赤萩丸山〜萱野山〜笹久保山
川内公民館でMさんと合流して名久木に向かい、大日堂橋手前の空き地に車を置く。川向こうには、名の通りお椀を伏せた様な山容の丸山が見える。橋の袂には石の古い道標があり、「右庚申道」と刻まれている。今日の山歩きは、Kさん、Mさんと共に、道標が指し示す庚申道から丸山に登り、鳴神山脈主稜の萱野山、小倉尾根の霊符尊神の石碑と笹久保山をぐるりと辿る予定だ。Kさんの書いた記事はこちら。
大日堂橋を渡ってすぐの道端には、文政三(1820)年の馬頭観音がある。丸山の尾根の末端にある民家の裏手に回ると、数基の庚申塔と宝永三(1706)年の青面金剛像が立ち並ぶ。桐生近郊で新たに見つける青面金剛は久し振りなので、お二人と喜んで写真を撮る。
庚申塔から金比羅宮への参道を登る。尾根の上に明瞭な道型が付けられているが、なかなかの急坂だ。金比羅宮には、赤い石祠が祀られていた。比較的新しいものなので、参拝に訪れる人がいるのだろう。
参道はここまでだが、この先も、雑木林と杉の植林地の境界の尾根で藪はなく、歩き易い。急坂を登り、丸山の三角点に到着した。ここでちょっと一休み。木の間を透かして、そう遠くないところに鳴神山脈の主稜線が見える。
丸山から一旦下った鞍部は笹と倒木でちょっと藪っぽいが、登りに転じると再び歩き易くなる。このあたりにはカルスト地形があるそうで、実際、石灰岩らしき露岩が点在しているのを見た。
北風が強まると共に、上空にいかにも重たそうな灰色の雲が押し寄せて来て、とうとう雨がぱらつき始めた。雨具を着ると止むんだよね〜、とぼやきながら雨具を出して着る。この登りの途中には、極楽とんぼさんの遭難地点を示すプレートがあったはずだが、風で飛ばされたのか見当たらなかった。
低い笹原が出て傾斜が緩くなると、鳴神山脈の主稜線に着く。この頃には天気が回復し、青空が広がった。極楽とんぼさんの慰霊碑に追悼の念を捧げ、ここで会った代表幹事さんのことを思い出す。縦走路の脇に腰を下ろして、ちょっと休憩。吾妻山〜鳴神山の縦走路はポピュラーなハイキングコースだが、今日は天気が怪しいせいか、誰も通らない。
休憩後、縦走路を南下する。すぐに城山へ急な下り道が分岐し、「岡平」の新旧の標識を見る。この先の稜線は東側斜面が伐採されているため、桐生川を隔てて仙人ヶ岳の眺めが良い。しかし、伐採跡地の灌木が育って、丈が高くなって来たので、この展望が楽しめるのも今のうちだろう。
見晴しの良い稜線から杉林に入る。縦走路は萱野山の頂上を右から巻いているので、道を外れてイバラの藪に入り、頂上に向かう。あっという間に山頂着。桐生市街からは端正な三角形の山容で望まれる萱野山だが、現地に来ると展望皆無の地味な山頂だ。三角点標石と楚巒山楽会の山名標、R.K氏の標高プレートだけがある。
藪の中を下って縦走路に復帰すると、すぐに自然観察の森への尾根(小倉尾根)分岐点に着く。以前、ここにあった桐生倶楽部歩く会の古い道標は、支柱の木が腐って倒壊していた。昔の道標は風情があって良かったのだがなあ。
小倉尾根に入り、少し下ったところで昼食にする。藪の中の小平地の日溜まりで風を避ければ、結構暖かい。
この先しばらくの道程は、夏に歩いた時は草藪濛々の好事家向きコースだったが、冬枯れのこの時期は藪はなく、快適な里山歩きができるお勧めのハイキングコースだ。
赤松林の尾根道を辿ると、自然観察の森の最高点に着く。ベンチに暖かい陽が射してハイカーさんの訪れを待っている風情だが、今日はやはり誰もいませんね。
尾根を直進すると、自然観察の森から笹久保へ越える峠に着く。「名久木坂」という標識があるが、これが峠の名前?その他に古い木製の道標がたくさんある。
峠から尾根を少し登ると、今日の山歩きの目玉、霊符尊神の石碑がある。どっしりとした四角い石柱の真ん中に円形の孔が刳り貫かれ、その上には北斗七星が刻まれている。不思議なデザインの石像物だ。孔の方角はぴったり磁北を指していた。側面には「天保四年?在癸巳六月吉日」と刻まれている(天保四年=1833年)。これは桐生市の文化財にするべき、というMさんの意見に一同賛同。
霊符尊神のすぐ先が笹久保山の頂上だ。頂上の真ん中をアンテナが占拠しているのは残念だが、ぽっかりあいた空間から榛名山の一部を望むことができる。アンテナを取り囲む柵には、ハイトスさん作の山名標が掛かっていた。柵の中には石祠が祀られているが、近寄れない。Mさんが以前調べたところによると、結構古い年代のものらしい。はて、三角点は?と思ったら、少し手前に落ち葉に隠れてあった。
峠まで戻り、北へ下る。ジグザグに下る道は、かつては往来繁かったのだろう。ところどころで深く抉れていて峠道らしく、なかなか風情がある。下りは短く、すぐに山麓の笹久保の集落に出た。ここから車を置いた大日堂橋まで、のんびり戻った。