桧沢岳
今日の山行は西上州の桧沢岳(ひさわだけ)。コースタイムが約2時間半と短い山なので、桐生を車でのんびり出発する。北関東道を下仁田ICで降り、南牧川、桧沢川沿いに走って登山口の根草を目指す。大森橋を渡った先で左折。右の塩ノ沢峠越えの道には雪が凍り付いていた。根草の集落の駐車スペース(4台分)に車を置かせてもらう。他の車はなく、今日はまだ誰も登っていないようだ。
風はほとんどなさそうなので、下はオーバーズボンを止めて厚手のストレッチパンツ、それとフリース地のアンダーの重ね着で行くことにする。コンクリ舗装の狭い道をジグザグに上がり、無人の民家の軒先を抜け、左上の尾根に向かって枯れ草に覆われた山畑跡の斜面を登る。ここまでは陽があたってぽかぽかと暖かい。
尾根上の道になると、杉林と雑木林の中の急登となる。すっかり葉を落とした雑木林の中、ユズリハ?の緑が多く目立つ。時々、木の間から桧沢岳の北西に連なる岩峰群が見える他は展望がない。
岩尾根に行き当たって左から巻いて登ると、「龍徳不違天」と刻まれた石碑のある岩場の上に出た。西上州の山々の展望が開け、また桧沢岳西峰の岩峰も仰ぐことができる。
それにしても、龍徳不違天とはどういう意味だろう。帰ってから検索してみると、沈佺期という人が詠んだ「竜池篇」という漢詩があることがわかった。以下は岩波文庫「唐詩選(中)」からの引用である。
龍池躍龍龍已飛 竜池竜を躍らせて竜已に飛べり
龍徳先天天不違 竜徳天に先だって天違わず
池開天漢分黄道 池は天漢を開いて黄道を分ち
龍向天門入紫微 竜は天門に向って紫微に入る
邸第樓臺多氣色 邸第楼台 気色多し
君王鳧雁有光輝 君王の鳧雁 光輝有り
爲報寰中百川水 為に報ぜん 寰中百川の水
來朝此地莫東歸 此の地に来り朝して東帰する莫かれ
この詩は、唐の天子が竜池の神を祭るときに演奏される楽歌の中に入れられていたそうである。もし、石碑がこの詩と関係があるとすると、なんか風流な話ですね。
髭摺岩からは岩壁の間をうまく縫うように道が付けられていて西のコルに上がる。コルはキレット状になっていて、雪が凍り付いているとちょっと嫌な岩場だ。まず、展望が良いという西峰に向かう。岩場を一段上がると、石祠のある西峰だ。
西峰の南面はすっぱりと切れ落ちた岩壁となっていて、遥か下には山麓の桧沢あたりの民家が見える。そして、西から北、北東にかけて大展望だ。まず西には烏帽子岳や大岩、三ッ岩岳、遠くに浅間山、北東側のお隣には小沢岳の端正なピークが大きい。双眼鏡を覗いてみると、小沢岳の頂上に人がいるのが見えた。そのずっと先、榛名山の右肩に見えている白い山々は、燧ヶ岳、武尊山、至仏山、平ヶ岳のようだ(写真では小さくてわかりませんが)。
ゆっくり展望を楽しんだ後、西のコルを慎重に越えて桧沢岳の本峰に向かう。こちらの頂上は灌木に囲まれていて、西峰ほどの展望はないが、東側には稲含山が見えた。また、西峰から北西に延びる尾根が岩峰を連立させてがっくんがっくんと落ちて行く様子が見える。屋根が銅で葺かれた祠があり、その前の小平地でまずは缶ビール。風が強くなくて助かった。お昼は例によって餅入りスープ。やっぱり暖かい物が美味い。頂上を独占して、のんびりする。
下山は神社の裏手の尾根を下る。北側の日陰には5cmくらい雪が積もっている。まだ凍ってはいないが、滑らないように注意して下る。北から東に回り込むと岩壁の下に東屋があり、その奥の岩屋に桧沢岳神社が祀られていた。
神社から岩尾根をトラバースしてルンゼ上の急斜面を下り、再び尾根上に出る。眺めの良い小岩峰を通って下ると、東のコルだ。ここで一休みした後、右の斜面を下る。杉林の中をジグザグに下ると、途中滑り易いところがあるが、あっと言う間に沢に出る。
沢を渡った対岸に林道があり、あとはこれを辿る。日陰の路面には雪がたくさん残っている。右手に桧沢岳のずんぐりとした兜のような頂稜を見上げながら、滑らないように下る。大森橋までわずか、そこから駐車スペースまでもすぐだ。駐車スペースには車がもう2台増えていた。
帰りの♨は馴染みの「かぶら健康センターかのさと」に行ってみるが、工事中ということで12月22日まで臨時休館。それでは新しいところを開拓しよう、ということで大島鉱泉に向かう。お風呂に入れるか尋ねると、それからお湯をわざわざ張って入れてくれた。360円で一番風呂に入れて、ちょっと感激。よく温まって帰桐した。