日影山〜日向山
2002年の正月に小沢岳に登ったとき、七久保橋から椚峠に向かう途中で「至 八倉峠」という道標を見た。小雪がちらつく中に侘しく佇む道標が峠道への興味と想像を搔き立てて、何時か八倉(ようくら)峠へ歩いてみたいと思った。
日影山と日向山は、八倉峠を間に挟んで緩やかな稜線を連ねる山である。西上州では高峰の部類に属し、共に三角点が置かれて地形図にも名前が載っている山でありながら、頂上近くを御荷鉾スーパー林道が通っているせいか、一般的な登山の対象に全くと言ってよいほどなっていない。群馬300山にも取り上げられていないし、ネットで検索しても御荷鉾スーパー林道から登ったかしぐねさんの記録など、数件が見つかるだけだ。
しかし、八倉峠道と繫いでこれらの山に登れば歩き甲斐もあるし、静かな山歩きが楽しめるのではないだろうか。日向山の東方には杖植(つえたて)峠があり、ネットを検索すると下仁田側の峠道を自転車で通った記録があった(下記参考URL)。これらの記録を参考にして、二つの峠と二つの山を周回するルートを計画した。
今回のルートには道の状況が不明な個所が多々あるので、時間に余裕をみて未明に桐生を車で出発。下仁田から青倉川を遡り、煌々と明かりが灯る石灰工場の前を通って、七久保と平原(へばら)への分岐点の道路脇に車を置く。外に出ると夜明けの風は冷たく、手袋をはめる。ここで突然、デジカメを忘れて来たことに気がつく。なので、今回の写真は携帯で撮ったものです。
沢沿いに車道を進むと、「小沢岳入口」の標識と群馬百名山の案内板、数台分の駐車スペースがある。小沢岳に登る場合は、ここまで車を乗り入れられる。
この奥は未舗装の林道となる。前回来た時は途中まで車で入ったのだが、昨年の台風9号の被害であちこちに深い雨裂や崩落があり、林道は山道に戻りつつあった。
やがて、椚峠と八倉峠の分岐に到着する。「至 八倉峠」の道標は健在だが、周辺の様子は激変し、沢の荒れっぷりが凄まじい。山腹は崩落し、両岸は抉られ、石と倒木で埋め尽くされて、峠道はどこにあるのやら。ここまでの被害だとは考えていなかった。沢に降りて少し遡ってはみたが、これは無理だ。断念せざるを得ない。
沢沿いの峠道は通行不能なので、椚峠から尾根を登るルートに変更する。こちらの尾根が歩けるという情報は持っていないが、地図上では検討していたルートなので、決断は早い。ダメだったら引き返して、小沢岳に登って帰ろう…。
椚峠に登り、小沢岳への登山道とは反対方向の尾根に踏み込む。幸い、疎らに雑木が生えた斜面で藪もなく、落ち葉を踏んで快適に登る。足元にシモバシラの霜柱を見つけた。やはり今朝の冷え込みは厳しかったようだ。
急斜面を登って、等高線で1060mのピークに達し、一旦緩く下って、1141m標高点に向かう。右手の木の間越しに見える小さな凹凸のある稜線は、桧沢岳に繫がっているようだ。雑木林の斜面にはジグザグに付けられた道型があり、これを辿ると楽に登れる。
疎らな雑木林の尾根の緩い登りが、主稜線まで続く。尾根上の林が帯状に切り開かれているのは、かつての山道の痕跡だろうか。この尾根にはマーキングのテープの類いがほとんどなく、古い物を二つ見ただけだった。迷い易い個所でのテープは道案内としてありがたい場合もあるが、最近、迷う訳がない個所にまでベタベタとテープが残された山が増えて気になっていたので、この尾根はその点でもスッキリしていて気持ち良い。
登り着いた所は主稜線上の平坦な小ピークだ。相変わらず雑木林に囲まれて、木の間から冠雪した北ア?や浅間山が垣間見えるだけで、展望に乏しい。しかし、主稜線を越える風はさすがに強く、寒い。上着を一枚出して着る。薄い手袋を持って来たのは失敗だった。もう真冬用が必要だ。手がかじかむ。
主稜線を緩く登ると、20分弱で日影山の頂上に着いた。二等三角点と二つの山名標があるだけの静かな頂きだ。山名標の一つは明大ワンゲルが残した古いもので、木の幹にくわえられるように包まれていた。
風を避けてパンを齧ったあと、頂上から下る。あんまり寒いので、往路を椚峠に戻ろうかという考えも一瞬よぎったが、時間も充分あるし、計画通り八倉峠に向かおう。
落ち葉がふかふかの雑木林の斜面を下って、八倉峠に降り立った。ここは御荷鉾スーパー林道と神流町橋倉から上がって来る林道のT字路となっている。しかし、御荷鉾スーパー林道の西方向には工事用バリケードが置かれて通行止めとなっていた。
そして、東方向はすぐ先が左下の写真のような凄い崩落となっている。眼下は遥か谷底まで広大な石河原と化していた。これでは峠道は完全消滅だろう。なーむー。北側の展望が開け、小沢岳の金字の山容や登山口の椚峠、遠くに鹿岳や妙義山が見えて、災害によるものだが絶景ポイントになっている。崩落現場では、復旧工事に手がつけられた様子が全くない。御荷鉾スーパー林道が復活する目処は立っているのだろうか?
ここからは日向山の近くまで林道を辿るつもりだったが、崩落個所は徒歩で越えるのも危険なので、稜線上を歩いて巻く。一旦、林道に出るが再び稜線を直進して、林道の大きなカーブをショートカット。ここは笹藪を漕ぐが、距離は短い。
しばらく林道を辿り、日向山の西の鞍部から稜線に入って頂上に向かう。疎らな雑木林の下生えにミヤコザサが広がって、その中に微かな踏み跡が続いている。これは気持ちがいい尾根だなぁ。
登り着いた日向山の頂上は雑木林に囲まれて展望はないが、小笹に覆われて小広く、静かな雰囲気が好ましい。三等三角点、山名標と「←杖植峠 八倉峠→」と書かれた折れ曲がった古い道標があった。風も収まり、陽射しもあって暖かくなって来た。笹原に腰を下ろし、缶ビールと餅入りもつ煮込でのんびりと昼食にする。
日向山からは、さらに東へ稜線を辿る。ここはかつてはハイキングコースとして、盛んに歩かれていたのではないだろうか。今でも背の低い笹がずっと続いて藪漕ぎもなく、快適に歩ける。
笹尾根から林道に出た所で、通行止めにも拘らず、1台のオフロードバイクを見かけた。山中で会った人はこれが最初で最後。あとは林道を杖植峠まで辿る。数年前に御荷鉾スーパー林道のほぼ全線を車で走行したことがあるが、そのときと比べて雨裂や倒木がひどく、荒廃が進行した気がする。
杖植峠は、『群馬の峠』筆者の岩佐徹道氏が150の峠の最後として、1971年秋に訪れた地である。そのとき付けた記念標識があるそうだが、見つからなかった。帰ってから調べ直すと、林道から尾根に少し登った所が本来の峠で、標識はそこにあるらしい。うーむ、宿題が残ってしまった。
本来の峠道の入口は崩落後に復旧工事がされて分かりにくいので、100m程先で林道が尾根を横切る地点まで進み、そこから尾根通しに下る。すぐに左から峠道を合わせる。峠道はところどころ掘割状で、辿るのは容易だ。掘割の中が大量の倒木で塞がっている個所もあるが、基本的にどこでも歩けるので問題ない。明るい尾根を、落ち葉をワッシャワッシャかき分けながら足任せに下るのは、とても楽しい。
右側が杉林の植林帯になると七久保橋倉林道に出る。林道からは右手に稲含山が眺められる。林道を横切って尾根を辿り、もう一度林道を横切る。入口が藪っぽいが、すぐに左から未舗装の林道が合流する。この林道を辿ると右に折れて尾根から離れるので、直進してひたすら尾根を進む。やがて暗い杉林の急な斜面を下る。ここは峠道に従って右側に下ると、舗装された車道に出た。正面に鹿岳や浅間山の眺めが良い。この見晴しの良い場所にはログハウスが建ち、暖炉の煙が上がっていた。どんな人が住んでいるのかな。
T字路に突き当たって左に行くと、開けた斜面に一軒だけ民家のある青倉に降りる。正面には小沢岳がつんと聳え、その中腹には七久保の集落がある。また左の方には平原の集落がある。山の中腹に忽然と数十軒の民家が固まっていて、こんな山奥に何故?と不思議な風景だ。残念ながら逆光で、携帯での撮影は難しい。デジカメを忘れたのが悔やまれる。
車道は民家で終点となっていた。おじいさんがいらしたので、下に降りる道を尋ねると、軒先を通って畑を横切り、猪除けの柵を跨ぎ越して下る山道を教えてくれた。しかし、その通りに下って行くと、杉林の急斜面の藪の中で山道は消滅。おーい、おじいさーん(^^;)
民家に引き返すと、おじいさんは軽トラで走り去るところだった。他に下る道はないか、周囲を見渡すと、左下にもう一軒の民家を発見。その周りには道が見えないので、下からの道があるに違いない。と推測して、そこへ向かう。実はここが今回の山行で一番の藪っこぎ。ファイト一発、強引に藪を突破して民家に着くと無人だったが、玄関から杉林をジグザグに下る山道があった。ラッキー。後日、GPSログを地図に重ねたルート図を見ると、おじいさんが教えてくれた道は正しく破線の道なので、強引に行けば下れたのかも知れない。
最後は何やら怪しかったが、ルート全体では藪もなく歩き易かったし、雑木林や笹原の尾根歩きは雰囲気も良く、想像していた以上に好ルートだった。八倉峠道を歩けなかったのは残念だが、その代わりの尾根ルートが良かったのは怪我の功名。帰途はかぶら健康センターかのさとに立ち寄り、湯船に浸かって温まってから桐生に帰った。
参考URL:今回の山行の計画に際しては、西上州界隈山サイ雑記帳の杖植峠の記録を大変参考にさせて頂きました。