中沢山
金曜日に東京に出張した序でに、週末は横浜の実家に帰省。土曜日は雨が降ったので、家でのんびり過ごしたが、日曜日はすっきり晴れたので、神奈川県内の軽い山歩きに出かけることにする。山渓の分県登山ガイドを参考にして、津久井湖北岸に連なる稜線(通称、南高尾山稜)の一峰の中沢山に登って来ました。
実家を車で発って津久井湖に向かう。城山ダムは渡らずに津久井湖北岸を走って、峰ノ薬師表参道口付近に車を置く。表参道口の約100m先の路側に数台分の駐車余地がある。また、約100m手前にはポケットパークがあり、津久井湖と城山の眺めが良い。ここは、相模川八景の一つ「津久井湖と津久井城址」に選定されているスポットだそうだ。なお、ポケットパークに駐車場はない。
表参道口には「峯ノ藥師表參道口 山上境内 姿三四郎決闘の場」と刻まれた大きな石標が建つ。カーブで見通しが悪いので、車に注意して車道を渡り、石段を登って参道に入る。
参道は落ち葉が散り敷く幅広い山道で、急な山腹を丁寧にジグザグを切って登っている。途中の道角には安政年間の石像・石碑があり、古くから参拝の往来があったことが窺える。
参道を登り、短い石段を上がると峰ノ薬師前の広場に着く。左には事務所やWC、右にはベンチと「姿三四郎決闘の場」の石碑がある。私は、紅三四郎や1・2の三四郎ならばよく見た世代で(^^;)、姿三四郎はこれらの源流を成す小説ということくらいしか知らない。しかし、後世、強い柔道家の代名詞となり、ここに記念碑が建つ位なので、相当人気があったのだろう。フィクションだが、どんな決闘だったのか、興味が湧く。
事務所の前では管理人さんと地元?のおじさん連が世間話に興じ、ベンチでは年配のハイカーさんが津久井湖の展望を楽しんで休憩中。そこそこ人はいるが、参拝客と思しき人影はなくて、ちょっと寂れた印象の境内だ。
広場の正面には子安地蔵の石像と、峰ノ薬師の由来を記した説明板がある。それによると、峰ノ薬師は1492年創建と伝えられる古刹で、薬師如来を本尊とし、東京の新井薬師、高尾山の薬王院、大山の日向薬師とともに、武相(武蔵・相模)四大薬師に数えられている、とのこと。なかなか由緒ある薬師様だ。
真っ赤に色付いたモミジを潜って奥に進むと鐘楼があり、「鐘三つ撞(つ)いたら金十円奉納」という札がある。生憎、十円玉の持ち合わせがなかったので、鐘を撞くのは止めておく。
その奥に本堂が建つ。コンクリ造りの味気ない建物で、少々がっかり。失火で焼失した後に再建されたものらしい。
本堂の右手からは津久井湖や城山の展望が良く、都心部の高層ビル群まで遠望できる。さらに参道をジグザグに登る。背後から、ゴーン、ゴーン、ゴーンと鐘の音が響いて来る。誰かが10円玉を投じて撞いたようだ。
石段を上がると峰ノ薬師の奥ノ院が建つ。この建物もコンクリ造りで、正面入口にはシャッターが降り、一見、閉店した店舗みたいで、全く有難味がない(^^;)。外階段で一階屋根に上がると、一応、ご本尊を拝むことはできる。
奥ノ院の左手から幅広い山道を緩く登る。行き合うハイカーさんがだんだん増える。「←峰ノ薬師守護金比羅様」という道標に従って山道から右に逸れて階段を登り、赤鳥居を潜ると、杉の木立に囲まれて石祠がこぢんまりと祀られている。
山道に戻り、色付き始めた樹林の中、平坦な尾根を辿ると、多数のパラボラアンテナを備えた電波塔が次々に現れる。フェンスに沿って歩き、城山湖・草戸山への道を右に分ける。城山湖は木の間から湖面が僅かに覗ける。分岐の先にも電波塔があり、計4基もある。
分岐から僅かに下って三沢峠に着く。複数の家族連れのグループがベンチで休憩していて、子供達が辺りを走り回って元気に遊んでいる。その脇では、単独行のおじさんが額の汗を拭いながら一休みしている。今日はあまり寒くなく、むしろ暖かい。それにしても、いろいろな人がハイキングを楽しんでいるなあ。
登山道は三沢峠で尾根上を行く道と巻き道に分れる。巻き道と言っても、小さなピークを巻いてすぐ先で合流するので、大して得する訳ではない。このあとも小ピーク毎に巻き道があり、どちらを歩いても良い。
やがて、巻き道と尾根上の急な階段道の分岐に着く。階段道の方を指して「←泰光寺山」という道標があるので、ここは泰光寺山を踏まねばなるまい。今日一番の急坂を登り上げると、泰光寺山頂上に着く。木立に囲まれて展望はないが、日溜まりの中で雰囲気は明るい。休憩に打ってつけのベンチもあり、ここでミカンやお菓子を食べて一休みする。
泰光寺山から少し痩せた尾根を下ると西山峠に着き、南北に峠道が通じている。しばらく尾根上を進み、それから左の山腹をトラバースする巻き道に入る。この巻き道は中沢山の手前まで続く。この辺りで、大勢のハイカーさんとすれ違う。高尾山から城山を経由して縦走して来るハイカーさんが多いようだ。
巻き道を進むと、アオキが繁茂した杉林に入る。南斜面なので陽が射し込んで、アオキの葉が青々として綺麗だ。やがて、「三井水源林→」という道標があり、山腹を南に下る踏み跡が分岐する。誰かが道標に「不明路」と追記しており、下り口は確かに少々怪しい気配がする道だ。
分岐からすぐで、樹林が切り開かれて南面が開けた「展望台」に着く。津久井湖の湖面を俯瞰し、対岸の三ヶ木の町並、石老山を眺め、丹沢山塊を遠望する。目を凝らすと、石老山の稜線の上に富士山の真っ白な頂きが覗いているのが見える。なかなかの好展望だ。ベンチもあり、休憩しているハイカーさんが多い。しかし、登山道沿いで人通りが多いため、長居はしにくい。もう少し先に進んで休もう。
再び、「三井水源林→」の道標があり、南に下る踏み跡が分岐する。復路はここから下る予定だ。杉林に覆われた尾根を緩く登ると中沢山の巻き道に入り、ベンチのある小さな広場に着く。中沢山に登る前に、ここのベンチで大休止。パンとペットボトル飲料で昼食とする。
中沢山の頂上へは、「中沢山→ 標高492.4m」という道標から分岐する山道を登る。縦走路は相変わらずハイカーさんの往来が多いが、如何にも地味そうな中沢山の頂上に立ち寄るハイカーさんは少ない。
我々は中沢山が最終目的地なので、もちろん頂上を踏みに行く。僅かな登りで頂上に登り着く。樹林に囲まれて展望はない。頂上の小広い平地の真ん中に聖観音(しょうかんのん)像が建つ。そう古いものではなく、何故ここに建立されたのか、経緯は不明だ。
中沢山頂上から往路を戻ってベンチに下り、さらに三井水源林の分岐まで戻る。ここから南面を下る踏み跡に入る。最初は笹が少し被さるが、道型は明瞭だ。すぐに三井水源林案内図の看板があり、下山コースを確認する。三つあるコースの中では「のんびりコース」が一番楽そうだ。
案内看板のすぐ先は明るく開けた斜面に出て、最近、笹が刈り払われた山道がジグザグに下っている。刈り払いされないとすぐに笹藪に埋もれそうな山道なので、そういう時期に歩いたハイカーさんが道標に「不明路」と書き足したのだろう。今日は歩くのに全く問題ない。
展望を楽しみながら下ると、ススキと笹原の中にベンチがあり、おじさんのハイカーさん二人が寛いでいるところだった。このベンチは展望が良く、周囲の山肌には紅葉もちらほら眺められる。人通りもほとんどなくて穴場だ。こっちで休憩すれば良かったなあ。
展望が開けた斜面をジグザグに下り、樹林帯に入る。急斜面を削って拓いた幅広い道が通じ、かつての林業用作業道を利用して歩道を整備したようだ。右に「急坂コース」を分け、左の「のんびりコース」を下る。
急峻な山腹の植林帯を、大きくジグザグを切りながら高度を下げる。山麓から賑やかな歓声が聞こえて来る。何かイベントやっているのかな。右から急坂コースを合わせると、山麓の名手の集落に出る。逆コースの場合、三井水源林の入口に道標がなく、取り付き点が分かりにくい。
降り着いた辺りの集落は、津久井湖に緩く落ちるスロープに瀟洒な民家が点在し、ちょっと別荘地っぽい雰囲気がある。集落を抜け、津久井湖北岸の山腹を横切る狭隘な車道を歩く。ギャーギャー騒ぐ声が聞こえ、何事と思ったら、サルの群れに遭遇した。
再び民家が現れると、三井(みい)の集落に入る。集落を通り抜けて三井バス停を過ぎれば、駐車地点までは僅かの距離だ。
帰りは車で津久井湖に架かる三井大橋を渡って、南岸の津久井又野公園に立ち寄る。公園のサッカー場では小学生チームの試合が行われていた。下山途中で聞こえた歓声はこれだったようだ。ここから見上げる南高尾山稜は平坦な稜線を連ねて、中沢山のピークは判別し難い。山腹の紅葉はここから見てもなかなか綺麗だ。
津久井湖に架かるもう一つの橋の名手橋にも立ち寄って、吊り橋の上から湖の展望を探勝したのち、R16で少々渋滞に巻き込まれつつ、横浜の実家へ帰った。