長見山〜天狗風切地蔵
北ア・遠見尾根の小遠見山(2007m)から派生して南東に延びる天狗尾根には、かつて「五竜とおみトレッキングコース」と称する登山道が拓かれ、小遠見山から天狗岳(1940m)、天狗ノ頭(1927m)、長見山(1665m)を経て、サンアルピナ白馬さのさかスキー場に通じていた(右図)。現在も国土地理院の地形図には破線路が記載されているが、実際には1990年代後半に廃道となっている。
私はこのコースを、廃道化して間もない1999年に、廃道とは知らず、さのさかスキー場から登って小遠見山に抜けたことがある(山行記録)。道型はまだ残っていたが、藪化が酷く、その上、雨の中を強行して歩いたため、景色も見えず、小遠見山に辿り着くことで精一杯。コースの様子については断片的で微かな記憶しかない。
この山行には一つ心残りがある。それは、コース半ばのピーク上にある石仏「天狗風切地蔵」を見たのに、写真を撮っていないことである。
風切地蔵とは、白馬に吹く突風「岳おろし」や害虫から農作物を守り、風邪や疫病をもたらす悪霊を追い払うというお地蔵様で、天狗尾根の他に遠見尾根地蔵の頭、八方池、小蓮華山頂上、千国街道沿いの落倉、鬼無里と白馬を結ぶ柄山峠などにあるという。
他の風切地蔵へは道があるが、道のなくなった天狗風切地蔵を訪れることは難しい。殊に最近は山上の石仏に興味を持つようになったから、何であのとき撮っておかなかったかなあ、と後悔の念が高まるが、カメラをザックから取り出すのも億劫な程の雨降りだったし、有り体に言えば遭難の一歩手前だったから、そんな余裕はなかった。
ネット検索しても、その後、天狗風切地蔵を見た記録は全くない。天狗尾根を積雪期にスキー等で踏破した記録はあるが、雪に埋もれた石仏を発見することはまず不可能。確実に見つけるためには雪のないときに行くしかなく、藪漕ぎは必須となる。
しかし、今年は異常な少雪で雪消えが早い。時期が早い程、草藪が少なくて、藪漕ぎの労が減る可能性はある。天狗風切地蔵に辿り着いて見つけられるのかどうかは分からないが、積年の宿題を片付けるためにチャレンジする頃合いか。気合いを入れて行ってみますか。テレキャビンは営業期間外なので、さのさかスキー場から天狗風切地蔵、可能ならば天狗岳まで足を延ばして往復する予定で出かけてきました。
桐生を車で深夜の1時半に出発。北関東道、上信越道、白馬長野有料道路(夜中は無料)を経由して、さのさかスキー場に4時半に到着。R148沿いの第一駐車場に車を置く。ここは夏季は姫川源流・親海(およみ)湿原の駐車場として開放されているから好都合。WCもある。途中のコンビニで買ったおにぎりを朝食に頰張っているうちに明るくなって、長見山の稜線が空にくっきりと浮かぶ。
準備を整えて出発。駐車場の奥から大糸線の踏切を渡り、左に延びるさのさかスキー場のゲレンデ内の未舗装の作業道を登る。
背後から陽が昇り、振り返れば戸隠山や高妻山が眺められる。ふと気がつくと、ゲレンデで一頭のカモシカがのんびりと草を食べている。写真を撮ったらあちらもこちらに気がついて、おっとり逃げて行った。作業道をショートカットし、ゲレンデのトップを目指して直登。草刈りされた斜面では、ススキの枯れ葉の間からワラビがたくさん伸びている。
直登で一汗かいて、ゲレンデトップに登り着く。山麓を眺めると、緑の山並みの中にひっそりと佇む青木湖の湖面が見える。
ゲレンデトップの右端から古い林道に入る。路面は荒れ、落石が多いが、道型は明瞭で幅広く、藪もない。まずは上々の滑り出しだ。林道は新緑のブナ林の山腹をトラバースし、それからジグザグを切って登る。雪はないが、途中横断したガレ沢に雪渓の欠片が残っていた。例年ならば、この時期、林道にもべったり雪が残っていると思われる。
やがて尾根上の平地に建てられた電波塔に着く。コンクリの土台がいくつか残っていて、他にも大きな電波塔があったらしい。前回も電波塔があったと記録はしているが、どんな電波塔だったか記憶はない。
幅広い林道はここまで。この先は傾斜を増した林道に灌木が生えて、山道くらいに幅を狭めている。しかし、獣が通るのか、道型は依然として明瞭。順調に登る。途中に放棄されて雪の重みで潰れたジムニーがあり、昔はこんなところまで車で登れたらしい。
大きくジグザグに登り、やがて傾斜が緩んでくると笹が山道に侵入してきて、ついに身の丈を没する笹藪漕ぎとなる。しかし、まだ道型は明瞭で、木の階段の痕跡などが残っている。前回は、この辺りで雨が降り出して、雨具を着たっけ。当時よりも笹藪は酷く、道に覆い被さる笹の下を腰を屈めて進む。雪に埋もれていた笹藪には煤けたような汚れが付いていて、これを搔き分けると腕や胸が黒く汚れて辟易する。なので、今日は今回限りで捨てるつもりのボロいTシャツを着ている。
緩やかな尾根上に着くと、笹藪漕ぎもmax。カラマツの植林帯の笹藪で道型が途切れる。藪を漕いで再び、道型が現れるも、長見山の手前でついに道型は消滅。破線路を離れて、長見山の頂上を目指す。長見山には前回登っていないから、ピークハントするつもりではあった。灌木と笹に覆われた頂上は平坦で広く、最後はGPSを頼って三角点標石を見出す。木の梢に「三角点」とマジックで書かれた境界見出標が掛かる他は、山名標の類はない。樹林に囲まれて展望もなし。
長見山の頂上からブナ林の平坦な稜線を辿る。破線路は長見山を巻いて稜線に上がってくるから、道型が残っていれば稜線上のどこかで合流するはずだが、笹藪に覆われて痕跡も見当たらない。
それでもしばらくは笹藪が疎らで歩きやすいが、雪の重みで横倒しに伸びる灌木藪が現れると、跨いだり潜ったりして通過しなければならないから労力が増す。緩く平坦な稜線が続いたのち、1633m標高点へは短いが急な坂を登る。ここには木の階段の痕跡が残っていて、かつては確かに登山道があったことを示す。登り着いた1633m標高点のピークには、灌木藪と笹藪が密生する。ううう、これは酷い。
灌木藪と笹藪に覆われた緩くて広い稜線を辿る。残雪を越えると1682m標高点のピークに登り着く。頂上だけ笹が低くて平地がポッカリと開け、正面に端正な三角形の山容の天狗ノ頭と天狗岳を見る。そして、笹に埋もれた石仏を発見。思わず、あったー\^o^/と叫ぶ。見つかるか不安だったが、見つけられて良かった、良かった。藪漕ぎの甲斐があった。頂上に登り着いてこんなに喜んだのは、久し振りかも。
頂上の様子は少し記憶にあるが、前回は笹原がもっと広く感じた。ガスに巻かれていたためだろう。今日は天気が良く、360度の展望が得られる。天狗岳の右には遠見尾根アルプス平や奥に八方尾根。左に目を転じれば、頂上には雲がかかるが、まだ雪を纏った五竜岳・鹿島槍辺りの高峰が眺められる。平地に腰を下ろし、鯖味噌煮をつまみに残雪で冷やした缶ビールで祝杯を上げる。
天狗風切地蔵の前の笹を搔き分けて寝っ転がり、じっくりと眺めて、お姿をカメラに収める。達観したかのような表情のお地蔵様だ。「明治十五午(1882)年 石工賢三」と刻まれている。
後日読んだ、長沢武著『北アルプス白馬連峰 その歴史と民俗』には「天狗尾根の風切地蔵」という一節があり、次のように記されている。
滝沢大滝の上部で、月夜棚からの尾根は天狗尾根といっしょになり、西行して天狗岳に続いているが、その途中の尾根上に、鹿島槍ヶ岳をバックに東方を向いて安置されている地蔵尊がある。明治十五年、石工賢三、沢渡郷中と刻まれている。
建立の趣旨は地元沢渡区に語り継がれているように、大風からムラを守るために祀られたもので、風切り地蔵とか風除け地蔵と呼ばれている。
建立に至った背景は、そのころたびたび大風に見舞われ、大被害が続いたからで、明治十一年旧二月四日夜には七之丞の十一間に六間の住家が大風で倒れた。十三年旧四月晦日夜にも大風が吹き、村中に大被害が起こり、ようやく伸び出した麻も風のために全滅し、蒔きなおしをしている。
十五年の旧二月十四日夜も大風が吹き、家々に大被害がでている。
石工の賢三は佐野区扇屋の人で御岳行者でもあった。このころは各ムラに御岳行者が多く、白装束で祈禱をして歩いた。
大風に悩まされた村人の願いからこの地に建てられたお地蔵様であることがわかる。現代では風で家が倒れるようなことはなさそうだが、今でもお参りする人はあるのだろうか。
さて、ここからどうしようか。余裕があれば天狗岳まで往復するつもりだったが、この先は手強い灌木藪に覆われた痩せ尾根の登りで、標高差が約250mある。天狗岳まで登り2時間くらいか。ちょっと大変だな。天狗風切地蔵を再訪して写真を撮るという目的は達しているので、ここで引き返すことにしよう。天狗岳はまた心残りになりそうだが、残雪期に小遠見山から往復すれば楽だろう。
ということで、往路を戻る。藪の薄いところを適当に選んで歩いているので、後でGPSのログを見ると、往路と復路で違うところをフラフラと歩いている。長見山の頂上で昼食とし、日清麺職人担々麺を作って食べる。これ、結構美味いな。
長見山から下って道型に出るが、まだ笹藪は続く。ようやく笹藪を抜け、電波塔まで来れば、あとは気楽な林道の下りだ。正午を回って日差しが強く、もう初夏のような陽気。鮮やかな新緑を愛でながら下る。
ゲレンデに出、駐車場まで作業道を辿って下る。直射日光を浴びて暑く、眼下の青木湖に飛び込みたい気分。ゲレンデ脇の林では、もうハルゼミが鳴いていた。
帰りは、せっかく白馬村まで遠出してきたので、白馬三山も眺めていこう。白馬八方温泉みみずくの湯に立ち寄る(600円)。ここは八方尾根を滑った帰りにも寄ったことがある。今日はまだ時間が早いのか、お客さんは少ない。汗と笹藪漕ぎで付いた汚れをさっぱり洗い流す。露天風呂から、まだまだ残雪に覆われて白く雄大な白馬三山を眺める。やはり、北アの高峰はスケールが大きい。
風呂上がりにソフトクリームを食べた後、桐生への帰途につく。帰宅後、鏡を見たら、首から上と腕がしっかり日焼けしていて、眼鏡の跡がパンダになっていた(^^;)