木曽御嶽山
お盆休みに海外の高峰に登る予定のMさんから、この週末は高度順化のためにどこか高い山に一泊して登りたいとのリクエストがあった。高度に馴れるのに効果がありそうな高山といえば富士山だが、この時期の富士山の小屋は激混みなので避けたい。北ア・南アの3000m峰も候補になるが、テント泊を考えてもやはり混みそう。
いろいろ考えて、木曽御嶽山(3067m)を思いつく。夏期は御嶽講信者と百名山狙いのハイカーで大賑わいだそうだが、北ア・南アよりは混まないだろう。山上に山小屋も多く、キャパは十分。ネットで調べると、五ノ池小屋という山小屋が良さそうだ。
私にとっても未踏の百名山に登れる好機だし、群馬県内のあちこちの山にある御嶽信仰の本家本元という点でも大変興味を惹かれる。いくつかある登山口のうち、最も歴史が古い黒沢口から周回する計画を立てて、Mさんと共に出かけて来ました。
前日に五ノ池小屋に電話して、宿泊予約を入れる。黒沢口から横手道経由で小屋に向かうと伝えると、途中に雪渓があり通過に注意して下さい、と親切にアドバイスを頂く。
桐生を午前4時に車で出発。上信越道を佐久ICで降り、和田峠、塩尻峠を経由して、R19中山道を木曽川に沿って南下する。今日は青空が広がる絶好の登山日和だ。木曽福島の先でR19から分岐して、御嶽山の山麓を走る。途中には夥しい数の霊神碑が立ち並ぶ。その数は全山で二万あるいは三万とも言われているとか。
意外と狭い車道をジグザグに登り上げ、六合目中の湯の駐車場に到着する。駐車はそこそこあり、ハイカーさんがパラパラと出発していく。陽射しはジリジリと照りつけるが、既に標高1810mの高所なので、空気はカラッとして爽やかだ。我々も準備を整えて出発。小屋泊まりで荷が軽い分、果物やお酒をたっぷり携行する。針葉樹林の中を緩く登るとすぐに中の湯の建物がある。かつては下山後に風呂に入れたそうだが、既に廃業して久しい。
次の参拝休憩所も営業していない。木陰の道をゆるゆる登ると、御岳ロープウェイの頂上駅からの道を合わせて、七合目行場山荘に着く。信仰登山のための小屋で、レトロな佇まいが好ましい。涼しげな店先では、ちから餅などを販売している。ロープウェイ駅から近いので、ここまでは観光客も来るようだ。店員のお姉さんが客待ち顔だが、ベンチでちょっと休憩しただけで先に進む。
ここから傾斜が増して、針葉樹林をジグザグに登る。やがて高原状の緩い斜面に出ると樹高が低くなり、陽射しが背中を炙る。この辺りから行き会うハイカーさんが増える。老若男女、家族連れと幅が広い。
森林限界を抜けると八合目女人堂に着く。ここも霊神碑が多い。一気に展望が開け、行く手には御嶽山の頂上稜線が高く、谷筋には雪渓が白く光る。北には乗鞍岳の秀麗な山容と北アを遠望する。ベンチで休憩し、梨を食べて喉の渇きをいやす。
女人堂から剣ヶ峰・二ノ池方面への道と別れて、三ノ池への横手道に入る。御嶽山を左に仰ぎ、広大なハイマツのスロープを斜めに登って行く。高山的な景観が素晴らしい。山麓には一面樹林の開田高原を俯瞰する。振り返ると女人堂の屋根が見え、遥か向こうに中央アルプスのほぼ全山が眺められる。
やがて雪渓とナメ滝のある谷に近づく。崖のある急斜面をトラバースし、ところどころで桟道を通る。横手道はなかなか変化があって、意外に面白い。最初の雪渓を横断。次の雪渓が大きくて割れている。五ノ池小屋のアドバイスはここのことだろう。雪渓の下流を問題なく渡る。枝沢に水が流れているので、ここで昼食とする。私はお湯を沸かしてカレーうどんを作る。食後のデザートにグレープフルーツ。果物は水分ばかりで重いが、美味しくて疲労回復には持ってこいだ。
雪渓から小さなお花畑の斜面を登り、岩場のある急斜面を木の階段でジグザグに登る。
行く手が開け、ハイマツに覆われた浅い谷の上に三ノ池避難小屋が見える。ザレた道を登って木造の祠のある開田頂上に着く。すぐ前に三ノ池を望む絶好のロケーションだ。プレハブ造りの避難小屋は3人くらいは横になれそう(宿泊は緊急時のみ可)。三ノ池の畔には白木の鳥居と小祠、石像が建ち、青帝龍王大権現を祀る。祠の傍らにたくさんの柄杓が置かれており、御嶽講の信者さんはこれで水を汲んで持ち帰るそうな。
三ノ池の左側の岩とハイマツの斜面を登り、二ノ池方面と五ノ池を結ぶトラバース道に上がる。高い所から見おろす三ノ池は、湖面に青空と白い雲を映し、回りを囲む白いザレと緑のハイマツのコントラストが美しい。オンタデやハクサンイチゲ、イワベンケイなどの花が咲く斜面を下り気味にトラバースし、大龍霊神の石碑を通って五ノ池小屋に到着する。五ノ池に面し、摩利支天山の鋭峰を仰ぐ場所にあり、東西の山麓の展望も抜群だ。
宿泊手続きを済ませ、指定された寝床に荷物を解く。時間に余裕があるので、最小限の装備を持って継子岳と四ノ池を周回してくることにする。まず、小屋のすぐ裏手の飛驒頂上(2811m)の祠に参る。扉金具が金ぴかの新しい祠の周囲には、古い霊神碑や石像が多数並ぶ。特に不動明王像と猪に乗った摩利支天像が珍しい。飛驒頂上から継子岳に続く広くて緩やかな稜線を辿る。
稜線上の砂礫地にはコマクサが咲いている。見頃を過ぎて少ししおれているが、一面にピンクが散在して見事な群落だ。もう少し早く来たかったな。右手に四ノ池の大きな窪地、左手に濁河温泉付近の山麓を眺めながら、ハイマツと砂礫の緩斜面を登ると、板状の岩が立ち並ぶ針の山と称する小ピークに着く。継子岳の頂上はここから僅かの距離だ。
広々とした継子岳の頂上からは360度の展望が得られる。振り返るとハイマツ原の彼方に御嶽山の頂上台地がでんと聳え、左奥には剣ヶ峰がちょこんと頭を出している。それ以外の三方は山麓に向かって雄大な斜面となり、見おろすと広大な森林の中にスキー場や道路等の人工物がポツポツと散在する。独立峰ならではの山麓の眺望が素晴らしい。
継子岳から四ノ池に向かう。砂礫の稜線を辿ると「黒沢口高天ヶ原第十九番」という御影石の標識がある。同じタイプの標識はこれ以降あちこちの地点で見かけたので、御嶽山黒沢口の信仰登山ルートに置かれているようだ。
コマクサの群落を通り、イワギキョウやタカネツメクサを愛でながら稜線を辿ると継子二峰。ここから、山麓を俯瞰しながらの少し急な下りとなる。
砂礫地を下って、四ノ池の流れ出し口に降り着く。四ノ池には水は溜まっていないが、豊富な流水がある。流れ出した小川は崖から滝となって落ちているそうだが、上からは見えない。小川の両岸はお花畑となり、山上に隠れた別天地だ。小川を渡り、対岸のハイマツの斜面を緩く登る。
三ノ池と四ノ池を振り分ける小尾根に上がり、両側に池、正面に飛驒山頂の祠を見ながら小尾根を登る。こちらから見る三ノ池も、澄んだ紺碧の水を湛えて美しいの一言。
最後は左にトラバースして鞍部に出、五ノ池小屋に戻る。ザックを寝床に置き、酒とつまみを取り出して小屋の前のベンチに陣取る。まずは缶ビールで乾杯。最初の一口が最高に旨い。鯖缶や豆類をつまみに、ビールがなくなったらウイスキーをちびちび。夕食前なので控え目のつもりが、いつの間にかウイスキーを結構空けていた。
夕食は17:15から。100人のキャパのある小屋だが、今日の宿泊客は30人くらいのようだ。ご飯、味噌汁はお代わり自由。おかずはかき揚げ等でまあまあ。美味しく頂く。夕食後は酔いも回って寝床に横になる。夜8時からロンドン五輪男子サッカー日本vsエジプトのラジオ実況中継をイヤホンで聞く。3-0で完勝\^o^/。気持ち良く寝につくが、暑くて熟睡という訳には行かなかった。
夜中には大粒の雨が降ったが、夜が明けると今日も青空が広がる良い天気だ。下界には雲海が広がっている。5:15から朝食を頂き、パッキングをして小屋を発つ。まず、摩利支天山を目指す。稜線上は風が吹き渡って、Tシャツ一枚だと寒いくらいだ。
岩とハイマツの急斜面を斜めに登り上げると岩場のある摩利支天乗越に着き、目の前に剣ヶ峰の眺望が開ける。古びた木造の祠があり、岩場の上には猪に乗った摩利支天像が置かれている。弓矢を番えた三面六臂の像で、憤怒の形相がリアルで見事だ。
摩利支天乗越から摩利支天山に往復する。左側はサイノ河原越しに剣ヶ峰を望み、如何にも火山らしい地形だ。摩利支天山へは痩せた岩稜が続き、道は岩稜の下をトラバースして付けられている。岩陰には石碑が点々と建ち、タカネシオガマやオンタデが咲いている。痩せた岩稜に上がると摩利支天山の頂上だ。継母岳のゴツゴツした岩峰が印象的で、Mさんは登頂に興味を示している。休憩して展望を楽しんだのち、摩利支天乗越に戻る。
摩利支天乗越から砂礫の道をサイノ河原に下る。正面にはアルマヤ(阿留摩耶)天という名の小ピークがちょこんと天を指している。五ノ池からのトラバース道と合流し、サイノ河原避難小屋に着く。こちらの避難小屋は内部の板敷きの間が広い。
Mさんが、アルマヤ天のピークが気になると言うので、ルートから外れて立ち寄ってみる。途中に遭難慰霊碑があった。11月に吹雪で遭難したらしい。溶岩が積み上がったアルマヤ天の頂上には、風化した木造の祠の他に、薬師大神を線刻した丸石が置かれていた。
アルマヤ天からコマクサの保護地を除けつつサイノ河原に下る。サイノ河原には石積みの塔と石仏がそこここに建ち、霊山らしい景観だ。
サイノ河原から広い斜面を登ると二ノ池新館に着く。大きな山小屋で、入口には「♨お風呂あります」という看板も建つ。宿泊者は既に出立したあとらしく、小屋はしんと静まっている。
砂礫の斜面を一ノ池に向かって登ると、やがて左側に二ノ池の湖面とその畔に建つ二ノ池本館の山小屋を見おろす。そちらから法螺貝を吹く音や般若心経を唱える声が風に乗って流れて来て、信仰の山らしい雰囲気にしばし耳を傾ける。
稜線に登り着くと、そこは一ノ池を円形に取り囲む稜線の一角だ。岩場の一角に火炎の彫りが深い不動明王像が祀られている。やはり本家本元の石像物は見事な物が多いな。一ノ池は僅かに水が流れる広くて浅い窪地で、向かいに剣ヶ峰が聳える。ここから一ノ池の周囲をぐるっと回って剣ヶ峰に向かう。途中には、三十六童子の石碑が点々と並んでいる。
一ノ池の周回は大した上り下りはないが、3000mの高所を歩いているせいか、結構足が重い。右(西)側は山麓に向かって溶岩原の広大な斜面が展開し、高度感がある。やがて継母岳も眼下に見えて来る。頂上付近が岩稜となった迫力ある山容だ。ここから継母岳の往復は出来るだろうが、高度差があって結構大変そう。
さらに稜線を辿ると、右側は崩壊が進む地獄谷の源頭となり、灰色と黄土色の地肌がむき出しの大絶壁が連なる。対岸の台地からは白い噴煙が立ち上り、覗き込んだ谷底にも噴煙を上げる個所がある。吹き上がって来る風には硫黄の臭気が微かに混じり、御嶽山が活火山であることを実感する。荒涼とした稜線を辿り、溶岩が積み上がった剣ヶ峰への最後の登りに取り付く。岩場を攀じ上ると剣ヶ峰頂上の社務所の裏手に登り着く。
社務所の表に回ると頂上広場で、そう広くない広場はハイカーさんで大賑わい。御嶽神社奥社に詣でた後、広場の一角に腰を下ろして休憩する。360度の展望で、眼下には浅い皿のような一ノ池が広がり、一段下がったところには二ノ池の水面が光る。その向こうの三ノ池はあいにくガスの中だ。2個目のグレープフルーツを食べて元気回復。しばらく休んだら、下山にとりかかるとしますか。
頂上から急な石段を下ると、たくさんの山小屋が軒を連ねている。富士山のようだ。王滝頂上の方から、砂礫の尾根をハイカーさんが続々と登って来る。これも富士山に似た光景だ。王滝口への道を右に見送り、黒沢口・二ノ池方面に下る。こちらも行き交うハイカーさんが多く、ホンマモンの山ガールも見かけた(^^)
二ノ池に向かって下ると途中に覚明入定之地があり、小さな丘の上に霊神碑や石像が林立する。覚明(かくめい/かくみょう)は徳川末期の行者で、御嶽信仰を一般大衆に開放し、その後の隆盛を導いた先駆者とのこと。
二ノ池に着くと、白装束の信者さんが池に向かって礼拝しているところだった。対岸には厚さ5mくらいありそうな雪渓があり、澄んだ水を湛えた湖面に影を映している。二ノ池本館の前のベンチに腰掛けて一休み。信者さんが唱える般若心経が湖面を渡って行く。
さて、下山の続き。二ノ池から黒沢口の道に合流し、山腹の階段の道を下ると覚明堂で、岩場を背に僧衣を風になびかせた覚明の銅像が建つ。入定した覚明はここに葬られたという。覚明堂休泊所(休業中?)と石堂山荘を過ぎるとガスの切れ間から眼下の展望が開けて、ハイマツ原の中の道を歩くハイカーさんの列と、ずっと下の女人堂の屋根を望む。
菅笠に白装束の信者さんのグループとすれ違う。腰の曲がった相当高齢の方も登っていて、信仰の力は強い。明治不動の銅像と三笠山刀利天の石像を過ぎ、「金剛童子」と呼ばれる地点に着く。ここにはたくさんの霊神碑、石像が集まっている。ハイマツ原をトラバースすると八合目女人堂だ。昼食にお湯を沸かし、天ぷら蕎麦を作って食べる。あとは往路と同じ道を戻る。
六合目の駐車場に戻ると、頂上の涼しい気候に慣れたせいか、ここですら暑い(^^;)。それにしても、御嶽山は多くのピークと池、宗教モニュメントがあって変化と見所に富み、とてもいい山だった。高度順化も多少は効果があったかな。
帰りは御岳ブルーライン沿いの鹿ノ瀬温泉に立ち寄る(450円)。人里離れた山中の渋い宿で私好み。鉄錆系の泉質の掛け流しで、温泉らしくて良い。脱衣所が狭いのが珠に傷かも。さっぱり汗を流したのち、桐生への長い帰途についた。