鹿田山丘陵
鹿田山丘陵は、JR両毛線岩宿駅の北西にある標高200m内外の里山の連なりです。周辺にはカタクリの里や岩宿遺跡などの見所があります。岩宿遺跡は日本で最初に発見された旧石器時代の遺跡として有名で、近場の気になるスポットの筆頭ですが、すぐに行けると思って、かえって訪れる機会がありませんでした。鹿田山丘陵に行くならカタクリの咲く時期を選び、遺跡見学を兼ねて里山歩きをしようと考えていました。
一方、8月上旬頃からレンゲショウマの開花の情報をネットでしばしば見るようになりました。群馬県内では鼻曲山や赤城、鳴神山などで見られるようです。私は写真でしか見たことがないので、いつか実物を見たいなあと思っていました。
それで、ネットで検索していたところ、wisteriaさんという方のブログの記事(下記参考URL)で、鹿田山丘陵の一角に「馬見岡蓮華升麻の森」という場所があり、レンゲショウマが咲いているという情報をゲット(後で知ったが、上毛新聞にも一昨年載ったらしい)。これは行ってみたい!気になる、気になる、気になるのぅ〜、ということで、当初は考えていなかった晩夏という季節になりましたが、レンゲショウマと遺跡を巡って鹿田山丘陵を歩いて来ました。
桐生を車で発って、途中のコンビニでペットボトル飲料と昼食のパンを仕入れ、岩宿遺跡の無料駐車場に車を置く。駐車場の片隅に琴平山(こんぴらやま)への登山道の入口があり、まずはこの道を辿る。ヤブランの咲く林間の赤土の道を登ると、5分程で三等三角点のある頂上に着いた。樹林に囲まれて見通しはない。すぐに駐車場に引き返す。
駐車場から切り通しの車道を渡ると、石垣の上に岩宿遺跡の石碑と説明板がある。終戦直後の1946年、独学で考古学を研究していた相沢忠洋氏が糊口をしのぐ行商の帰路、関東ローム層の崖から「ガラスのように透明で黒光りし、すすきの葉を切ったように鋭い」小さな石片を拾い上げた場所だ。その後、明治大学杉原荘介博士らによる本格的な発掘調査が行われ、日本の歴史が2.5万年以上前の旧石器時代に遡ることが明らかにされた。今では鬱蒼とした樹林に覆われているが、案内板の写真を見ると、発掘当時は山の上まで畑が広がっていたらしい。
岩宿遺跡の横手の石段を登って、稲荷山に向かう。石段の両側にはアジサイの苗が植えられていて、花の時期には良い散歩道になりそうだが、今日は蚊が多い。頂上には立派な神社がある。裏手から北に下る道はカタクリ群生地保護のため、通行禁止になっている。
切り通しに戻り、岩宿ドームと岩宿博物館の見学は後回しにして、蓮華升麻の森に向かう。途中、通りかかった鹿の川沼は、釣り人と子供で大賑わい。沼の一角を占める古代ハス池には、2種類の奇麗な黄色い花が咲いていた。
鹿田山南麓の田んぼの中を西へ、天神山を目指してテクテク歩く。結構、青空が広がって、陽射しがじりじりと暑い。馬見岡の集落近くの水田の中に小屋があり、数体の凝灰岩製の石仏(阿弥陀三尊)が祀られていた。説明板によると、以前は薬師堂が建っていたが、昭和30〜40年代の農業構造改革事業によって取り壊され(何とまあ!)、たくさんあった石像をここにまとめたそうだ。
天神山の山麓に着き、来迎阿弥陀三尊笠塔婆や天神山古墳群3号墳などの史跡を見学しつつ、天神山南端にある「馬見岡(まみのおか)凝灰岩露出地」に向かう。ここには駐車場とWC、石切り場跡の崖がある。説明板によると、凝灰岩は火山活動によって堆積したもので、柔らかくて加工しやすいため、昔から石材として利用されていたとのこと。
蓮華升麻の森はここから木の階段を登ってすぐの所にある。林間でいろいろな山野草を栽培しているらしい。白や紫のギボウシは咲いているが、レンゲショウマはあるかな?あ、あったあった\^o^/
林間に4〜5株であるが、レンゲショウマが咲いていた。だいぶ時期が遅かったが、まだ見ることができて良かった。柵があって近づけないので、撮影がなかなか難しい。おまけに蚊が多くて、カメラを構えるとすごい数に集られる。これはたまらん。天神山の三角点まで登ろうと思っていたが、藪と蚊で退散。
とにかく、目当てのレンゲショウマを見ることができて、大満足。次は、道帰り山(どうがえりやま/みちかえりやま)、鹿田山の里山歩きだ。天神山の北のため池を経由して、道帰り山、鹿田山へと続く緩やかな丘の上の車道を辿る。広闊な田園風景は、ちょっと北海道チックな眺めだ。
途中の「ふれあいの村水辺公園」には、ため池の畔に芝生の広場があり、家族連れが夏休み最後の日曜日を過ごしていた。小学校低学年くらいの子供がくにゃくにゃ長いものを持って走り回っているので見てみると…ヘビじゃないですか!笠懸の子供はワイルドだなあ(^_^;)
渡良瀬養護学校の裏門の前から山道に入り、緩く登るとすぐに稜線に出る。まず右の建岩(たついわ)に向かう。良く歩かれている様子の道を辿って、石碑のある小広い頂上に着いた。木の葉の落ちる時期には北側の展望が良さそうだが、この時期は緑に遮られて眺めはない。
稜線を戻って、道帰り山に向かう。こちらの方は夏草に覆われて、蜘蛛の巣を払いながら進む。途中にベンチがあるので、遊歩道として整備はされているらしい。
ちょっと滑る赤土の坂を登ると、笹藪の中に道帰り山の三角点があった。ここも蚊が多くて、長居はできない。やはり、この季節に低山を訪れるのは、ちと厳しい。
養護学校に戻り、鹿田山に向かう。この辺りは面白い地形で、鹿田山の北面を水源とする緩い谷(というか窪)は最初北西に流れるが、途中で向きがUターンして、南の笠懸の平野に流れ込んでいる。小さな谷なのに水が豊富で、一面の水田に青々と稲が育っている。この水の源はどうなっているのか、興味津々で谷を遡る。
谷の奥には清水新沼という農業用ため池があり、近年、周辺が整備されたようで、駐車場や遊歩道、マリーゴールドのお花畑などがある。赤城山の眺めも良いが、今日は頂上は雲に隠れて見えない。
ウッドチップが敷かれた道を沼の奥に向かうと、沢から勢いよく水が流れ込んでいた。背後は直ぐに低い丘で集水域が狭いのに、長雨の後とはいえこれだけ水量が多いのは、樹林の保水量が多いということか。遊歩道を沢の奥へ歩くと、夏草に覆われた石祠が水源を守るように鎮座ましましていた。
遊歩道は稜線の上にも続いている。稜線を左(東)に行くと細い山道となって、北に向かっている。途中で、高さ30cmくらいのまだ傘が開いていないキノコを見た。雨が続いたせいか、今日はにょきにょきキノコが生えているなあ。東の山麓に降りる道はなさそうなので、適当な所で引き返す。
稜線を西に向かうと、僅かに高くなった所に「雷電様→」という道標があり、山道が分岐している。この辺りが鹿田山(雷電山)の頂上かな。ウッドチップの遊歩道は稜線を越える林道まで続き、ここから林道を辿って鹿田山の南面を下り、岩宿遺跡に戻った。
岩宿遺跡では後回しにしていた岩宿ドームを見学(無料)。冷房の効いた半地下の部屋で、旧石器時代の人々の生活を描いたアニメを見る。かたくりの湯に入って汗を流してさっぱりした後、今日最後のスポット、岩宿博物館を見学した(300円)。たくさんの石器が展示されているのを見たが、気をつけていれば私も拾えそうな気がする。人工的な加工の跡には特徴があるそうで、じっくり見ておきました。
参考URL:計画と山行記録の作成に際して、下記のサイトを参考にさせて頂きました。
・wisteriaさんのブログ「関東近辺ぶらぶら旅日記」の8月1日と8月8日の記事
・「やまの町桐生」の琴平山、道帰り山、雷電山(八王子山)、天神山の記録
・「Webタイムス笠懸」の連載「歩いてみよう」の各記事。