水無山
この週末はどこに行こうか。日曜日は天気が良さそうだが、残念ながら仕事がある。土曜日はまあまあの天気のようだ。土曜日の朝に様子を見て、もし良ければMさんと軽い山歩きに行くことになった。
当日の朝、天気は良くなりそうだ。旧利根村(現在は沼田市利根町)の水無山に出かけることにして、桐生を車で出発する。
水無山は、県道沼田大間々線を根利から南郷に走ると、右側に見える急峻なミニ山塊だ。尾瀬や日光丸沼の行き帰りにしばしば通りがかるので、以前から気になっていた山だ。「群馬300山」に掲載されて、初めて山名を知った。
根利川に架かる南郷橋を渡り、薗原湖への道と別れて右の細い車道に入る。この道は穴原の集落に向かう道だ。穴原は、かつて群馬の秘境と言われたこともあるという。Mさんは、ここ出身の知人がいるが、行くのは初めてとのこと。谷川に沿ってどんどん奥に入ると、山上の開けた緩斜面に集落がある。意外と大きな集落で、新しい家が多い。集落を抜け、右の脇道に入ってミリオン牧場に向かう。牧場の入口と思われるゲートは雑草に覆われていて、牧場はもう廃業しているようだ。車道は牧場の草地の中で舗装が終わって、群馬300山の地図に記載されたコムギ峠への波線の道は、どこにあるのか良くわからない。
道を探して少し戻ると、ゲートの手前に右に降りる古い林道がある。これが入口かな?近くに農作業中のおじいさんがいたので、道を尋ねる。旧道はもう通れないので、牧場の突き当たりから林道を辿るしかないらしい。おじいさんはこの辺の地理と歴史に詳しく、いろいろな話を伺った。コムギ峠は、かつて養蚕が盛んだった頃の根利と穴原を結ぶ経済道路だったとのこと。冬は風が強く、風で子供がもがれたので「コモギ」峠と呼ばれるようになったと言う(後日『群馬の峠』を読むと同じ話が書いてあった)。また、子供が発見された場所が「子じゃ!」→「コジャ」という地名になったそうだ。コムギ峠の南面に「子捨沢」の地名があり、県道沼田大間々線の沼田市と桐生市の境には「小出屋(こじゃ)峠」がある。おじいさんは、Mさんの穴原出身の知人の方も良くご存じだった。
お礼を述べておじいさんと別れ、ミリオン牧場の中の舗装道の終点に車を置く。ちょうど、車2台分の駐車スペースがある。地形図を見ると、ここには牧舎があるはずだが、今はもうない。しかし、斜面には草地が広がっていて、開放的で気持ち良い場所だ。水無山の三角形のピークが見えるほか、赤城山の裾野の向こうに子持山、榛名山が遠望される。
舗装道の終点から、牧場の中の未舗装道を辿る。雨裂が深く、車で走るのは無理だ。やがて右にススキに覆われたゲートがあり、そこから牧場を出て古い林道を辿る。林道は山腹をトラバースして薄暗い樹林の中を進む。路面が荒れていて、あまり通行した形跡がない。単調な林道を歩き、最後はちょっと急な坂になって、コムギ峠に到着した。
コムギ峠は林道の切通しになっていて、樹林に覆われて展望は全くない。峠を示すものは、木の幹に打ち付けられた小さな標識だけだ。根利側に林道が続いているが、古い峠道の痕跡は見当たらない。
コムギ峠から稜線を辿って水無山に向かう。ブナやミズナラなどの樹林に覆われた広い稜線で、藪は全くなく歩き易い。小さなコブをいくつか越えると、急坂となる。これを嫌って、左の山腹をトラバースする。踏み跡らしきものが続いているが、多分、獣道だろう。最後は谷に降りて、水無山の手前の鞍部まで、ずるずるどろどろの急斜面を登る。Mさんは、こんな大変な山とは思わなかった、とぼやいている。なんとか鞍部まで這い上がった。帰りは素直に稜線を伝う方が良さそうだ。
登り着いた鞍部も、手入れされていないカラマツ林に囲まれていて、全く展望がない。ここから水無山まではさらに急斜面となる。点々と古いテープがあるが、踏み跡は判然としない。覚悟を決めて登りだす。途中、イグチの仲間の幼菌がポツポツ出ていて、鮮やかな褐色が目を楽しませてくれる。Mさんの見立てによると、残念ながらうまいキノコではないそうだ。
急斜面の直登にめげて、左に斜上して稜線に出る。そこから水無山の頂上までは僅かの距離だった。頂上もやはり木立に囲まれて展望に乏しく、袈裟丸連峰と皇海山が樹林の中に垣間見えるのみだ。三角点と小さな新旧の山名票がある。三角点の近くに腰をおろし、缶ビールを飲んで昼食とする。木立を抜けて吹く風が冷たく、薄手のフリースを着込む。今年の夏のあの暑さは、一体どこに行ってしまったのでしょう。
下山は、頂上から鞍部までまっすぐ下り、その先は稜線伝いに峠まで戻る。下りは楽勝。峠から林道を歩き、車を置いた牧場まで戻る。すっかり広がった青空にススキの穂が揺らぎ、水無山の端正な三角形のピークが、すっくと聳えていた。