高社山

天気:
メンバー:M,T
行程:高社神社 8:30 …胴結場 10:10〜10:30 …高社山(1352m) 11:40〜12:35 …胴結場 13:20 …高社神社 14:20
ルート地図 GPSのログ(赤:往路、青:復路)を地理院地図に重ねて表示します。

高社山(こうしゃさん、たかやしろやま)は善光寺平の北端に聳える独立峰である。志賀高原や野沢温泉へスキーに出かける度にすっくとした美しい山容を目にしていて、以前から興味を惹かれていた。この週末に思い立ち、Mさんに同行頂いて登って来ました。

桐生を朝5時半に車で出発。北関東道、上信越道を経由して信州中野ICで高速を降りる。八風山トンネルを抜けて長野県に入った辺りでは厚い雲が空を覆っていたが、陽が高くなるにしたがって青空が広がり、天気予報のとおりの快晴となった。今日は暑くなりそうだ。

白い花が一面に咲くリンゴ畑を眺めながら高社山山麓を走り、赤岩コース登山口の高社神社に到着。神社裏手の空き地(かつてのゲートボール場?)に車を置く。神社左脇の狭い車道を隔てて登山者用WCがある。

まずは高社神社に参拝する。立派な社殿の後ろに回ってみると歌碑や霊神碑などの大きな石碑が幾つも建ち並び、近隣から篤い信仰を集めている様子が窺われる。

高社神社
高社山を仰ぐ

高社神社左の車道を上がると広域農道?の車道に出て、ここに「高社山登山道入口」という新しくて大きな案内看板が立つ。ツアー登山の団体が貸切バスで到着したところで、大勢のハイカーさんがたむろしている。今日は大賑わいの山になりそうだ。

案内看板にしたがって車道を登ると左手の墓地に入る道があり、再び案内看板がある。この周辺に路駐しているハイカーさんも多い。入口には「従是頂上七拾弐丁 文久三(1863)癸亥…」と刻まれた石の道標が建ち、この道が昔ながらの登拝路であることを示している。

登山口の案内看板
墓地から登山道に入る

墓地を抜けて山道に入ると満開の菜の花畑に出て、線刻の不動明王像が建つ。傍らに「高社山登山道十三仏復元事業」という新しい石碑もあり、これによると数年前に5つの石仏が復元されたそうだ。不動明王にも折れて修復した痕跡があり、このあと知ったところによると、廃仏毀釈により損傷を受けたらしい。

不動明王
線刻不動明王像

山道は小尾根の上を緩く登って行く。左側は谷厳(こくごん)寺の敷地で、緑深い樹林の中に金色の大仏数体がおわし、シュールな眺め。忠魂碑、電線が撤去された送電鉄塔を過ぎると線刻の釈迦如来がある。

金色の大仏様
送電線のない送電鉄塔

新緑に覆われた尾根をだらだらと登る。チゴユリやヤマブキの花が多い。電気牧柵を感電しないように注意して越え、文殊菩薩を過ぎる。

尾根を緩く登る
ヤマブキ

やがて普賢菩薩に到着。傍らに天狗の飛び石という苔むした大岩がある。ここの説明板によると、高社山は薬師様、その守護神として御嶽様、天狗様を祀っているそうだ。

天狗の飛び石
薬師如来

鮮やかな新緑に感嘆しながら尾根を登る。地蔵菩薩、薬師如来と、次々に線刻の石仏が現れて楽しい。観音菩薩の所にはベンチが設置され、樹林の切れ間から高社山の頂上稜線を望むことができる。

新緑の樹林
観音菩薩

尾根上の道は次第に傾斜を増し、標高が上がるにしたがって緑が淡く薄くなる。見上げると梢にタムシバの白い花がちらほら。この花を見ると、雪国の山に来たことを実感する。

タムシバの花もちらほら
勢至菩薩
頭は欠けている

勢至菩薩を過ぎ、擬木の階段もある急坂を登る。登山道の両脇はイワカガミの光沢のある葉で覆われ、ポツリポツリと花が咲き始めていた。もう少し日にちが経つと見事な群落が見られそうだ。

急坂を登る
咲き始めのイワカガミ

急登をこなして稜線上に登り着くと小広い草原があり、ベンチ、阿閦(あしゅく)如来と大日如来の石碑、「胴結場」と書いた道標がある。ベンチに腰を下ろして一休み。今日はすごく暑い。長袖シャツを脱いでTシャツ1枚になり、ポリタンの水を飲む。ここから高社山を良く眺めることができ、山腹に突き出る黒々とした岩峰(大黒岩)が目を引く。

胴結場(土用場)
胴結場から高社山への稜線

稜線を登ると、十三仏最後の虚空蔵菩薩がある。稜線を辿る間、左(北)側山麓からパーン、パーンという乾いた音が続けざまに聞こえ、ちょっと気になる。木の間を透かして山麓を見おろすと、雪がすっかり消えたスキー場が広がる。音の元はどうもその近くの射撃場らしい(後日検索すると確かにあった)。

ブナの生えた稜線を登ると八幡神の石祠が祀られた小ピークに着く。行く手には御嶽(高社山西峰)とその左奥に高社山(東峰)が現れる。ここから稜線の右(南)側が開けて、斑尾山や雲間から白銀の頂を現した妙高山、水田が光る善光寺平の展望を楽しみながら歩く。

稜線を登る
八幡神の石祠
展望の良い稜線を歩く
斑尾山と妙高山を遠望

登山道は痩せた稜線を巻いて少し下る。稜線上に石柱が建っているので近寄ってみると、「御大禮 奉祝 登山記念…」の銘があった。

この先の左手の岩壁にぽっかりと開いた岩室がある。また、右手には岩場(天狗岩)があり、脇道が付いている。ます岩室を覗いてみる。中には祠が祀られ、楽に雨宿りできる広さがある。傍らの説明板に、高社山の信仰を要約した次のような文が記されている。

奈良・平安の昔から高社山お山そのものを神体として崇め、薬師如来を祀り岩屋を奥の院とした。明治の初め廃仏毀釈の難に遭い、登山道に建てられてあった石仏たちも毀され辛うじて薬師本尊は谷厳寺に現在安置され六十年に一度開帳されるという。今は高社神社の奥宮とし少名彦名尊・大国主尊を祀る。

岩室が今日のように広げられたのは明治の初め御嶽行者の湯本佳六(武比古厳父)の努力による(以下略)。

高社山には、三種類の信仰が集まっていることが判る。

稜線を巻く(右が天狗岩)
岩室

岩室を出て、岩場にも立ち寄る。岩場の突端には「奉納御大典記念 昭和三年十一月」と刻まれた石柱が建ち、善光寺平を俯瞰して頗る展望が良い。また、高社山中腹の大黒岩も近くに見える。後ろの岩棚には格子が嵌った岩穴があり、中に何やら神様が祀られている。

天狗岩に建つ御大典記念の石塔
天狗岩から大黒岩を望む

登山道に戻り、短い鎖場を越えてブナ林の急な尾根をジグザグに登ると御嶽(西峰)の頂上に着く。ここの石祠は大変大きく、私が今までに見た中で最大級で、偉容を誇っている。このピークも眺めが良く、高社山頂上は目前だ。その向こうには雪の残る志賀高原の山々がなだらかなスカイラインを延ばしている。

短い鎖場を越える
ブナ林の急坂
御嶽の石祠
高社山頂上を望む
遠景は志賀高原の山々

最後は木々が低くなって陽当たり良好の稜線を辿る。いやー、暑い暑い。頂上直下で道端の残雪を缶ビールと共にビニル袋に入れる。登り着いた頂上は2基の石祠を中心に小広く開けて、ほぼ360度の展望が得られる。ハイカーさんも多く、大賑わいだ。頂上の一角に陣取って、まずは残雪でキンキンに冷やしたビールで乾杯。喉の乾きを癒した後、ラーメンを作って昼食とする。

食事を済ませたのち、じっくり山岳同定を楽しむ。頂上には展望盤が設置されており、役に立つ。今日は展望が期待できると思って、双眼鏡も持って来てある。

まず東から南にかけては志賀高原の竜王山、東館山(この辺はゲレンデスキーで滑ったことがある)、赤石山、左に緩い稜線を引く横手山、兜のような山容が目立つ笠ヶ岳が見え、さらに上信国境稜線の御飯岳、四阿山までずいいーっと眺められる。これらの山々はもう残雪が少ない。南には生き生きとした緑が眩しい善光寺平が一望できる。

高社山頂上
高社山頂上から志賀高原の山々を望む

西側の眺めは、展望デッキから良く眺められる。御嶽(西峰)の向こうに斑尾山がなだらかな稜線を広げ、その奥には雲間から妙高山や火打山が白い頂を覗かせている。左に目を転じると黒姫山や高妻山が続き、遠くには白馬岳まで眺められる。残雪の北アを目にして、Mさんはかなり行きたそうな様子。

北には飯山盆地を隔てて、低いながらも雪が豊富な関田山脈が長々と横たわる。こちらの残雪の山歩きもなかなか魅力的だなあ。野沢温泉スキー場トップの毛無山から志賀高原に繫がる稜線の上には、鳥甲山の白くて鋭い頂が頭を覗かせている。

高社山頂上の展望デッキ
展望デッキから御嶽、斑尾山を望む
遠方に白く高妻山、妙高山

頂上の上空には、パラグライダー数機が(Mさん曰く)クラゲのように遊泳している。山麓のスキー場から離陸して、上昇気流に乗って飛んで来たのだろう。御嶽(西峰)からこちらに向かって団体ハイカーさんの長い隊列がぞろぞろとやって来るのが見え、程なく頂上はさらに大賑わいになった。展望を堪能したら、下山しよう。

地形図には御嶽から南の尾根を下る破線が記載されているが、密藪に覆われてそれらしい道は全く見当たらない。大人しく往路をそのまま辿って、高社神社に戻った。

タムシバ
ムシカリ

帰りはR292からちょっと脇道に入った田園にある長嶺(ながみね)温泉に立ち寄る(400円)。建物の外観は新し目だが、中はレトロな宿屋風。宿泊もできるらしい。内湯と露天風呂が分かれていて、露天風呂に入る。少し加熱しているが掛け流しとのことで、なかなか良いお湯である。

長嶺温泉
リンゴの花と高社山

信州中野IC手前の酒屋で小布施の日本酒、上信越道に入って小布施PAで栗きんとんろーるをお土産に買い、栗ソフトクリームを食べて(これは美味い)涼んだのち、桐生への帰途についた。