天狗山〜熊倉山
天気予報によると、この土曜日は急速に発達した低気圧により冬型の気圧配置が強まり、北日本では暴風雪、関東地方は良く晴れるが寒気が厳しく風が強いとのこと。そんな天気ならば、低山歩きにしよう。甘楽町にあり、群馬百名山でまだ登っていない天狗山に行くことにする。
群馬百名山では標高667m三角点のあるピークを天狗山としているが、地元で天狗山と言えば一つの頂上を指すのではなく、「白倉(しらくら)のお天狗さま」として知られる白倉神社が鎮座する山域を「お天狗山」と称しているとのこと。白倉神社の神様は数十年前に山麓の里宮に遷座したが、今も立派な社殿が残っているらしい。
白倉神社の主な参道には、小幡側宝積寺からのものと白倉側からのものの二つがあり、現在は共にハイキングコース(甘楽町HP内 PDF)として整備されている。今回は、山岳信仰の跡を残す白倉側参道から白倉神社を訪ね、それだけでは行程が短過ぎるので、この付近の最高峰の熊倉山と「お菊」伝説ゆかりの地の菊ヶ池も合わせて周回してきました。
桐生を車で発ち、太田藪塚ICから北関東道に乗る。高速の上から眺める赤城山は中腹から上がすっぽりと雪雲に覆われて、すごく寒そう。上信越道に入って吉井ICで降り、R254を西へ進むと、石鳥居と大きな天狗面、「金光山白倉神社入口」の看板が建つ交差点がある。白倉神社へは交差点を左折して南に向かう。
道なりに進み、甘楽ふれあいの丘の入口を過ぎると白倉神社の里宮がある。近くの公民館に車を置いて石鳥居をくぐると、こじんまりとした境内に社殿と神楽殿、社務所が建つ。説明板によると、白倉神社の創建は奈良時代の宝亀三(772)年で、大変古い。春と秋の例祭には太々神楽(だいだいかぐら)が奉納されるそうだ。
さらに白倉川に沿って車を走らせる。最終民家を過ぎると簡易舗装の狭い林道となり、やがて舗装も切れる。山峡(やまかい)奥深く分け入って登山口の直前まで走るが、最後の凍結した急な曲がり坂が上がれず、200m程バックして道端のスペースに車を置く。登山口まで上がることができれば、数台分の駐車スペースがある。ここから鋭角に左に折れて入る道が白倉神社の参道で、しっかりとした道標がある。
参道に入ると、最初は単調な杉林の中の作業道を歩く。伐採された斜面の下を通ると、岩の間から水が滲み出す場所があり、紙垂の新しい注連縄が張られて「かなごの滝」という木札が下がっている。滝はどこなのか不明。雪が付いた丸木橋を慎重に渡ると山道となり、水の少ない沢に沿って登る。
やがて谷が狭まって小さな岩場が現れる。対岸にケヤキの大木があり、その根元に苔むした不動明王が祀られている。傍には「ふどうの滝」という木札が下がる。沢は階段状の岩場を流れ下り、小滝をかけている。岩場をジグザグに登って、滝の上に出る。
杉の大木の並木を通ると、朱塗りの一ノ鳥居に着く。ここにも新しい注連縄が張られている。鳥居をくぐると正面から枯れ沢が出合い、苔むした古い掛樋がある。今は水が涸れているが、夏は流れているのかな。ここには「大滝」という木札が下がっているが、この滝もどこなのか不明。傍には「天明七(1787)未六月吉… …児玉郡小堀村 井上…」と刻まれた石祠が祀られている。
大滝から右に折れて河原状の斜面を進み、石段を登って社務所に着く。表戸の隙間から中を覗いてみたが、何もない。社務所右手の山腹を斜めに登ると、杉の大木が立ち並ぶ尾根に出る。注連縄が巻かれたご神木もあり、神域の雰囲気が漂う。尾根を登ると大岩があり、岩の上に白倉神社の社殿が見える。なかなか立派な磐座で、昔の人がここに神様をお祀りしたのも不思議はないと思う。
朱が鮮やかな二ノ鳥居をくぐって白倉神社の境内に入る。両脇に大天狗と烏天狗の石像が建ち、正面に社殿、左に神楽殿がある。神様は里宮に移られているが、社殿の正面には新しい紙垂が下がり、今も信心の篤い方がお参りしているようだ。神楽殿も立派で、往時の例祭の賑わいが想像される。
神楽殿の右脇から短い坂道を登って、天狗山の南の鞍部に出る。反対側の山腹は広く伐採され、熊倉山や稲含山、西上州の展望が一気に開ける。と同時に強風が吹き付けて来て、寒さに震え上がる。鞍部のすぐ右の、ピークとも言えない緩い高まりが天狗山の頂上だ。冬枯れの明るい雑木林に囲まれて「天狗山666.7m」という山名標が立つ。標高666.7m三角点の標石はこの先少し下った地点にあるのだが、訪ねるのをうっかり忘れてしまった。
天狗山から鞍部に戻り、南に続く尾根を登る。藪はなく、歩き易い。露岩のある痩せ尾根を登ると、右の山腹から峠道が上がって来て合流する。
峠道はかつては往来が多かったようで、ところどころで深く掘り窪み、道型は明瞭だ。しかし、今は歩く人は藪山派ハイカーくらいで稀なのか、落ち葉が厚く積もり、倒木や藪が行く手を塞ぐ箇所もある。
途中で、無名峠に向かう尾根通しの道型を右に分け、小柏峠に向かう左の道に入って、山腹をトラバースする。けもの道とさして変わらない細い踏み跡を雪が覆い、凍っていたらちょっと怖いトラバースだ。今日は雪が柔らかいので、問題はない。
山腹から東西に延びる主稜線(藤岡市・甘楽町の市町界稜線)の上に出た所が小柏峠だ。杉林に囲まれた峠には、二体の石仏が祀られている。一体は風化が進んで銘は読めないが、もう一体は馬頭観音で「明治九(1876)子三月十八日 新井定吉」と刻まれているのが読める。明瞭な峠道が、稜線を乗り越して藤岡市側の杉林の中に続いている。
小柏峠から市町界稜線を西に辿って熊倉山に向かう。最初にちょっと登りがあり、小ピークを越えると、右の甘楽町側から峠道が上がって来る。この辺が無名峠(名前がないので仮にそう呼ばれている)のようだ。
この先は左が杉林、右が雑木林に囲まれた平坦な稜線が続く。登りがないので楽だが、展望もないのでいささか単調だ。そろそろお昼だから良い場所があれば休もうと思うが、寒風が木の間をビュウビュウ吹き抜けて、休める場所がない。
稜線をゆるゆると登り、最後にひと登りすると熊倉山の頂上に着く。三角点標石と古い山名標があるだけで、樹林に囲まれて展望はなく、あまり頂上らしくない頂上だ。この先の稜線が少し標高が高そうに見えるので足を延ばしてみたが、同じような植林帯の尾根が続くばかりで、何もない。
ふと左側を見ると、稜線直下に作業道が通じている。その辺りの杉林の中は傾斜も緩く、ところどころに陽も差し込んで休めそうだ。風を避けて陽だまりに腰を下ろし、昼食とする。今日はお湯を沸かして、インスタントの天ぷらそばを作る。寒い日は温かいものが美味しいなあ。
昼食後、熊倉山の頂上に戻って、北面にあるお菊の祠に下る。この下りは、ウェブの情報でかなりの急斜面と聞いていたので、念のため軽アイゼンとスパッツを付ける。雑木林の落ち葉が積もる斜面をテープのマーキングに導かれて急降下する。雪が薄く積もり、地面が凍って固い。しかし、少し下ると傾斜が緩んで積雪も減ったので、軽アイゼンは外す。
落葉した明るい雑木林の斜面をどんどん下る。この下りはなかなか気分が良い。調子に乗って変な方向に行かないように気をつける。テープを注意深く追って行けば大丈夫だ。
やがて下に青い屋根が見えて来ると、お菊の祠に着く。屋根の下には、「明和五(1768)萬…立 眷属夜… 金比羅大権現 菊池山神」と刻まれた石祠と石像が祀られている。
お菊の祠から左(西)に少し下がった所が菊ヶ池と呼ばれている場所だ。ここには次のような「お菊」伝説がある。小幡家の下女のお菊は、当主信貞の椀の中に知らずに針を落としたまま膳を整えたために信貞の逆鱗に触れ、桶の中に押し込められて蛇責めの拷問を受け、菊ヶ池に桶ごと沈められて亡くなった。そして、小幡家代々に祟りをなしたという。
今は池はなく、樹林の中に大岩が積み上がっている。「奉納 世話人 田村藤兵衛 同 佐一郎」と刻まれた水盤があり、岩の上には「空菊女之霊位」と刻まれた石碑や観音像、石祠、石仏が祀られている。
菊ヶ池から引き返して帰り道につく。真っ暗な杉林を通り抜けると、林道に出る。この林道を下るが、大きく蛇行しているので結構長く感じる。低山ではあるが、それなりに奥が深い山という感じがする。
やがて幅広い林道に出、左に小幡・宝積寺へ下る林道を分けて、右のお天狗山への林道に入る。ジグザグに登って天狗山西面の伐採地が見えて来ると、雪が一面に積もった広場に着いて林道は終点となる。この辺りが大平と呼ばれる場所らしい。今日は雪があるので難しいが、ここまで車で上がることが出来れば、天狗山はもう目と鼻の先だ。
伐採地の脇の山道を登って天狗山の南の鞍部に上がり、もう一度展望を楽しむ。熊倉山はすでに逆光の中、西上州の山々も霞んで見える。白倉神社を経由して往路を戻り、車を置いた登山口に下り着いた。
帰りは、甘楽ふれあいの丘の上にある「かんらの湯」に立ち寄る(600円)。休憩室では大勢のお年寄りがカラオケで盛り上がっているが、浴室は混んでいない。ゆっくり湯船に浸かって温まったのち、桐生への帰途についた。
参考URL:クタビレ爺イの山日記の「不思議な山・甘楽天狗山」、「甘楽の里山遊び」、「甘楽・天狗山から熊倉山」の記事を参考にさせて頂きました。