雁田山・井上山
長野県高山村の七味温泉に12月31日から2泊し、新年の1日、2日に長野盆地周辺の里山2つに登って来ました。
31日は桐生を車で出発し、新幹線で来たS&SをJR高崎駅でピックアップ。R18をしばらく走って横川で峠の釜飯を食べた後、碓氷軽井沢ICから上信越道に乗る。長野県に入っても、高速から見える範囲の平地には、雪はほとんどない。
須坂長野東ICで上信越道を降り、須坂市街を抜けると日陰に雪が現れる。高山村に入り、千曲川支流松川の扇状地を上がるに連れて積雪が増え、山田温泉から先は完全に雪道になった。今シーズン新調したスタッドレスでの雪道初運転なので、大喜び(^^)。しかし、除雪されているとはいえ、深い渓谷に沿ってカーブや坂が連続するなかなかの難路だ。途中で、スタックした車も見た。
五色温泉を通ってヘアピンカーブの急坂を上がり、山田牧場への道を分けて谷底に下ると、細い橋を渡った対岸に数軒の宿が建ち並ぶ七味温泉に到着した。周辺は一面の銀世界だ。今回の宿の渓山亭にチェックインし、早速♨へgo!源泉掛け流しの白濁したお湯で、露天風呂から眺める雪景色は最高。硫化鉄を多く含む泉質だそうで、刷り立ての新聞紙に触ってインクが着く様に、肌の皺が黒くなるのには驚いた(もちろん、洗えば落ちる)。
夕食は囲炉裏端でビールと熱燗を飲みながら、岩魚の塩焼きや馬刺、きのこ鍋などを美味しく頂く。その後、部屋に戻って紅白を見ながら年越し蕎麦を食べて新年を迎え、もう一度♨で温まって就寝した。
元旦の天気は北から雪雲が押し寄せているが、晴れ間も少しのぞいているようだ。今日はガイドブック『信州日帰りでゆく山歩き』やネットの情報を参考にして、小布施町と高山村の境に稜線を連ねる雁田山(かりたさん)に登る予定だ。
松川に沿って小布施方面に下ると、右側に雁田山南面の岩石採取場が見えて来る。ここは昭和40年代から大規模に採石され、上信越道や長野新幹線、長野オリンピックの建設にも砕石を供給したと言う。規模や標高は異なるが、秩父の武甲山と似た状況にある山だ。
南から西面に回り込むと、こちら側から見た雁田山は杉や雑木の林に覆われた急峻なミニ山塊で、山麓にはリンゴ園などの長閑な田園風景が広がる。登山口の岩松院(がんしょういん)には山門前にも駐車場があるが、初詣客の邪魔にならないよう、山裾に沿って右側に進んだ所の広い駐車場に車を置く。車から出ると上着が要らないくらい暖かい。いい山歩き日和だ。
岩松院に参拝したのち、本堂左手の境内の車道を登る。ここから雁田山登山道に取り付く個所が判りにくく、ちょっと右往左往。現地の案内図に従って左側の東屋の横を通ると道標があり、尾根の突端から登山道が始まっていた。
登山道に入れば、あとは迷う所のない尾根上の一本道だ。すぐに石垣に囲まれた小平地に出る。ここが小城と言う場所で、説明板によると、この上部にある大城と一帯で苅田城と呼ばれる山城の遺構だが、築城年代や城主は謎らしい。
岩松院と善光寺平を背にして、露岩の多い尾根道を登る。雪は、このあたりではまだらに残っている程度だ。手摺にロープが張られるなど、道は良く整備されている。
急な尾根道を登り、空堀を越えると、大城に登り着く。雑木林に囲まれた小平地で、石祠と東屋がある。大城の先は、暫くは赤松林が混じる緩い登り降りの尾根が続く。行く手には千僧坊(雁田山北峰)の三角形のピークが高く、その右には今日のコースの稜線が連なり、右端のピーク上には東屋が見える。あそこは展望が良さそうだ。
つつじ台という標識のある地点を過ぎると、いよいよ千僧坊への最後の登りとなり、雑木林の中の一直線の急坂となる。積雪も増えて、手摺のロープがなければ滑り易い。一汗かいて登り着いた千僧坊は今回のコース中の最高点だが、樹林に囲まれて展望は全くない。
出発がのんびりだったし、急な雪道に思ったよりも少し時間がかかって、ここで既に12時半を回っているが、昼食は見晴しが期待できる東屋で取ることにして、先を急ぐ。稜線上の積雪は10cm程に増えたが、先行者のトレースがあるのでスパッツは不要だろう。
小さなアップダウンを繰り返し、転石のピークを越えて小鞍部に下ると、稜線上に高さ約10mの姥石と呼ばれる岩峰が屹立する。岩峰を巻き、短い鎖を手繰って岩峰の基部に立つと、善光寺平の眺めが得られる。
姥石から僅かの登りで、東屋のあるピークに着く。西面の樹林が切り開かれて、千曲川がゆったりと流れる善光寺平の広大な田園風景が眼下に展開する。案内板によると北信五岳の展望も良いそうだが、今日は残念ながら雪雲の中だ。真っ白な雪雲が北の高社山付近まで押し寄せているが、幸い現時点では風当たりもそれほどでなく、防寒着を着込んでパンとコーヒーで昼食にする。しかし手袋は厚い物でないと、さすがに指先が寒くて痛い。
昼食を終えたのが13:40と少々遅くなり、風も急に強くなった。しかし、あとは下山なので、時間はそう掛からないだろう。東屋のピークを下るとすぐに物見岩という巨石の脇を通り、ちょっと登り返して西側の眺めが開けた次のピークに着いた。
ここには標高759.4mの一等三角点(点名:雁田山)があり、地形図にも雁田山と表記されたピークだ。しかし、現地には「反射板跡」という標識しかない。地元ではここを雁田山と呼んでいないのかな?雁田山はこの山塊一帯の総称で、三角点も採石場の進展によって何度か移設されたという経緯もあるようだが、一等三角点のピークに「反射板跡」という名称もなんなので、ここではこのピークを雁田山として置こう。因みに反射板跡という名称は、かつて国鉄がここに無線電波反射板を設置していたことに由来するとのこと。
「すべり山入口→」という道標に従って雁田山から下ると、クマザサの緩い斜面を通って、すぐに赤松が混じる尾根上の下りとなる。まめにジグザグが切られた歩き易い道で、下界を眺めながらゆっくり下っていると、東屋のピークの方からヤッホーを連呼する声が聞こえて来る。やがて、ヤッホーはどんどん近づいて来て、軽装に長靴のおじさんが飛ぶようなスピードで追い付いて来た。地元の方で、ここを散歩コースにしているのかな。しばらく進むと、今度は登りのハイカーさんと行き遭って、今回の山歩きで会った人はこれでおしまい。
尾根道を快調に下ると、途中に二の岩という露岩がある。その上に立つと少し雪雲が切れていて、ようやく北信五岳のうちの飯縄山、黒姫山、妙高山の裾野が見えた。二の岩を過ぎ、最後は明るい伐採地の中を下って、車道に降り立つ。ここが「すべり山入口」で(すべり山とはどこを指すのだろう)、登山案内板が設置されている。
ここから岩松院までは、山裾を巡る「せせらぎ緑道」を辿る。車も通れる道だが通行量は少なく、善光寺平と北信五岳を眺めてのんびり歩ける遊歩道になっている。
途中の道端には、五輪塔と玉ねぎ状剝離の岩石がある。説明板によると、「雁田山は数十万年前に、火山活動の噴出によりつくられた火山」で、流れ出して固まった溶岩(輝石・安山岩)は熱を伝えにくいため、玉ねぎ状に剝がれる性質があるのだとか。ここが火山だったとは、現在の山容からは想像しにくくて意外だ。
せせらぎ緑道の途中で、初詣客が三々五々詣でる浄光寺に立ち寄る。山門を潜ると杉林の中に長い石段の参道があり、その上に薬師堂が建つ。茅葺き屋根の厚さが半端ない、立派な本堂だ。昨年葺き替え工事が完了し、今年建立600年を迎えるとのことで、本堂の前には記念の回向柱が建てられていた。
浄光寺から駐車地点の岩松院までは僅か10分の距離だった。さて、宿に戻って車を降りると、寒〜い!それもそのはず、ここは標高1200mで、今日登った雁田山(759m)よりも遥かに高いのだった(^^;)。丁度、天皇杯サッカー決勝戦が延長後半に突入した所で、劇的な決勝ゴールを見届けて♨へgo!極楽、極楽。
2日の朝は宿の周辺まで雪雲が来襲して吹雪いているが、取り敢えず、予定の井上山の登山口まで行ってみることにする。チェックアウトして駐車場に向かうと、フロントウィンドウにはサラッサラの乾燥粉雪が数cm積もっていた。七味温泉から下界に降りるに連れて、青空もちょっと見える天気となった。
須坂長野東IC近くの切り通しが井上山の登山口だ。歩道内側の駐車スペース(約2台)に車を置く。すぐ前に、枕状溶岩の岩壁がある。説明板によると、溶岩が水中で急激に冷やされて枕のような丸みを帯びて固まった溶岩だとか。確かにゴロゴロと積み上がったような特徴ある岩だ。それにしても、この山も火山活動に関係があるとは、興味深い。
小雪が舞う天気だが、山歩きには支障がなさそうなので登り始める。枕状溶岩の左手の階段を登って尾根の突端に取り付く。登山道にも丸みのある溶岩がゴロゴロしていて、滑り易い。すっかり落葉した雑木林に囲まれ、両側が急斜面となった狭い尾根を辿る。緩く登って、小さな平地となった小城跡に着いた。城に興味が有って山を選んでいる訳ではないのだが、昨日の雁田山に続く城跡巡りの里山歩きとなる。
小城跡から緩い登降が続いて大城跡に着く。コンクリ製の石碑に埋め込まれた真鍮製の碑文に「井上城跡」の説明があった。中世にこの近辺を所領した井上氏が、戦さになると本拠地とした山城(普段は山麓の居館に住んでいた)とのことだ。細長い平地にいくつものベンチがあり、今日は誰もいないけど、春のピクニックなんかには良さそうな場所だ。
北麓の浄雲寺への道を左に分け、数本の空堀を越えて尾根を進むと、いよいよ井上山への登りに取りかかって、傾斜が増す。細い尾根の上に雪が薄らと積もって滑り易いので、S&Sはここで引き返すこととなり、車の鍵を預けて私だけ頂上を目指す。見上げると頂上には雪雲がかかり、降雪も勢いを増したようだ。
一直線の急坂はバランスを保つ手がかりとなる立ち木も疎らで、両側は急斜面なので慎重に登る。一旦、肩のような平坦地に出て、ホッと一息。あと20分と書いた標識がある。
しばらくは赤松が混じった緩い尾根を登るが、頂上直下は再び急登に。これ、下るのはちょっと嫌らしいなあ。里山とは言っても、こういう状況があるから侮れない。登り着いた井上山頂上は樹林に囲まれて、展望は皆無。三角点標石と「三角測量の起点の山」と記した山名標があるだけだ。
三角測量の起点とはどういう意味か、後日ネットでいろいろ調べてみると、一等三角点網の須坂基線(須坂市⇔高山村)を元に最初に測量された一等三角点ということらしい。そして、実は雁田山も同じ基線を元とする対となる一等三角点ということで、事前に考えていた訳ではなかったが、今回登った2つの山には火山、城跡の他にもう一つ共通点があったということになる。
パンとケーキを軽く腹に入れて、往路を戻る。頂上直下の急坂を慎重に下り切れば、あとは気楽な尾根歩きだ。登山口に着くと、S&Sは5分程前に着いたばかりとのことだった。お待たせさせずに良かった。下りはアッという間の気がしたが、45分とそれなりの時間がかかったのは、滑り易い道を緊張して歩いたからかも知れない。しかし、この辺りの里山もなかなか面白いことを認識しました。
帰途は暫く下道を走り、R18沿いの食堂で遅い昼食を取ったのち、坂城ICから吉井ICまで上信越道に乗る。高崎駅でS&Sと別れて、桐生に帰った。