蚕影山〜高鳥屋山〜十二山
先週程ではないけれど、この日曜日もやっぱり寒いので、遠出は止めて近場の山歩き。やまの町桐生の記事で読んで、以前から気になっていた蚕影山(こかげやま)に登り、ついでに赤柴山脈の二座も周回して訪ねて来ました。
すっかり寝坊して、11時近い時間に出発。しかし、登山口の川内町駒形までは車でわずか20分程なので、問題ない。駒形の集落の道端の広い所に車を置く。
車道を少し戻った所が平久保の入口で、山の端の斜面に庚申塔や馬頭観音などの石碑、石像4基と山神宮の祠がある。祠には、お正月にお供えされたらしい鏡餅とミキスズ(御神酒を入れた竹筒)が残っていた。
入口から3分も歩けば平久保の集落で、数戸の民家があり、その背後に蚕影山が聳えている。小さな山だが、岩と松を配した山肌は急峻で、桐生の里山の中では異色の景観だ。
平久保から蚕影山へは、かつては左右それぞれの谷から参道が通じていたと言う。今回は左の谷から登路を探ってみる。平久保ダムへの工事専用道路(すぐにゲートがあり、車両通行止)を辿ると、沢を隔てて蚕影山の岩壁が良く眺められる。ダムに近づくと道路は枯れた草藪に塞がれ、人の訪れが絶えて久しい様子。平久保ダム(2001年3月完成)は高さ10mの小さなダムで、冬場の渇水期のためか、全く湛水していない。
ダムを越えた所で道路は終点となるが、その先に木枠の階段が続いている。ダムの上流にもう一つ、スリット型の巨大な砂防堰堤(2004年?完成)があり、これを越えるための付け替え歩道らしい。それにしても、この歩道を覆うイバラの密藪は凶悪だ。ここは鉈が欲しいかも。トゲに引っかかれながら、枯れ枝をへし折って前進する。
歩道は砂防堰堤を越え、幅広い山道となって沢の奥へ通じている。これが昔の参道だろうか。石垣を組んだ立派な道だ。道の脇には清冽な沢水が流れ、ちょっと神さびた雰囲気がある。沢を渡る箇所には、ボロボロに朽ちた木橋がかかっている。
歩き易い道が沢沿いに続くが、登るにつれて段々荒れ始める。最後は林道梅田小平線に突き当たって山道は消滅し、再びイバラとの格闘となる。藪と揉み合っている最中に、林道を一台の乗用車が通って行った。もしもこっちに気づかれていたら、不審に思われたに違いない(^^;)
ようやく林道に出て一息入れる。振り返ると、蚕影山の綺麗な三角形の山容が眺められる。ところで、山道はこの先どこに続いていたのだろう。林道を越えて上流には道型はない。蚕影山に向かっていた山道が、今は林道の下になっているのだろうか。謎が残る。
僅かに雪の残る林道を右に進んで、蚕影山に向かう。尾根の切り通しの手前から、微かな踏み跡に入る。急斜面をトラバースすると小さな岩尾根の上に出て、蚕影山がすぐそこに見える。
ここから辿る尾根は赤松の幼樹が密生し、倒木が行く手を阻んで、ごく短い距離だが歩きにくい。最後に短い坂を登ると、蚕影山の頂上に着いた。
頂上は狭く、高さ約1mの石垣の上に祀られた石祠がある。流造の屋根の正面には「蚕影山」、祠の側面には「明治廿三年寅旧三月」と刻まれて、彫り込みには朱が残っている。頂上を囲む疎らな松の木立の間からは四方の眺めが得られ、先週歩いた花台沢の頭〜鳴神山の稜線がよく見える。
祠のすぐ先に陽当たりの良い平地があり、ここで昼食にする。今日は寒い&行程が短いので、250ccの小さい缶ビールを飲み、お湯を沸かしてベヤングソース焼きそばを食べる。
昼食後、尾根を林道に戻る。ここからさらに尾根を北に辿って、十二山に直接登るという案も考えていたが、林道の擁壁が高く、取り付ける場所がない。また、赤柴山脈上のピークで南西に見える706m三角点(通称、高鳥屋山)も気になるところだ。時間の余裕は少なくなるが、林道を経由して高鳥屋山に登り、十二山に縦走することにする。
林道(梅田小平線)は舗装されているが、擁壁の上から落ちて来た岩屑が散乱している。車で通行する時は要注意。林道からは鳴神山が良く眺められる。金字型の山容は、名山の風格がある。その手前には、蚕影山が岩と松を纏った険しい山肌を見せている。
林道を辿り、赤柴山脈を越える無名の峠まで行く。林道は峠を越えて、その先(小平)まで続いているようだ。車でここへ来る場合は、駒形側はひどく荒れた未舗装区間があるので、小平側からが良さそうだ。
峠から高鳥屋山へ、赤柴山脈の主稜線を辿る。疎らな雑木林のゆったりとした稜線で、意外と雰囲気が良い。木の間から赤城山や袈裟丸山の白い姿が遠望できる。眺めが効く代わりに、そちらの方から寒風が吹き付けて、寒い寒い。
最後にひと登りして、高鳥屋山の頂上に着いた。樹林に囲まれているが、冬枯れの木立を透かして、鳴神山脈や山麓の堂場辺りの集落が見える。三角点の標石の他は、R.K氏の標高プレートがあるだけの静かな頂きだ。時間の余裕がだんだん少なくなってきたので、写真数枚を撮ってすぐに引き返す。
峠から高鳥屋山へは、往復30分程だった。林道を横断し、主稜線を十二山に向かおう。ここも林道の高い擁壁が続くが、小平側に少し進んだところに木の階段があり、稜線に上がることができる。
主稜線上にはっきりした道はないが、藪もなく、快適に歩ける。笹と疎らな雑木林の尾根を歩くと、急な坂に差し掛かる。これを登りきると、行く手に赤松に覆われたピークが現われる。あれが十二山かな。ちょっと痩せた尾根を小さく上下して、十二山の頂上に到着した。
こちらの頂上も疎らな雑木林に覆われ、木の間越しに少し近くなった鳴神山が望まれる。三角点の標石のほか、ハイトスさんが設置した山名標が古色蒼然となって、梢に架かっている。登り始めた時は青空だったのに、今は灰色の雲にすっかり覆われて、薄暗闇が迫って来た。しかし、あとは下るだけだ。ミカンとお菓子を食べて、ゆっくり休憩する。
十二山からは十二峠、赤柴を経由して駒形に下る。頂上の北斜面の下りには、乾燥した粉雪が薄く積もっている。鞍部から小ピークに登り返し、進路を右に変えて尾根を急降下する。この下りはかなり急で、手掛かりとなる木立も疎らだ。滑らないように慎重に下る。
下りきってようやく傾斜が緩むと、杉の木の間に石祠がある。屋根の正面には「十二山神」、側面には「大正十四年一月吉日」、「小平中」と刻まれている。今でもお参りする人があるのか、祠の前には新しい酒瓶が残り、小銭のお賽銭が上がっていた。
祠の少し先に稜線が僅かに窪んだ個所があり、ここが峠道のようだ。しかし、峠から下る道は、どちらの方向も道型が微かだ。
赤柴側は、すぐ下を稜線に平行して林道梅田小平線が通っている。ここも擁壁が高く、林道に簡単に降りられる個所がない。石祠の方に少し戻った所の擁壁の切れ目から、急斜面を立ち木を頼りになんとか下って、というか、ずり落ちて林道に出た。
かつては、十二峠から赤柴つり堀まで峠道があったそうだが、杉林に覆われた真っ暗な谷間で、道型は全くなさそう。大人しく、林道を下ることにする。
路面に薄く雪が残る林道を歩く。鳴神山の赤柴登山口を経由して、そう遠回りにはならず赤柴つり堀に着いた。こちらから十二峠道を見ても、不気味な廃屋の裏手に暗い杉林が広がり、ちょっと探索する気にはなれない。
さらに、荒れた未舗装の林道を下って、廣土橋に出る。灰色の空を背景にした高鳥屋山を眺めながら、駐車地までの残りの道程を歩いた。