西方寺沢〜柄杓山城跡
金曜日の夜は職場の新歓コンパがあり、帰宅後は酔っぱらって速効で就寝。土曜日は良く晴れた穏やかな天気となりましたが、のんびり起きたので遠出はやめて、近場の気になるスポット探訪に出かけて来ました。
昨年の柄杓山(城山)の桜はいまいちだったが、今年は市街から山頂がピンク色に染まっているのが見える。桜を見に行くついでに、以前から気になっていた西方寺沢の名水を探訪することにして、「やまの町桐生」の西方寺沢(の水)と西方寺沢水源の項を参考にさせて頂いて行って来ました。下から沢を遡ると藪が酷そうだが、盛夏ではないので、ま、なんとかなるのではないかと。
自宅を車で発ち、西方寺沢に向かう。林道岡平線の入口の少し手前に駐車スペースがあり、車を置く(林道は奥まで入れるが、林業作業中のようなので、駐車を遠慮した)。林道入口の左手には岡平山神宮がある。今日は地元の方が大勢集まり、社殿の掃除をしたり、新しい紙垂を付けていた。
林道を登って行くと、「水源の森 日本百選 / 名水 西方寺沢の水 / ここから三十分」と書かれた古い案内標識があり、古い林道が分岐して沢沿いに続いている。これを登って杉林の中をしばらく行くと小滝がある。飛沫に日光が反射して奇麗だったので、近寄って撮影してみた。
杉林を抜けると伐採された広い谷に出て、稜線まで眺めが開ける。沢を渡る丸太橋があり、その手前に軽自動車が停まっていた。もしかして、誰か登っているのかな。
伐採されたのは何時頃かは知らないが、繁茂した雑木はまだ若く、新緑が明るい。日差しが当たる場所では、初夏のように暑い陽気だ。
林道は、枯れ木と枯れ草に埋まった沢を渡って、さらに先に延びている。この沢が西方寺沢の本流のようだ。確かに、夏には猛烈な藪になりそう。左岸に古い作業道があるので、これを辿る。沢の中を歩くよりは楽だろう。しかし、この道はすぐに西方寺沢に突き当たって終わりとなり、あとは沢の中を歩く。幸い、沢は幅が広く、藪を漕ぐこともない。ちょっとだけ、沢登り気分を味わう。ところどころに新しい靴跡を見るのは、件の軽の主のようだ。
良く燃えそうな枯れ木と砕石がゴロゴロした沢を遡って行く。かなり稜線が近づいても水量は豊富だ。やがて、沢はガレに突き当たり、その下からバンバン水が湧き出ていた。ここが源頭の水源に違いない。ザックを下ろして、早速、コッヘルで汲んで飲んでみる。まろやかでクセのない、おいしい水だ。
水源の近くにはヌタ場もあった。水源はくまさんや、いのししさんの水場にもなっているのだろう。再び現れた古い作業道を辿って登ると、山腹を横断するこれまた古い作業道に出た。周囲を見渡すと、広大な伐採地のあちこちにジグザグに付けられた作業道の跡が見える。伐採地の斜面の途中に人影を発見。軽の主のようだ。タラノメでも採っているのかな。
作業道を左に進む。道は枯れ草とイバラに覆われて、ほとんど消えかけている。すぐ上には吾妻山〜鳴神山縦走路の稜線が見えているが、藪漕ぎはなるべく避けたいので、遠回りでも作業道を辿る。振り返るとピンク色の柄杓山と、桐生川を隔てて仙人ヶ岳が見える。作業道を斜め左上に登って行くと新しい林道に出て、ようやく歩きやすくなる。
杉林の中の林道をそのまま辿ると、吾妻山〜鳴神山縦走路に出た。鳴神山方面に向かうとすぐに西方寺沢の頭で、その先は源頭の伐採地に出て展望が開ける。今日は天気がいいので、この界隈を歩く人も多く、短い間に数パーティーのハイカーさんとすれ違う。
岡平で縦走路から分かれて、右の急な尾根を下る。この尾根でも数パーティーのハイカーさんとすれ違う。眺めの良い所でお昼にしているグループもいる。小さく登り返すと桐生市No.108基準点のあるピークで、桐生市街や西方寺沢の眺めが良い。私もここで休憩にして、缶ビールと餅入りもつ煮で昼食にする。
昼食を終え、さらに下って柄杓山に向かう。杉林の中の少し急な尾根を下ると、柄杓山城跡の駐車場からの遊歩道と合流した。ここからはお花見に来た人の行き来が多い。満開の桜の並木が青空をバックにして素晴らしい。頂上の本丸跡の広場では、団体さんや家族連れがお弁当を広げていた。
柄杓山頂上から日枝神社への下山道も、木の階段が良く整備されたハイキングコースだ。桜の他にヤマツツジも咲き始めている。下生えのササの中には、小さなフデリンドウがあちこちに咲いていた。麓に近い桜は散り始めていて、花吹雪が奇麗だ。
桜の林が終わると杉林になり、大きな石祠が祀られていた(2008-04-14追記:雷電神社というそうです)。Y字の分岐は右に進み、「柄杓山城跡遊歩道」の案内板を見て杉林を下ると、日枝神社に着いた。
日枝神社の境内には樹齢400年から600年のクスノキの大木が4本あり、こんもりとした森を作っている(県指定天然記念物)。これらのクスノキは、南北朝時代の1350年に桐生城を築いた桐生国綱が神木として献じたもの、と伝えられているそうだ。ここからは車道を歩いて、車まで戻った。