おかぼ平〜陣近平
やまの町桐生の「梵天山」の記事の略地図に、「おかぼ平」という変わった名前のピークが記載されている。やまの町桐生では未踏で記事がなく、以前から気にかかっていた。ネットで検索しても、ハイトスさんが「梵天山、大畑山」に登った際の復路で登頂されているくらいしか山行記録がない。正月休みの最終日に近場で軽い山歩きをしようと考えて、このピークを思い出した。麓の小平からおかぼ平の往復だけでは行程が短過ぎるので、さらに北へ尾根を辿って荒神山稜の789m標高点(あとで陣近平という山名があることが判明)まで足を延ばすことにし、Kさんに同行頂いて出かけて来ました。Kさんの記事はこちら→おかぼ平〜陣近平。
桐生を車で出発し、小平の大杉の駐車スペースに車を置く。おかぼ平へは小友と茂木に分岐するY字路の間の尾根に取り付いて登る。Y字分岐にある民家(大杉の家)の庭先を通るので、一言挨拶しておこうと玄関から声を掛けると、奥さんが出てこられた。おかぼ平について尋ねると、旦那さんがこの辺りの山に詳しいのだが、散歩中でご不在とのこと。帰りにまた立ち寄らせて頂くことにする。
民家の右横手に十二神社があり、お参りしたのち、神社裏手の杉林の斜面を登り始める。期待していた道型は全くなく、後ろにひっくり返りそうなくらいの急登である。ハイトスさんはよくこんな急な所を降りたなあ。なんとか尾根に乗り上げると、多少は歩き易い。
ようやく傾斜が緩んで、なだらかな肩のような場所に登り着くと、厚く積もった落ち葉に半分埋もれた石祠がある。掘り出すと、「天保四癸巳(1833)年七月吉日」の銘があった。
赤松の混じる雑木林の尾根を緩く登る。藪はなく、低木の小枝がちょっと煩いくらいである。やがて平坦なピークに着く。TVアンテナの残骸が立つ他は、目印となるものは何もないが、ここがおかぼ平のようだ。木立を透かすと、大畑山から789m標高点にかけての稜線が眺められる。一休みし、水分とお菓子を口に入れる。
おかぼ平から広い尾根を僅か下って、緩く登り返す。杉の植林帯に入ると、日陰から吹き上がる風が冷たい。杉林から再び雑木林となり、尾根を登る。所々の立ち木に赤テープがあり、こんな所を登る人もあるようだ。
やがて赤松が生える尾根となる。左側斜面が伐採されていて、大畑山がスッキリと眺められる。意外な好展望地である。
尾根は斜度を増して、ところどころに露岩が現れる。疎らな木立を透かして、鳴神山から丸山へ続く山稜が眺められる。最初の尾根の取り付き程ではないが結構な急坂となり、一直線に尾根を登って行く。
やがて傾斜が緩むと、そこはもう789m標高点の肩にあたる個所である。ほとんど平らな尾根を辿り、789m標高点のピークに到着する。ここで昼食とし、パンやコーヒーを頂く。直ぐ先に荒神山稜の縦走路が通る。この縦走路は以前歩いたことがあり、そのときもここで昼食としている(山行記録)。まだ緑のある季節の曇りの日だったから、冬枯れで晴天の今日は別な場所のような印象をもつ。
下山は、789m標高点の南西側の谷を茂木の集落へ下るルート(登山道なし)をとる。大畑山に向かって縦走路をしばらく辿り、小鞍部から下り易そうな斜面を選んで、谷へ下降する。落ち葉の積もった急斜面にくっきりと獣道がついており、これを利用させて貰って谷底に着く。
広く緩い谷は杉の植林に覆われ、流水はない。枝打ちされた枝葉がふかふかに積もるが、歩き難いという程ではない。この谷をずっと下る。両岸は急斜面で岩壁が結構多い。結果的にうまいルートで谷に降りて来られたようだ。
谷に沿って下るとボロボロの廃屋が現れ、そのすぐ先で車道に出る。車道を突っ切って谷を下ると再び車道が現れ、砂防堰堤を右岸から巻いて堰堤下に出る。さらに車道を下ると茂木バス停(みどり市「電話でバス」)があり、その横に3つの朱に塗られたお堂と多数の石仏がある。
一番大きなお堂に掛かる木札によると、茂木には昭和10年代には29戸程の民家があったが、現在(平成14年)は3戸になったとのことである。かつては大きな集落だったことに驚き。林業を生業としていたのだろうか。その他のお堂は、猿を御神体とする山王様と目の神様と言われる薬師様を祀る。石仏の中では柔和なお顔の馬頭観音が一番目を惹いた。
茂木のお堂から車道を下って小平の大杉に戻る。分岐の民家を再度訪ねた所、ご主人のM氏が在宅でお話を伺うことが出来た。おかぼ平の平坦な頂上では、かつて陸稲(おかぼ)を作っていたらしい。また、789m標高点は陣近平(じんちかたいら)と呼ばれていることも教えて頂いた。新しい山名が判ったのは大収穫だ。その他、付近の山についていろいろな話を伺った。お礼を述べておいとまし、帰途についた。