千貫峠〜高岩

天気:
メンバー:T
行程:木賊 7:10 …主稜線 9:20 …千貫峠 9:25 …高岩(1324m) 9:45〜10:05 …千貫峠 10:15〜11:50 …地蔵菩薩 12:00 …千貫松跡 12:15 …本流出合 12:25 …木賊 13:00
ルート地図 GPSのログ(赤:往路、青:復路)を地理院地図に重ねて表示します。

この週末はどこに行こうかな、と群馬300山を読んでいて、川場村の赤倉山と高岩に登った記事に興味を惹かれた。著者の横田氏は、高岩と赤倉山の間の千貫(せんがん)峠付近から木賊に下っているが、峠の場所が判らず、峠道も辿れなかったと書いている。

ネットで千貫峠道の最近の状況を検索すると、地元の人が歩いた記事は散見されるが、詳細はどうもはっきりしない。この9月に行ってみたが草藪で敗退した、というブログの記事もあった。まあ、今の時期なら草藪は問題ないだろう。峠道の様子が判らないと、却って興味が増す。木賊から千貫峠を経て高岩に登り、赤倉山まで縦走して、今が紅葉の見頃の赤倉渓谷に降りるルートを計画して、出かけてきました。

赤倉山まで行くとなると長丁場なので、少し早出をして未明に桐生を車で発つ。赤城山北麓を経由して、川場村に入る。今日は快晴で、武尊山がくっきりと眺められる。薄根川に沿って走り、赤倉渓谷の出合を通ると、がーん(死語)、渓谷沿いの車道は工事中のため全面通行止になっている。赤倉渓谷で紅葉を観賞する計画は変更せざるを得ないようだ。

さらに薄根川を遡り、開けた谷間に民家が点在する木賊の集落に入ると、道端に千貫峠の古い案内看板がある。ここが千貫峠道の入口だ。車道を隔てた反対側に10台分くらいの広い駐車スペースがあり、車を置く。既に車が1台あり、先行者がいるようだ。周囲の山林は紅葉し、青空を背景に朝日に照り映えて美しい。

千貫峠入口の駐車スペース
千貫峠入口

千貫峠入口の案内看板には、次のように記されている。

千貫峠

永禄十二年(1569)川場の合戦に破れた沼田万鬼斎顕泰たちは、天神の館に火を放ち、会津城主芦名(あしな)盛重を頼り白井路を戸倉超えに落ちた。
途中、敵の追手に難渋し、峠で憔悴したかれの眼に映ったのは、岩の中に生い立つ古木の松であった。二度と会うまいこの光景を見て「さても良き松かな。われ世にある時ならば千貫文の領地にも替え難し」と詠まれたとのことである。
(中略)
沢すじから吹き上げる風音が原生林にこだまし、ある時は追手の喚声であったり迎え撃つときの声に聞こえる。いつの頃からかこの松を千貫松と呼び峠の名となった。
先人たちが、くらしのために汗にまみれて歩いた峠を、自分の足で踏みしめ、途中に安置されている地蔵菩薩、馬頭観音に素朴な信仰と伝説をさぐり、歴史を体で確かめるさわやかな「…」でもある。

出合(現在地)―峠の頂上 1.6km 1時間30分
川場村教育委員会

上記の「…」の部分は、「現在千貫峠は通行できません」と書かれたシールが案内看板に貼られている。うーむ、峠まで辿り着けるかなあ。

峠の入口には馬頭観音の文字碑や地蔵尊、双体道祖神など、一群の石碑・石像があり、如何にも由緒ありそうな峠道で、期待と不安が交錯する出発となる。ここから、沢の奥へ延びる未舗装の林道を辿る。

林道に入り、すぐに鉄板の橋で沢を渡る。沢の流れをひょいと覗き込むと、大きな魚がうじゃうじゃ泳いでいる。ヒノキ林の中の谷をゆるゆると登り、再び沢に突き当たって流れを渡ると、左岸に荒れた林道が続く。この辺りは確かに夏には草藪が酷そうだ。しかし、今は草も枯れ始めているし、どうも最近大勢通った痕跡があり、通行には差し支えない。

右岸に荒れた林道が続く
藪っぽい山道を行く

やがて林道から山道となる。三度目に沢を渡ると山道が判然としなくなり、沢に沿ってゴーロを登る。歩きにくいが問題はない。周囲は紅葉した自然林で、いい雰囲気だ。

沢を渡ると山道が消える
沢に沿って登る

しばらく沢の中を歩くと二股となり、「←千貫峠」という小型道標が木の幹に打ち付けられている。正しいルートを辿っていることが確認できて、安心する。道標に従って左の沢に入ると、沢沿いのところどころに道型が残っている。

やがて左から支流が出合う地点で、木の幹に赤と黄のテープが巻かれており、明瞭な道型がある。これを辿ると、左の支流には入らず、右の本流に沿って山腹をトラバースする。この辺りの道型は、土砂に埋もれかけているが、はっきりしている。

小型道標
赤と黄のテープの目印

やがて、上流で再び左から水量が少ない支流が出合う。道型はこの支流の奥に向かっているようにも見えるが、その先は判然としない。いろいろ迷ったあげく、右の本流を辿ることにする(あとでわかるのだが、実は左の支流が峠道)。

山腹をトラバースする道型
本流を遡る

本流の左岸には岩壁が聳え、沢の傾斜も増して、いよいよ沢登りっぽくなる。峠道がこんな所を通っているのはありそうにないが、登るしかない。なおも遡行すると、両岸とも急峻でボロボロに崩壊した斜面となり、沢の奥には小さな岩壁が控えている。岩壁の上には主稜線が見えていて、あとちょっとなのだが、この岩壁は超えられそうにない。ここも迷ったあげく、左側の小尾根を登ることにする。この小尾根も相当急だが、なんとか行けるだろう…。

泥の斜面を登って小尾根に取り付き、立木を頼りに岩場を巻いたり超えたりして、漸く稜線に登り着いた。いやー、ここは肝を冷やした。稜線は疎らな雑木林に囲まれて、紅葉を透かして日差しが明るく降り注ぎ、雰囲気が良い。千貫峠はどこだろう。とにかく、高岩を目指して左(西)に稜線を辿る。

険しさを増す本流
ようやく稜線に登り着く

稜線を5分程進んだところに石祠があった。ここが千貫峠だ。石室の正面には「川場村十二村」と刻まれ、その前に塩とお米が新しくお供えされている。わずかに離れたところに馬頭観音の石像があり、一人のおじさんが石像の写真を撮っていた。いやー、道を間違えました、と声をかける。この馬頭観音は女性的な顔立ちで、「文政七甲申年十二月吉日」と彫られている。馬頭観音の前に明瞭な峠道が通り、小型道標と古い道標がある。おじさんの話によると、本流から正しい峠道に取り付く個所には道標がある、とのことだが、あったかなー、見落としたかな?しかし、稜線を歩いて来れば千貫峠の場所は明らかで、それについて間違うことはまずない。

千貫峠の石祠
馬頭観音
古い道標
花咲への下り口

おじさんと別れて、まずは高岩の頂上を目指す。花咲に下る峠道を見送り、稜線を辿ると急坂になる。これを登り切れば、高岩の頂上はすぐだ。

高岩へ急坂を登る
高岩頂上

高岩の頂上には岩場があるわけでもなく、疎らな樹林に囲まれて三角点の標石と小型山名標が寂しくあるだけだ。先程のおじさんは、頂上に新しい山名標を付けてきたとおっしゃっていたから、もしかしてあちこちでよく見かける小型山名標の設置主の方なのかしらん。樹林に囲まれて展望は限られているが、北側の武尊山を間近に仰ぐ眺めが良い。特に剣ヶ峰の鋭峰が印象的だ。

高岩から武尊山の展望
武尊山をズームアップ
沖武尊(左)と剣ヶ峰

展望を楽しんだのち、千貫峠に戻る。おじさんは既に下山し、馬頭観音の前に塩とお米とパンがお供えされていた。さて、これからどうしようか。赤倉渓谷は通行止になっているし、千貫峠道がどこをどう通っているのかも気になる。したがって、ここから木賊に下るのが良さそうだ。しかし、すぐ下っては歩き足りないので、ここから赤倉山に往復してみよう。時間切れの場合は、途中で引き返せば良い。

赤倉山に向かって稜線を東に辿る。疎らな雑木林が続き、紅葉が綺麗だ。標高1300mのピークに立ち寄ってみたが、樹林に覆われて展望もなし。さらに稜線を辿る。木の間から赤倉山へ延びる稜線が垣間見えたが、だいぶ遠いなあ。標高が下がると植林帯に入り、小枝が煩くなる。おまけにルートを間違えて枝尾根を下ってしまった。これで嫌気が差し、赤倉山に行くのは断念して、千貫峠に引き返し、石祠の前で昼食とする。木漏れ陽を浴びながら温かい鍋焼きうどんを食べると、晩秋の山歩きの良さをしみじみ感じる。

赤倉山へ続く稜線
雑木林の紅葉

千貫峠から木賊へ下る峠道は、落ち葉に覆われているが、はっきりと続いている。しばらく水平に東に進んだのち、急な山腹をジグザグに切って下って行く。少し下ったところに地蔵菩薩の石像がある。右手に独鈷、左手に羂索を持ち、穏やかな表情をした像だ。

千貫峠道を下る
落ち葉に覆われた峠道
峠道の紅葉
地蔵菩薩

さらに急斜面をジグザグに下る。落ち葉や転石に覆われて道型はだんだん不明瞭になるが、辿るのは容易だ。浅い谷に入って下ると、右の斜面に高さ5mくらいの岩峰がある。これが峠名の由来になった千貫松の跡に違いない。岩の上の松は現在はないが、紅葉の中に聳える岩峰は、一幅の山水画のような景観だ。

不明瞭な道型を辿って下る
千貫松跡

浅い谷をなおも下ると、最後の方は道型がかなり怪しくなる。本流に出合った所は、往路で本流と支流のどちらに進むか、さんざっぱら迷った地点だった。道標や目印の類は全くなく、道型も判らない。ここで正しく峠道に進むのは、ルートを熟知していない限りは難しい。

後は往路を戻る。沢沿いには往路では気づかなかった峠道の痕跡が、主に右岸側にかなり残っている。道型を辿ると最後は杉林の中を下って、往路のルートに合流した。この分岐点にも峠道の入口を示すものは何もない。登りで峠道がわからなかったのも無理はない。しかし、これで峠道の木賊側の全容がわかったので、とても満足だ。

本流との合流地点付近
峠道の微かな道型を下る

帰りは木賊から少し下った所にある湯郷小住(こじゅう)温泉に立ち寄る(500円)。薄根川を狭い橋で渡った対岸に日帰りの温泉施設があり、紅葉見物の観光客でなかなか賑わっていた。この温泉は、鬼石にある私のお気に入りの湯郷白寿と経営が同じらしい。薄根川に面した露天風呂にゆっくり浸かったのち、桐生に帰った。