足立山
北九州市小倉に所用で来て、その合間の金曜午後に空き時間があるので、周辺の山に登ることにした。北九州市の山は、福岡市に住んでいた小学生の頃、家族で平尾台に遊びに行ったことがあるくらいで、馴染みがない。その頃から知っていて登りたい山には福智山(901m)があるが、時間が全然足りない。どの山がいいかなあ、と地形図を眺めていて、JR小倉駅の南東にある足立山(霧ヶ岳、598m)に目がとまる。
ネットで調べると、足立山は九州から関門海峡に突き出た企救(きく)半島の基部に位置し、半島の先端に向かって連なる戸の上山(518m)、風師山(かざしやま、362m)などの山々と合わせて企救山系と呼ぶそうである。足立山はこの山系の最高峰で、九州百名山の一座にも選ばれている。足立山から風師山まで縦走路があり、企救自然歩道として整備されている(右図)。この縦走は低山ながら展望に優れ、延長21kmと歩き甲斐もあって面白そうだが、さすがに時間が足りない。足立山だけならばメモリアルクロス→小文字山→妙見山→足立山→砲台山→妙見神社のコースが半日行程でちょうど良さそう。今回はこのコースを歩くことにする。
午前中の所用を済ませたのち、デイパックにトレラン用シューズという、出先で軽い山歩きをするときのいつもの服装に急いで着替え、コンビニで昼食のパンとペットボトルのお茶を買い込んで、小倉駅南口からタクシーに乗車。登山口の「メモリアルクロス」に向かう。途中の市街から、行く手に意外と急峻な山容の足立山を望む。標高598mの低山とはいえ、ほぼ海抜0mから立ち上がっているので、登り応えはそこそこありそうである。
小文字(こもんじ)通りを上富野五丁目交差点で右折。陸上自衛隊富野分屯地への道を左に分け、深い緑に覆われた小文字山山麓の車道を上がって、メモリアルクロスの駐車場に到着。タクシーを降りる。運賃は1,480円也。駐車場の十数台分のスペースは平日にも拘わらず満車。みんな小文字山に登っているのだろうか(結局、山中ではハイカーさん数人にしか会わなかったから、ほとんどが散歩に来た人の車だったようだ)。
小文字山の登山口には、その山名の由来を記した案内板がある。それによると、昭和23年に福岡県下で開催された第3回国体で小倉が高校野球と自転車競技の会場となり、選手歓迎の催しとして、標高366mの峰で京都の大文字焼きになぞらえた「小」の火文字が焼かれた。これは戦後の混乱期にあった市民に多大な感銘を与え、翌年からは8月13日に焼かれるようになった。山麓の小文字町、小文字通りなどの地名もこれに因むとのこと。
メモリアルクロス(国際連合軍記念十字架)は木立に囲まれて建つ大きな十字架で、これも終戦直後の史跡だ。朝鮮戦争(昭和25〜27年)中、北九州の港と飛行場から多くの国連軍将兵が朝鮮半島に向かい、多くの戦死者が帰ってきた。当時の駐留米軍小倉師団の司令官が戦死者の慰霊のため、朝鮮半島の方に向けて建てたものとのこと。往時は小倉を見渡す展望ポイントだったそうだが、現在は眺めはない。台座には「IN HONOR OF THE FALLEN HEROES OF THE UNITED NATIONS」と刻まれている。
登山口のベンチでパンの昼食をとったのち、登山道に入って登り始める。クヌギやコナラが緑濃く繁茂する急な山腹に一直線につけられた木の階段道を急登する。ピッチを上げたらすぐに暑くなって、Tシャツ1枚になる。やがて草地が広がる急斜面に出る。ここが「小」文字が焼かれる場所で、草地を登り上げると小文字山の頂上に着く。
山頂は小広く開けて360度の展望が得られ、366mの低山とは思えない爽快さがある。西には山麓のメモリアルクロスや住宅街を俯瞰し、小倉市街や関門海峡に臨む工業地帯を一望する。南には足立山へ続く稜線を仰ぐ。ベンチもあり、休憩にうってつけの頂である。
小文字山からは、タブノキやシロダモ、クロキなどの常緑樹林を切り開いた稜線上の良い道を辿る。眺めのある場所は限られるが、途中にベンチが置かれた小ピークがいくつかあり、妙見山や足立山を望むことができる。足立山から左に延びる稜線は戸の上山へと続いている。もしかしたら行けるかもと思っていたが、戸の上山はやはり遠く、さすがに半日での縦走は無理と得心する。
足立山へは一旦、鞍部に下る。道の左側には鉄条網付きのフェンスが続く。その向こうは自衛隊分屯地の敷地で、こんな山奥にあるということは弾薬保管庫などがあるのかも。
鞍部から登りに転じ、急な山腹を右にトラバースして、回り込んで急登。樹林に覆われたピーク上の浅い窪みに妙見神社上宮がある。石灯籠やコンクリ造りの拝殿、大きな石祠が浅い水溜まりの中に建ち、ちょっと不思議な雰囲気の神社だ。
神社の前の細い参道を下ると石鳥居と狛犬がある。鳥居は「安永三甲午(1774年)春」の銘がある立派なものだ。下山ルートの砲台山・妙見山登山口への道を右に分け、左の足立山への尾根道に入る。
赤土の急坂につけられた木の階段道を登る。途中、単独行のハイカーさんとすれ違う。やがて傾斜が緩むと、足立山の頂上に登り着く。
頂上は小広く、一等三角点標石とベンチ、山名標識がある。北面がススキ野原となって眺めが開け、小文字山の向こうに小倉市街や関門海峡を一望する。ススキの穂に隠れ気味だが、北東には戸の上山、西には皿倉山も見える。視角が北に限られるので、開放感では小文字山頂上にやや及ばないが、標高が高い分、遠望が楽しめて、ここもなかなか休憩にうってつけの頂である。時刻はまだ二時半だが既に太陽は傾き始め、ススキの穂に朱を帯びた西日が照り映えて、冷たい風にそよぐ。晩秋らしい風景だねえ。
頂上で休んでいるうちにさすがに寒くなったので、長袖シャツを着て下山にかかる。頂上から少し下がると小文字山が良く見え、関門海峡の奥に架かる関門大橋も指呼できる。
妙見神社上宮への道を右に見送って、砲台山・妙見山登山口への道を下る。山腹をトラバースすると杉の大木が並び、参道らしい風情がある。緩い尾根上を進むと砲台山と妙見山登山口の分岐点に着く。新しい道標あり。折角だから砲台山にも立ち寄ろう。
尾根を直進すると、コンクリ造の土台や屋根のない小屋?、石垣などが現れる。ちょっと登ると開けた広場に出て、ここが砲台山の頂上だ。名の通り、かつては砲台があったのだろうか。頂上の一角には、カルスト地形のように石灰岩が露出している。振り返ると、足立山が頂上に向かってキリリと引き絞られた山容で眺められ、低山にしてはカッコいい。
分岐に戻り、妙見山登山口へ下る。山腹を斜めに横切り、急な尾根をジグザグに下る。途中で男女のハイカーさんと交差する。遅い時間だが、頂上で夜景でも見るのかな。雨水で深く抉れた掘割状の山道を下って、山麓の園地に降り着く。
ここには猪に跨った公家の石像が建ち、「足立山と猪に乗る和気清麻呂公像」と題する説明板にその由来が書いてある。曰く、和気清麻呂公は皇位を奪おうとした僧弓削道鏡の邪望を打ち砕いたが、その恨みを受けて足の筋を斬られ、大隅国(鹿児島)に左遷された。その途中、船が豊前国(大分)宇佐の海岸に着くと、猪が公を乗せて宇佐神宮に送ってくれた。そこで、ある山の麓の霊泉に浴すれば足の傷が癒るという神勅を承け、その通りにすると不思議にも治ったので、この山を足立山と言うようになりました、とのこと。足立山というどちらかというと平凡な山名に、そんな謂れがあったとは大変面白い。
登山口の脇にある足立山妙見宮(妙見神社)にもお参りする。770年に和気清麻呂公によって創始された神社とのこと。境内の白砂は綺麗に掃き清められ、風格のある社殿には小さな草履が多数奉納されている。足の神様として信仰を集めているそうである。
妙見神社から「黒原(くろばる)階段」という長い階段で住宅街の中を下り、黒原一丁目交差点を渡ると「黒原一丁目」バス停がある。振り返れば、砲台山と足立山が間近に険しく聳える。3時間弱の短い行程だったが、その割には山らしい山だったし、好展望にも恵まれ、歴史的に興味深いスポットもあって変化のある山歩きが楽しめた。企救自然歩道の縦走はやりたかったなー。またの機会があるだろうか。程なくやって来たバスに乗車して、小倉駅に戻った。