独鈷山
正月を信州・青木村の沓掛温泉で過ごしたのに続いて、今回はお隣、上田市の霊泉寺温泉に24日〜26日の2泊3日で宿泊。天気が良かった26日に独鈷山(とっこざん)に登って来ました。
24日は桐生を車で発ち、高崎駅でS&Sをピックアップして、榛名梅林に立ち寄る。花の盛りは過ぎていたが、榛名山を望む丘陵に白く広がる梅林の残りの花を眺める。来年は満開の時に来よう。
榛名梅林から風戸峠を越えて、秋間梅林を通り抜ける。こちらはまだ花見客が多い。横川のおぎのやドライブインでお昼を食べ、碓氷バイパスを経由して霊泉寺温泉に向かう。途中、丸子町郷土博物館を見学する。かつて製糸業で栄えた町の様子を写真で伝える展示会が開催されていて、見応えがあった。
松本と佐久を繫ぐ幹線道路で、車が途切れなく行き交うR254から分かれて、霊泉寺川沿いの細い道に入ると、途端に静かな山間の雰囲気に包まれる。今回の宿の和泉屋旅館に到着して、早速、温泉へ。夕食は鯉や山菜など地元産の素材を中心にしていて、品数も多く、大変美味しかった。
25日は夜半から朝にかけて雨が降り、その後もすっきりしない天気なので、大町の山岳博物館に行くことにする。出かける前に宿の隣りにある霊泉寺に参拝する。門前の欅は幹の周囲約9.4m、石垣の上に横たわる根本はさらに太く、怪物のような大木だ。
三才山(みさやま)トンネルを抜け、安曇野を大町へ向かう。オフシーズンで閑散とした信濃大町駅前商店街にあって、ここだけ賑わっていた「こばやし」で蕎麦を食べた後、山岳博物館へ。ちょうどこの日まで開催の企画展「北アルプス 山人たちの系譜 ―嘉門次、品右衛門、喜作 登場の背景―」を見ることができた。常設の展示もナイロンザイル事件の実物のザイル等、貴重な物が多数あるので、お勧め。
26日は朝から晴れた。宿の人から、独鈷山宮沢コースの駐車場について、林道の終点に車を置ける、という情報を頂く。お世話になった宿を発ち、R254に出てすぐの「独鈷山登山口」の標識に従って脇道に入ると、道の真ん中をユンボが掘り返している。道路工事のため、通行止めらしい(T_T)。地形図を見ると、R254に戻って東から迂回することもできそうだ。迂回ルートから御屋敷沢に沿う林道に入ると、教えて貰った通り、終点に駐車スペースがあった。
林道終点に車を置き、ナメの続く小さな沢に沿って登る。すぐに山の神を過ぎ、水流を渡り返しながら緩く登って行く。やがて、「ここより急になります 注意!」と書かれた道標を見ると、その通り、傾斜が増して来る。木の葉が落ちて明るい雑木林の間から、頂上付近の岩峰が見える。
やがて、雑木林の急斜面をジグザグに登る道になる。周囲には険しい岩壁もあって、気分はちょっと西上州。「あと600m?」という道標を過ぎると、一番傾斜のきついところに差し掛かる。たまらず、ちょっと一休み。振り返ると、遠くに残雪を頂いた蓼科山がうっすらと見えていた。
傾斜が少し緩んでカラマツ林が現れると、程なく「梅の木峠」と書かれた看板が現れる。ここで左へ沢山湖ルートを分け、右に登るとすぐに独鈷山の肩に出て、反対側から登って来た西前山コースを合わせる。ここから数分の登りで、石祠と「独鈷山登山記念」の標柱がある頂上に到着した。
頂上からの展望は、一部が松や白樺で遮られているが、ほぼ360度だ。南側は断崖になっていて、登って来た御屋敷沢の谷間やR254沿線の集落を俯瞰する。遠くには稜線に雪を斑に残した美ヶ原が見える。北側には塩田平の田園が一望でき、正月に登った子檀嶺岳や夫神岳が見える。頂上直下の北側斜面にはわずかに雪が残っていたが、風もなく暖かい。お湯を沸かしてスープを作り、パンで昼食にする。
下山は往路を戻る。途中の急斜面で、隊列の真ん中を歩いていたSがスリップ。道から外れて落ち葉の急斜面を滑落し始めた。すぐ後ろを歩いていた私は反射的にSの身体を摑んで止めようとしたが、引き摺られて二人一緒に滑落。5m程落ちて止まった。落ちている間は何がなんだか判らなかったが、止まった時、私は仰向けで頭が谷側にあった。背中のザックがブレーキになったようだ。さらに約5m下は沢底で、止まらなければ危なかった。
幸い怪我もなく、後は無事に下山。鹿教湯の温泉旅館の日帰り入湯で汗とほこりを洗い流し、着替えてさっぱりした後、帰途についた。
頂上で「山と渓谷」2月号に記事が掲載されていた奥多摩・天祖山の転落事故が話題に上がって、山歩きでは一瞬の出来事が事故に繫がるんだよねー、などと話していた直後のアクシデントで、まさにその出来事が起こり得ることを、あらためて認識しました。