天保山

天気:
メンバー:M,S,T
行程:JR桜島駅 …天保山渡船場(咲花区側) ==(船)== 天保山渡船場(港区側) …天保山(4.5m) …市営地下鉄大阪港駅

日本で一番低い山が天保山(地図閲覧サービス)であることを私が最初に知ったきっかけは、記憶は定かでないが、多分、「群馬山岳移動通信」の天保山のページではないかと思う。9月末に所用で大阪に行く機会があり、ついでに近くの山に登ろうと思ったときに、ふと、この山のことを思い出して、3人パーティで行って来ました。

天保山は、通常、市営地下鉄大阪港駅からのピストンで登られているようであるが、地形図で詳細に検討すると、JR桜島駅(鹿児島県にありそうな駅だが、そうではない)から渡し船を使って、海からアプローチするルートがあることに気づく。しかも、この渡し船は大阪市営で無料である。これは使うしかないでしょう。

大阪環状線西九条駅で桜島線の列車に乗り換える。この路線は Universal Studios Japan™(以下USJと略)へのアクセス路線になっており、週末のこの日、車内はUSJへ向かうとおぼしき軟弱者で溢れていた。

USJの最寄り駅は終点桜島駅のひとつ手前のユニバーサルシティ駅(なんじゃこの駅名は。ちなみにネットで調べると、JRのカタカナ駅名には他にトマム、ニセコ、マキノ、オレンジタウン、スペースワールド、ハウステンボスがあるらしい)で、大半の乗客はここで降りる。しかし、少なからぬ乗客(しかもメッチェン多し)が終点まで乗車している。終点の先には倉庫と埠頭くらいしかないはずだが、ひょっとして、みんな天保山を目指すのだろうか。

この疑問は桜島駅の改札口を出てしばらくで氷解。みんなUSJの従業員通用門に入って行ったのでした。お仕事ご苦労様です。天保山渡船場に向かうのは我々3人だけとなる。要所の曲がり角には渡船場を示す道標があり、迷うことはない。頑丈な堤防をスロープで越えると、渡船場の簡素な待合室(WCも自販機もない)と船着き場があり、海を隔てて対岸が見えた。天保山はあの対岸のどこかにあるはずである。

渡船は日中は毎時0分、30分発だが、時刻についてはかなりアバウトだった。待っているうちに10数人の乗客が集まる。船首に「海桜」と書いた小さな渡船が接岸すると、中から結構な数の乗客が降りて来た。地元らしい人のほか、観光客や、自転車を押した外人までいる。こちらからの乗客を乗せると船はすぐ出航した。

天保山渡船場(咲花区側)から
天保山のある対岸(港区側)を望む
渡船で対岸に渡る
利用者は結構多い

船内(というか船上)は座席はない。てすりにもたれて水上から大阪港の眺めを楽しむが、距離は400m。あっという間に対岸に到着して下船である。こちらの待合室には天保山渡船場について説明板があった。これを読むと、大阪港の開発に関わる天保山と渡船の歴史がよくわかるので引用しておこう。

江戸時代、安治川の開削によって上流の土砂が堆積し諸国廻船の航行に支障が生ずるようになったので、幕府により、天保2年から2年の歳月と延べ10万1200余人を動員して「御救大浚(おおすくいおおざらえ)」と呼ばれる大工事が行われた。そのときの川底の土砂が積み上げられてできた山を、幕府は「目標山(めじるしやま)」と命名したが、天保年間にできたことから、人々はやがて「天保山」と呼ぶようになり、現在は標高4.53mの「日本一低い山」として知られています。その天保山(港区築港3丁目)と此花区桜島3丁目を結ぶ(岸壁間400m)位置に天保山渡船場があります。明治38年に開設されたこの渡しは、大阪港の繁栄を企図した大阪市が港湾振興策の一環として始めたもので、昭和15年までは市の港湾部が所管していました。その後の管理は、土木部(現建設局)に移され現在にいたっています。

さて、天保山の三角点はどこであろうか。噂では偽りのピークに騙された人も多いと聞く。GPSを持ってこようかとも思ったが、荷物の軽量化のため家に置いて来たので、ネットで調べたときの朧な記憶とヤマ勘が頼りだ。取り敢えず公園に入りたいのだが、壁が続いているので、右に回り込んで公園の中に入る。三角点は高い石塔の裏側に隠れるようにしてあった。なんのことはない、渡船場のすぐ裏手(というか渡船場がすぐ裏手というべきか)である。

天保山山頂にてM氏
後方の茶色の屋根は渡船場待合室
天保山の二等三角点

ネットで写真がよく紹介されているが、実物の三角点を拝むと、やはり腰が砕けそうに感動である。三角点の傍らには天保山山岳会が設置した事務局への案内図(登山証明書を発行して貰える)と国土地理院の金属プレートの説明板がある。説明板によると、二等三角点天保山(てんぽうざん)の標高は4.53m、設置年は明治44年(1911年)、6月3日は「測量の日」、だそうだ。

天保山の頂上を辞して、公園の出口(本来の入口)に行くと、陶器のタイルによる立派な絵が3枚ほど飾られていた。この絵は江戸時代の天保山の様子を描いた物で、当時は茶屋などもあり、庶民の遊興の場として大いに賑わったらしい。いわばウォーターフロント、ベイエリアのさきがけである。

公園入口の陶板画の一つ
「浪速天保山風景」
登山証明書

まだ午前も早いうちなので、海遊館を見物し、天保山マーケットプレース内で昼食を食べた後に、天保山山岳会事務所のある喫茶「山小屋」を訪ねる。ちょうど店が開いた所で、登山証明書を交付して頂けた(土日祝日の1時〜4時。手数料10円)。証明書のNo.は今年に入ってからの登山者数だそうで、百名山も真っ青?の人気である。

こうして天保山をきわめた我々は大阪港駅より次の目的地、大阪城を目指した。そして天守閣を1階から8階まで階段で登ったが、天保山に比べれば楽勝だったことは言うまでもない(^^;)。