日も常連さんやハイカーさん10人近くが休憩している。

頂上に纏わる話もhisiyamaさんから二、三伺っている。曰く「吾妻山の頂上すぐ手前の窪んだ平地(現在はベンチがある)は鐘撞堂跡。頂上直下に姥岩がある。ご利益がある岩とか。頂上からはかつてパラグライダーが飛んでいた。昔は頂上の樹林はなく、展望がもっと開けていた」などなど。姥岩は場所が不明で、ちょっと興味を惹かれる。

吾妻山頂上の石祠
吾妻山から桐生市街を俯瞰

頂上のベンチで一休み。ようやく汗が引いたところで、下山にかかる。吾妻橋からは雷電山(通称、水道山)に向かう。水道山公園に至る車道を横断し、尾根筋の踏み跡を直登する。道端に赤い実をつけたヤマボウシがあり、熟れた実を口に入れるとほんのりと甘い。

雷電山(水道山)へ直登
ヤマボウシの実

雷電山の頂上は広場となっていて、親子が遊んでいる。広場の一角に忠魂碑が建つ。雷電山の一帯は水道山公園として整備され、訪れる人が多い。頂上から少し下った所に駐車場と展望台がある。春には桜が咲き、ここでお花見をやったこともある。

雷電山頂上の忠魂碑
水道山公園展望台

展望台の下の辺りに渡邉崋山記念碑がある。妹が桐生の絹買継商に嫁いだ縁で天保2年に桐生を訪れ、『毛武游記』を著したことを記念して建立されたものとのこと。崋山の筆による、雷電山から見渡した桐生の街と周囲の山並みの図の複製が展示され、現在の眺めと見比べることができて面白い。

渡邉崋山記念碑
観月亭

水道山公園から水道山記念館に向かって下ると、途中に観月亭という名の東屋がある。第6代桐生市長(昭和22〜38年)が退任にあたり寄贈したものとのこと。景気いい話だなあ、と思って後日調べてみると、桐生の織物はその頃に戦後の最盛期を迎えていたそうである(桐生織物年表)。

水道山記念館に来ると、マイクロバスやトラックを含めて多数の駐車があり、大勢の人が照明などの道具を抱えて記念館に出入りしている。どうもドラマのロケの後片付けをしているようだ。近年、桐生は人気ロケ地で、ロケの話を聞くことも多い。

水道山記念館への道
水道山記念館(ロケ撤収後に撮影)

最後はここから琴平山(こんぴらやま)に登る。水道山記念館からは取り付けないので、配水池の脇から侵入。ここもかつては造成地を開発しようとして中断したらしく、舗装道が通じているが立入禁止の看板が立つ。

痛んだ舗装道を辿って、左の尾根に乗る。尾根上は樹林に覆われ、藪と藪蚊と蜘蛛の巣が酷い。今日は藪漕ぎはしないつもりだったのだが…。緩く登って最高地点に到着。樹林に覆われて展望はない。北西面は削られて、急斜面となっている。参考文献によると、配水池の反対側からもう少しマシな登路があるようだ。冬枯れの季節に出直すとしよう。

配水池の脇より進入
琴平山頂上

今日巡る予定の山頂はここが最後。低山とは言え、距離は結構歩いたから、いい運動になった。来た道を水道山記念館に戻るとロケの後片付けは終わっていて、蛻(もぬけ)の殻となっていた。記念館前の急坂を下って西桐生駅に戻り、自転車を漕いで帰宅した。

西桐生駅へ急な坂道を下る
西桐生駅に戻り着く

参考URL:やまの町桐生「富士山」、「丸山」、「吾妻山に登る
参考文献:増田宏著『山紫水明 〜桐生の山〜』、『桐生・山の地誌』(みやま文庫)