千躰庚申山〜石尊山〜大久保山
この週末は、良く晴れるが寒気が強まるとの予報なので、近場の低山を歩くことにする。田沼町史をパラパラと読むと、安蘇山塊の丸岩岳、奈良部山と続く山系に大久保山、鍋沢山、小野久保山があると書かれている。この三山は地形図に山名の記載がない。これらの山をネットで検索すると、お馴染みのその筋の方々の山行記録が多数あり、鍋沢山と小野久保山の間に石尊山という山もあることを知る(読んではいたが再認識)。この山系の末端の千躰庚申山には、やまの町桐生のKさん、Mさんと登ったことがある。末端から大久保山まで歩き通すと丸一日行程のコースとなり、歩き応えがあって面白そうである。
佐野市営バス「さーのって号」飛駒線の始発上り便の時刻に合わせ、桐生を車で未明の5:40頃に出発。老越路峠を越え、根古屋森林公園駐車場に6:20頃に到着して駐車し、外は寒いのでバスの発時刻まで車内で待つ。夜が明け、根古屋森林公園バス停6:46発のバスに乗車。バスと言っても、車両は定員10名ちょっとのジャンボタクシーだ。運賃は一律300円で先払い。他の乗客はおじいさんが一人。世間話をしているうちに総合センター前バス停に到着し、ここで下車する。
千躰庚申山の登山口には「千躰庚申山入口」の石柱と「天保十亥(1839)年三月吉祥日」の銘のある巨大な庚申塔が建つ。落ち葉に覆われた山道を登る。道の脇には、庚申塔の文字が彫られた自然石が多数転がっている。
頂上は樹林に囲まれた小平地となり、庚申塔や青面金剛の石碑が多数ある。田沼町史によると、庚申山には1244基の庚申塔がある。農作物の神として信仰を集め、昭和20年までは旧4月1日に庚申祭が行われ、参詣者には酒と赤飯が飲み放題、食べ放題で振舞われ、酔客が夕方遅くまでたむろし、参道には露店も出て大賑わいだった。祭りが途絶え、頂上にあった庚申堂と神楽殿は形をとどめていない、と記されている。
頂上から北西の小尾根を下る。疎らな篠竹の間に道型があり、脇に庚申塔が転がっている。そのまま小尾根を辿ると深い切り通しの上に出て行き詰まるので、少し戻って左の作業道を辿る。空き地を通り抜けると大規模な太陽光パネル群があり、その下を通りながら右の尾根に復帰するポイントを探っていたら、左に篠竹藪を切り開いた道がある。どこに通じているのか定かでないが、他に道はなさそうなので、とりあえずこれを辿ってみる。
初手から怪しいルートに入り込んでるなあ、と少々不安を感じつつ、この刈り払い道を辿ると、密な篠竹藪を抜け、杉林の中の浅い窪を詰め上げて、307m三角点峰の南の尾根上に登り着く。幸いにも尾根上は藪が薄い。尾根を急登して、307m三角点峰の南の肩に着くと、大岩の上に根本山神と刻まれた石祠が南向きに祀られ、脇の杉の木に梵天の竹棹が結わえつけられている。尾根を緩く辿って、307m三角点峰に着く。三角点標石の他に、この界隈の山でお馴染みのR.K氏の標高プレートがある。
ここからは標高が上がった尾根歩きなので、藪漕ぎの心配は少ない(実際、藪はほとんどない)。北に向かって雑木林や杉林に覆われた尾根を辿る。次のピークには2基の石祠が東を向いて祀られている。片方の石祠には「文化元甲子(1804)四月吉日」の銘がある。
雑木林の尾根を辿り、露岩や赤松が現れると366m標高点に登り着く。ここから東に分岐する枝尾根上に浅利山というピークがあり、途中に石仏が祀られているそうだが、知ったのは後日なので通過してしまう。石仏は見たかった。雑木林の尾根が続き、展望には相変わらず恵まれない。441m標高点のピークのすぐ手前にも2基の石祠がある。片方には「山神宮」と「昭和八年十月再建 坂和氏子中」の銘がある。
441m標高点を越えると短いが急な下りとなり、小さな岩場がある。行く手になだらかで杉林に覆われた小野久保山が眺められる。
細い尾根を辿ってなだらかな尾根に入る。薄暗い杉林の中を緩く登って、平坦な小野久保山頂上に到着する。山名標の類はなく、三角点標石だけがぽつねんとある。展望も全くなく、超地味な頂である。
地味な小野久保山であるが、頂上を越えると様子がガラリと変わり、尾根が細くなって西側が岩壁で切れ落ちた小ピークを登る。岩壁の上から眺めが開け、北西に多高山とその奥の鳴神山を遠望する。
次の小ピークを越えるとザレた岩稜の急降下となり、行く手に石尊山を見ながら、鞍部まで標高差約100mを一気に下る。ここは低山らしからぬ険しさがある。下り着いた鞍部には首なし地蔵があり、東西に古の峠道と思しき道型が微かに残る。
鞍部から雑木林の尾根を登る。振り返ると小野久保山の北峰が鋭く聳え、こちら側から見ると(岩稜が日陰に入っているせいもあるが)、あれは登れるんだろうか、と感じられるくらい険しく見える。
途中に東側の眺めが開けるポイントがあり、目指す石尊山や、閑馬川の谷を隔てて閑馬岩峰群が眺められる。岩峰群もいずれ歩きたいところなので、じっくりと観察しておく。
さらに登ると、木の間越しだが西側が眺められる個所もあり、多高山から野峰へ続く尾根、その奥に桐生川右岸の白萩山や残馬山を望む。今日の行程の終着点の飛駒盆地もようやく見えてきた(とは言っても行程はまだ半分だ)。
尾根を急登し、大岩を右から巻いて登ると、石尊山の頂上に着く。西面は急傾斜で切れ落ち、山麓の塩田集落を俯瞰する。石祠は屋根だけが転がっている。杉木立ちに囲まれて西面以外の展望はないが、信仰の山らしい雰囲気がある。腰をおろしてしばし休憩。山専ボトルに入れてきた熱いココアを飲んで、パンを齧る。
腹を満たして出発。石尊山頂上から北に向かうと、尾根が断絶しているんじゃないかと思う程、下の方に尾根が見える。立木が少なく手がかりに乏しい急坂を下る。誤って転倒すれば滑落して止まらないレベルの急さなので、慎重に行く。それにしても、今日越えてきたピークは、北側が急斜面というパターンが多い。緩い尾根に下り着き、ホッとして石尊山を振り返る。
鍋沢山までは穏やかな尾根歩きが続き、単調な歩きだが距離はぐんぐん稼げる。途中でデジカメの電池が切れ、予備の電池もうっかり充電を忘れていたので、以降の写真は携帯電話のカメラで撮影。
鍋沢山頂上は広く平坦で、雑木がポサポサと生えている。雑木の隙間のごく小さな空き地を取り囲んで「鍋沢山562.2m」の文字が掠れた山名標やフジオカT.K氏のテープがあり、三角点標石はどこ?と思ったら、空き地の真ん中で落ち葉に埋もれていた。ここも小野久保山に並ぶ超地味〜な頂である。
鍋沢山を越えてすぐ北側に、ネットの山行記録によく写真が載っている縦穴がある。恐々と覗き込むと、岩をくり抜いてかなり深いが底は見える。これは何かを試掘した跡かな。
雑木林と杉林が混じる尾根を辿る。木立を透かして北東に大鳥屋山が眺められ、平坦な山並みの中で大きな台形の山容が一際目立っている。右から閑馬川左岸の尾根が近づいて合流する地点に石祠がある。扉に「三峯山 琴平山」、側面に「明治○○○年四月吉日」と彫られている。神酒を供えた跡があり、今も参拝されているようだ。
石祠から左へ急坂を下ると明瞭な道型が現れ、近沢峠を越える旧道の深い切り通しに突き当たって、左から降りる。旧道の向かいも高い法面で登れないので、左へ回り込み、適当なところから斜面に取り付いて尾根上に復帰する。
雑木林と杉林の境界の尾根を登る。途中、作業道が現れてこれを辿るが、すぐに別れて尾根上を直進。小ピークを越えると、正面に結構高く大久保山を望む。
最後の登りはかなり急かつ長い。登り着いた大久保山の頂上は木立に囲まれて、三角点標石と、大久保山とマジックで書き足されたR.K氏の標高プレートがひっそりと訪れる人を待つ。ここで残りのパンをホットココアで腹に入れたのち、北の鞍部に向かう。
すぐに尖った小ピークを越えると、雑木林の痩せ尾根の下りとなる。歩く幅は十分あるので通過は問題ないが、両側は下が見えない切れ落ちた急斜面なので要注意。下山は楽勝と思っていたが、小さなピークの登降もあって鞍部まで意外と遠い。行く手に奈良部山や丸岩岳を望む個所があり、山奥深く入り込んだ感が強まる。鞍部からの下りは破線路をあてにしているが、大丈夫だろうか。既に14時に近く、日没(16時半)まで時間の余裕がそうある訳ではないので、少々不安になる。
杉林の中を下って着いた鞍部には、「カゲ山」(影山さん?)と大書きされた杉の木が立つ。西側に下ると杉植林帯の中に山道があり、これで一安心する。
山道から程なく古い作業道に出る。杉の葉や倒木が覆い被さって荒れているが、道が全くないのに比べれば速くて楽だろう。ところどころで杉林の間から西日の差し込む谷間を下り、彦間川沿いの県道に出る。
後は根古屋森林公園まで車道を歩いて戻るだけである。40分程の歩きとなるが、山村の佇まいや路傍の石仏、稜線上空の青空と流れる白い雲を眺めながら、のんびり歩くのも良いものである。「さーのって号」飛駒線始点の寺沢入口バス停を経由し、根古屋森林公園の駐車場に帰着。1日行程のコースの歩き応えに満足しつつ、桐生に帰った。