湯殿山
今朝はのんびり起床。天気は今のところ晴れているが下り坂との予報なので、近場の里山を歩くことにする。いろいろなHPで紹介されているのを読んで、興味を引かれていた足利の湯殿山に出かけてきました。
桐生を車で発って、途中の菱町のコンビニで缶ビールと昼食を調達し、県道坂西桐生線経由で足利市葉鹿町の彦谷自治会館に向かう。自治会館のグラウンドの一角に車を置かせて頂く。
グラウンドの隅に彦谷の圃場整備事業(平成元年3月完工)の記念碑がある。今ではこの辺りの道路や川は直線的になっているが、以前は曲がりくねった畔、不整形な段々の湿田が連なる場所だったそうだ。
また、自治会館の入口には「彦谷湯殿山ハイキングコース」の詳細な案内図があり、湯殿山の由来が「江戸末期(1820年)頃からこの地方にまでも出羽三山信仰が盛んになった際に、彦谷村および粟谷村の有志の方々の働きかけで湯殿山神社(羽黒山、月山)をそれぞれ祀ったもの」と説明されていた。
自治会館を出発して、西登山口から経持坂(現地の標記は慶路坂。この地名については、「やまの町桐生」の雷電山/水道山の項を参照下さい)を登る。風もない陽気で、坂の途中ではほころび始めた梅の花を見た。
すぐに経持坂の峠の上に到着。無線中継施設に占拠された峠の片隅に馬頭観音の石碑がいくつか固まって置かれている。峠で右折して送電線巡視路に入る。大変良く整備された道で、緩く上下を繰り返しながら尾根を辿って行く。途中で犬を連れた地元?の方とハイカーさんに行き合うが、後は誰にも会わない静かなハイキングとなった。
学校林上という道標を過ぎると、送電線巡視路を離れて細い山道になり傾斜も増すが、ザレザレの急坂にはトラロープが付いているし、ちょっとした岩場には巻き道まであって、丁寧に整備された道だなあと感心しながら歩く。
急坂で少し汗をかいて361mピークに到着。北側には石尊山と砂利採石所が見える。ここからは雑木林の尾根の上のいくつかの小さなピークを越えて行く気持ちの良い道だが、砂利採石所から耳障りな音が聞こえて来るのは珠に傷(土曜操業、日曜休業なので、静かな山が楽しみたいときは日曜日にお越し下さい)。
しかし、騒音が届くもつつじの峰まで。静けさが戻った稜線を進むと、石鳥居と大小三つの石祠がある湯殿山の頂上に着いた。祠は石組みの上にあって、神さびた雰囲気が漂うところだ。石鳥居の向かって左の柱に小さな木札が掛けられていて、どこをどうやって測量したかは不明だが398.7mと記されている。展望は霞がかかっているが、南側が開けている。
12時を回ったのでお昼にする。登り1時間の小さい山でも、頂上でのランチの楽しさは同じ。缶ビールを飲みながら、五目鍋焼きうどんをぐつぐつ煮込んで食べる。
お腹も満足したので、頂上を出発する。東登山口方面への道標があり、「後からのあおり禁止、岩場注意」と書いてある。そんなことされたら、そりゃ怖い(^^;)
露岩のある少し急な稜線を下ると、下りの途中に四つの石祠が短い間隔で祀られていて、それぞれに月山、粟谷湯殿山、羽黒山、四等三角点湯殿山350.86mという標識が付けられている。これで出羽三山をお参りしたことになるようだ。
四等三角点からは行道山〜大岩山付近の山並と山麓の長閑な村落の眺めが良い。しかし、この辺りには枯れた松が多いことが気にかかる。
送電鉄塔まで来れば急な下りは終わり。里山らしいスズタケと雑木林の緩い尾根歩きとなる。粟谷分岐には「カタクリ←20m」という道標があり、様子を見てみたが、暖冬とは言ってもさすがにカタクリには時期が早いようだった。
表登山口(旧高松館)への分岐が2回あり、天池(猪の楽園)を通る。説明板によると、昔、彦谷村が飢饉にみまわれた際に、此の地に池を掘り雨乞いをした、との伝説があるそうだ。現在ではぬた場になっていて、今にも猪が出そうな場所だ。
280m標高点(標識がある)を過ぎ、ゆるゆると高度を落として東登山口に到着。車を置いた自治会館までは、ほんの僅かの距離だった。
帰りは車ですぐの地蔵の湯東葉館に立ち寄る(700円)。ここに来るのは2回目。沸かし湯だが、泉質の異なる内湯が三つと露天風呂まであって、手近な割になかなか良いところです。