柄杓山城跡〜鳴神山
4月中旬のこの時期、桐生市街から北を眺めると山頂一帯が薄ピンク色に染まった山が見えます。これが柄杓山(ひしゃくやま)城跡で、地形図には城山(361.0m)と記載されているピークです。なお、城山は「じょうやま」と読みます。
今回は、柄杓山城跡で桜を見たあと、吾妻山〜鳴神山縦走路に上がって、トレーニングとアカヤシオの偵察を兼ねて鳴神山まで往復して来ました。
予報では今日の天気は下り坂なので、早めに自宅を車で出発。途中のコンビニで缶ビールを買い込み、城山林道奥の駐車場へ。ここの桜もなかなか見事。駐車場は広く、WCもある。時間が早いせいか、他の車はまだ1台だけ。空気がヒンヤリとして気持ち良い朝だ。
駐車場から少し車道を辿ると、左に谷を埋め立てた空き地が見える。車道から分かれて、空き地の脇の広い山道に入る。杉林の山腹を巻くように登ると、伐採された斜面に植林体験会場という立て看板があった。あとでネットで検索すると、同じ日の午前10時から市内の小中学生がケヤキの苗を植えるイベントがあったらしい。
駐車場から20分程で尾根の上に出た所が三の丸跡だ。右に尾根を上がると吾妻山〜鳴神山縦走路、城山山頂は左である。桜を見に、まずは城山の山頂を往復する。
三の丸跡、二の丸跡と小さなピークを巻くように遊歩道が整備されている。ところどころ、堀切跡という標識があり、斜面を削り取ったような痕跡が残っているのが、かつて城があったということをかろうじて示している。
椿の並木を抜けると、雑木林に囲まれた広場になっている城山山頂だ。南と東の斜面が桜林になっていて、桜の花を透かして桐生市街が眺められる。これだけの数の桜が咲いていると、気のせいかも知れないが、吹いて来る風も何か甘い香りがするようだ。
広場の真ん中には城の歴史を記した石碑がある。地元桐生に住んでいる私としては大変興味深いので、ここで引用させて頂く。
桐生檜杓山城
この城は南北朝の初め桐生国綱が三年の月日をかけて築いたものという。碑のあるところが本丸のあとで後ろに二の丸三の丸があり東に桐生川南に渡良瀬川をめぐらし西南の丸山と東南の浅間山にとりでを構えてその間に新川を掘って要害堀とし東西の山地には物見山その他の小さなとりでを備えて万全の構えを示し桐生実城と称された。城主桐生氏は助綱の頃まで繁栄したが天正元年助綱の子親綱のときに築城以来約二百二十年で金山城主由良成繁に滅ぼされた。由良氏は二代国繁のときに小田原の北条氏に味方して豊臣氏に敗れわずか十八年で常陸の国牛久に移されこの城は廃城となった。
かつてこの場所に城があって、220年も栄えていたとは驚きである。
桜を堪能した後、三の丸跡まで戻って、吾妻山〜鳴神山縦走路の途中の岡平に向かって尾根を登る。この道は地図には記載されていないが、はっきりとした道である。杉林の中の単調な登りを抜けると、左手が伐採された場所に出て、桐生市街の眺めが良い。
小さなピークを上下して、最後にひと登りすると縦走路に出る。ここから鳴神山に向かって縦走を開始する。
大形山(おおがたやま)までは、雑木林に囲まれた緩いアップダウンの尾根が続き、気持ち良く歩ける。登り着いた大形山には二等三角点があるが、木々に囲まれて展望はなく、縦走路の途中という感じだ。
大形山から平らな尾根を少し進むと、縦走路は左に折れて、金沢峠への急な下り坂となる。金沢峠から右に下ると梅田町一丁目金沢、左に下ると川内町五丁目で、それぞれはっきりした道がついている。鳴神山に向かって尾根を直進すると、石祠のある三峰山(697m)だ。ここには地元高校が設置した新しい道標があるのだが、この山域では良くあることで一部に獣に齧られた形跡があった。
三峰山から鳴神山へはまだ300m近い標高差があり、吾妻山から縦走してくるとこのあたりが一番しんどい。途中、「高畑林道 鍛冶谷戸」という道標と赤テープを見る。自然林の中を歩くことが段々多くなり、ちょっと深山の雰囲気だなぁと思うと、鳴神山の肩の広場に到着。鳴神山山頂へはあとひと登りだ。
鳴神山は3年振り3回目の登頂。ここからの360度の展望はいつも気持ち良い。天気が意外に穏やかで日差しが暖かく、ちょっと霞んでいるが、まだまだらに白い男体山、白根山、皇海山、袈裟丸山を遠くに眺めながら飲む缶ビールがうまい。
お目当てのアカヤシオはまだ蕾だが、数は沢山あった。見頃は来週か再来週だろうか。まだアカヤシオが咲く前にも関わらず、頂上はハイカーさんで大賑わいだった。頂上で餅スープの昼食を摂っている間に延べで30人くらいが頂上に居ただろうか。アカヤシオが咲く頃には混雑必至である。それと確実に言えるが、今日のこの中では私が最年少だ(^^;)。
帰りは往路を忠実に戻る。計6時間の山行だったが、アップダウンの多いコースでもあり、なかなかのトレーニングになった。登山口の駐車場に戻って来ると、この陽気で花見に人が来ない訳がなく、車の数は20台近くになっていた。