雷電山〜栗生山

天気:
メンバー:T
行程:駐車地点 10:10 …雷電山 10:30 …708m三角点峰 11:15 …798m標高点 12:25〜12:55 …栗生山(968m) 14:20〜14:40 …栗生神社 15:10 …駐車地点 16:20
ルート地図 GPSのログ(赤:往路、青:復路)を地理院地図に重ねて表示します。

地形図に山名は載っていないが、桐生市内には雷電山が23もある(『桐生市ことがら事典』調べ)。この山行記録で取り上げるのは、そのなかの黒保根町上田沢涌丸(わくまる)にある雷電山で、栗生山南尾根の末端に位置する。やまの町桐生のMさんの雷電山の記事によると、南側から参道があり、山頂とその直下に雷電社の石祠を祀るとのこと。桐生地域百山の97座目にも選ばれている。

雷電山は小さな里山なので、登るなら北の峰続きの708m三角点峰や栗生山へ繫ぐと良いかな、と考えていたが、Mさんの記事には灌木の藪が邪魔で引き返したと書かれている。藪じゃなあ、と案を保留にしていたところ、一昨年に仮面林道ライダーさん、昨年末にハイトスさんたそがれさんが雷電山から栗生山南尾根を踏破された。ただし、雷電山は知られていなくて、山名は表されていない。皆さんの山行記録によると、岩場あり石祠ありの面白そうな尾根ルートで、藪も最初の方の一部分だけのようである。

2週間前にはみー猫さんも歩かれ、ルート上で石祠を8基も見つけて、その位置と写真をブログにアップされている。これだけの情報があれば、石祠を見つけ損なう訳にはいきませんな。赤城山のマイナーピーク巡りも一段落したので、この週末に歩いてきました。

桐生を車で出発。R122から上田沢方面への県道(根利八木原大間々線)に入り、小黒川を渡ってすぐ左折。この分岐に真新しい田沢発電所がある。雷電山に登る前に、涌丸の医光寺に立ち寄って、関口文治郎が手がけたと伝わる彫刻を見に行く。先週、津久田の赤城神社でも関口文治郎作の彫刻を見たので、ちょっと興味を持ち、立ち寄ってみた。写真は撮っていないので、桐生市HPのページをリンクしておく(→医光寺本堂の彫刻欄間)。


医光寺本堂


医光寺の青面金剛
天明四甲辰(1784)年

雷電山南麓の路側スペースに駐車して出発。雷電山の参道を探しながら、465m標高点付近から荻ノ窪集落を抜けて西へ向かう破線路を辿る。しかし、途中に田沢発電所関係の施設が建設されて道が分断されたため、参道入口が判らない。あちこち小一時間歩き回った結果(この間のGPSログは煩雑になるのでルート地図に載せていない)、ハイトスさん達が通ったルートが正に参道であることを確認。結局、現在は、温室と大規模な太陽光パネル群の間を通り、発電所の敷地を囲むフェンスに沿って斜面を登るのが正解のようだ。


駐車地点


南麓から雷電山に向かう

敷地最上部に見えるクレーン付きの謎のコンクリ構造物は水槽で、後日調べると導水路からここを経由して発電所へ水を落としているらしい。フェンス上端を過ぎると、尾根上に細かくジグザグを切って参道がつけられている。近年はあまり歩かれていない様子だが、道型ははっきりしている。


田沢発電所のフェンス沿いに登る


雷電山参道

大岩の上に祀られた胴体のない石祠を過ぎ、程なく雷電山の頂上に登り着く。松の木の根本に二つ目の石祠が祀られ、注連縄が垂れ下がっている。石祠の前は小平地となり、木々の梢が邪魔をするが山麓の涌丸の集落を眺めることができて、休憩するのに良い。


石祠1


雷電山頂上


石祠2(雷電山頂上)
宝暦三(1753)年九月 惣村中


雷電山から山麓の眺め

頂上から奥へ稜線を進む。関東甲信地方に一昨日降った初雪が薄く残っている。晴れの予報に反して上空は厚い雲に覆われてしまい、寒々しい天気。僅かに登って605m標高点に着く。雷電山の最高地点ではあるが、ポサポサの篠竹藪に覆われ、特別な物は何もない。


栗生山を遠望


605m標高点

正面の篠竹藪を搔き分けて強引に突破すると、左斜面が伐採されて開けた尾根に出る。左には小黒川の谷を隔てて赤城山東面が広がり、鹿角の集落や県道沼田大間々線が眺められる。あの県道は車で何度も行き来したことがあり、そういえば、通る度にこちらの山稜を眺めていたけれど、栗生山の南尾根とは意識していなかったな、と気づく。灰色の雲に隠れて、赤城山の天辺は見えない。


篠竹藪を抜けて伐採地に出る


赤城山東面を望む

伐採地と松林の境界の尾根を下って鞍部に着く。古い地形図を見ると、栗生山南尾根には破線路が越える峠が三つあり、ここがその一つ目になる。放置されたクローラ車の他に一台の大型SUVがあり、橙色のジャケットを着た年配の男性が二人いる。ハンターだ。挨拶して「どこまで行くの」「栗生山まで」等の話を交わす。この峠の名はご存知か尋ねたところ、そこに何か書いた物があるよ、とのお答え。見ると「椛木社営林」と書いた森林組合の標識がある。これは峠名を示す物ではないが、椛木峠と呼んでも良いのかも。


放置クローラ車のある峠


峠の「椛木社営林」標柱

峠から杉林を登ると赤松林の尾根の緩い登りとなり、道型が現れる。この道型はやがて尾根の左を巻き始めるので、尾根を忠実に辿ると708m三角点峰の頂上に登り着く。木立に囲まれて展望はなく、日陰で雪が多く残る。三角点標石(点名:奥沢)と「享保八(1723)年」の銘のある石祠がある。


赤松林の稜線を辿る


石祠3のある708m三角点峰

708m三角点峰から南尾根二つ目の峠に向かって下る。樹林の切れ目から、まだまだ遠い栗生山を望む。この下りは北面にあるため雪が多く、しかもグザグザに柔らかくなった雪なので大変滑り易い。灌木を摑みながら、おっかなびっくり下る。


栗生山(中央奥)を望む


峠へ雪道を下る

やがて傾斜が緩んで一安心。平坦な雑木林の尾根を進み、峠へ向かってもう一段急降下する途中に四つ目の石祠がある。深い雪を踏んで下り、南尾根二つ目の峠に着く。切り通しとなって作業道が越え、新しい轍が残る。この峠も現役で使われているようである。


峠手前の石祠4


作業道の通る峠

稜線を直進し、急坂を登ると赤松が立ち並ぶ尾根上に出る。あれっ、そういえば峠の近くにもう一つ石祠があるんじゃなかったっけ。引き返して探すと、峠の東斜面(急坂の右側)に五つ目の石祠を見出だす。危うく見逃すところだった。みー猫さんの情報に感謝。


峠からの登り口の石祠5


赤松林を緩く登る

峠から急坂を再度登り、赤松林の緩やかな稜線を辿る。木の間越しに栗生山を見て左に折れると、稜線上に露岩が多く現れる。


稜線を左に折れる


露岩が多くなる

露岩と赤松の稜線を進むと高さ3m程の岩場が現れる。これは正面を楽に登る。


この岩場は正面を登る


露岩と赤松の稜線

なおも露岩と赤松の稜線を緩く辿り、一番の高みに登り着いた辺りが798m標高点だ。正面には木立を透かして栗生山辺りの山影が見える。既に正午を回っているので、ここで大休止して昼食とする。昼食はいつものパターンで鯖味噌煮と鍋焼きうどん。風はそう強くないが、一面に雪が残っていて薄ら寒く、缶ビールも小さいのにしてちょうど良かった。熱いうどんを食べて体の芯から温まる。

ここから南尾根三つ目の峠への下りとなる。北向きの斜面で雪が多いので、スパッツとチェーンスパイクを付ける。チェーンスパイクは数年前に買ったものだが、実際に使うのは今日で2度目くらい。湿った土にはグリップが効くが、グサグサの雪には効果はあまりない。しかも、すぐに雪がくっついて高下駄状態になるので、雪をはたき落としながら歩く。でもまあ手軽なので、里山の雪には丁度良いアイテムではないかと思う。


798m標高点


峠へ下る

峠に下ると六つ目の石祠がある。峠から登り返すとすぐに岩稜が現れ、左側を巻いて稜線に上がる。ここからしばらく赤松と露岩のなかなか味のある尾根歩きが続く。


峠と石祠6


正面の岩稜は左から巻く


岩稜に上がる


再び赤松と露岩の稜線

小さなアップダウンを繰り返し、やがて大きな岩場に突き当たる。左から簡単に登ると岩稜の上に出て眺めが開け、行く手に栗生山がだいぶ近づいて眺められる。


大きな岩場


岩稜から栗生山方面を望む

稜線が左折する所で、右に派生した枝尾根上に七つ目の石祠が祀られている。この石祠は東麓の鷲ノ手集落を向いている。屋根の上の苔の緑が鮮やかだ。


石祠7


雪が段々多くなる

左から回り込むようにして、杉林に覆われた稜線を辿る。稜線から東へ少し突き出た展望の良い岩場があり、その上に立つと五覧田城の稜線や鳴神山を遠望し、歩いてきた南尾根を振り返って一望する。この展望岩場のすぐ先に、名状し難い(^^;)奇岩がある。


展望岩場から南尾根を望む


稜線上の奇岩

さらに大きな岩場が現れ、上を辿っていくと切れ落ちた崖に突き当たる。これは降れないと思ってだいぶ戻り、右から巻いて稜線に復帰したが、崖を下から見てみれば右側(上から見れば左側)が簡単に降れたようである。ここはコース取りを失敗した。


岩場を上がると崖に突き当たる


右から巻いて岩場を振り返る

岩場の通過で少々緊張したが、栗生神社からの登山道と合流して一安心。「栗生山頂200m→」の道標があり、ひと登りで栗生山の頂上に着く。1997年2月以来、2回目の頂だ。三角点標石と古びた山名標がある。ここは展望がないので、「←展望岩まで50m 石宮まで200m→」の道標に従って、まず西の展望岩に行ってみる。


栗生神社からの登山道と合流


栗生山頂上

展望岩からは、西から北にかけての眺めが開ける。赤城山の頂上に相変わらず雲がかかっているのは残念。くず葉峠に連なる稜線は結構アップダウンがある上、まだまだ距離がありそう。今日はくず葉峠へは行かず、登山道で栗生神社に下り、林道を歩いて駐車地点に戻る予定である。


展望岩から赤城山方面を望む


展望岩からくず葉峠方面を望む

頂上に戻り、次は東の石宮に向かう。新しい石祠とのことで有難味は薄いが、前回の登頂では見ていないし、石祠クエストの最後なので、訪ねない訳には行かない。なだらかな頂上稜線を辿ると、大岩の基部に石祠があった。これで8基コンプリートである\(^o^)/。頂上に戻って、登山道で下山にかかる。この頃になって、ようやく晴れ間が出て、日差しが雪を眩しく照らす。晴れるのが遅いよ……。


頂上東の石宮(石祠8)


栗生神社へ下る

稜線から杉林に覆われた急峻な窪に入って急降下する。山道から簡易舗装の道に変わった所でスパッツとチェーンスパイクを外す。ここから栗生神社までは僅かな距離である。

栗生神社は(案内板によると)寛政二(1790)年の建立で、新田義貞の家臣として勇猛で知られた栗生左衛門頼方を祀る。本殿には関口文治郎作の彫刻があり、壁面を埋め尽くした厚みのある彫刻が見事。また、拝殿の脇には推定樹齢1,200年、樹高46mの御神木の大スギがある。山奥深くにこんな立派な古い神社があることに改めて感心する。


栗生神社拝殿と大スギ(右)


栗生神社本殿の彫刻

栗生神社から車道を下り、南尾根の東麓をトラバースする道に入る。鷲ノ手の集落に入ると、ストーブに火が入っているのだろうか、民家の煙突から薄い煙が上がって、薪の燃える香りが漂う。既に陽は傾き始めて、見渡す山々は朱色に染まっている。途中の民家はポツリポツリとあるだけで、侘しい雰囲気の道が続く。最後に振り返って栗生山を眺めたのち、荻ノ窪集落の中を下って駐車地点に戻る。


鷲ノ手集落から仰ぐ栗生山(右)


夕焼け色に染まる山並み


松山集落の双体道祖神
寛政三亥(1791)四月吉日


栗生山(右奥)に別れを告げる

帰りは水沼駅温泉センターに立ち寄る。湯船に浸かって温まると極楽。先生に引率された運動部の中学生が大勢入りに来ていて騒がしいが、水沼温泉が繁盛するのは何より(過去に一度休館になっているので)。帰る頃にはとっぷりと日が暮れ、夜道を桐生に帰った。