鐘ヶ嶽〜三峰山

天気:
メンバー:T
行程:広沢寺前駐車場 7:30 …鐘ヶ嶽バス停 7:45 …鐘ヶ嶽(561m) 9:20 …山ノ神峠 9:40 …不動尻 10:10~10:20 …三峰山(935m) 11:45~12:30 …不動尻 13:45 …山ノ神隧道 14:15 …広沢寺前駐車場 14:55
ルート地図 GPSのログ(赤:往路、青:復路)を地理院地図に重ねて表示します。

今回の正月休みは横浜の実家でのんびり過ごすことになった。桐生から帰省する際、折角の機会なので、どこかに立ち寄って山歩きしようと考えて、東丹沢の鐘ヶ嶽と三峰山に登ってきました。

桐生を未明に車で出発。圏央道、海老名南JCT、新東名を経由して伊勢原大山ICで高速を降り、広沢寺に向かう。七沢森林公園の入口を過ぎた辺りから、行く手に鐘ヶ嶽の整った鈍角三角形の山容が眺められる。今日は快晴で、絶好の山歩き日和だ。

広沢寺前駐車場に車を置く。ハイカー用に整備された無料駐車場で、WCもある。他の駐車は2台で、ソロハイカーさんが出発するところだった。駐車場の入口ではカボス🍋が無人で販売されていて、6個でなんと100円。これは買うしかないでしょう。登山中に齧ってみようと思って2個をザックに入れ、残り4個を車内に置いて出発する。


広沢寺前駐車場


カボス6コ¥100円

駐車場の向かいに広沢寺と広沢寺温泉玉翠楼の入口がある。下山後は広沢寺温泉で日帰り入浴する予定。入口には「下向き地蔵」と称する1737年造の古い石仏の他、「七沢城址の概要」についての説明板がある。

説明板によると、七沢城とは、現在の七沢リハビリテーション病院付近にあった山城。室町時代中頃に山内上杉氏の上杉憲忠(のりただ)が構え、その後、扇谷(おうぎがやつ)上杉氏の所有となる。1488年に両上杉氏の間で戦となり、山内上杉氏の上杉顕定(あきさだ)に攻められるが、扇谷上杉氏の上杉定正(さだまさ)が川越から一昼夜で駆けつけ、実蒔原(さねまきはら)の合戦にて顕定を破り、奇跡的な勝利を挙げた。広沢寺は定正の菩提寺で、定正と妻の鶴姫の墓が建てられている、とのこと。なお、後日調べると、定正は南総里見八犬伝の八犬士の最大の敵、扇谷定正として知られているらしい。


広沢寺と広沢寺温泉玉翠楼の入口


下向き地蔵

車道を少し戻って、河鹿の沢バス停で左の道に入る。この分岐には案内図もある。小さな丘の上に上がると、鐘ヶ嶽の金字形の山容が雲一つない青空に浮かぶ。鐘ヶ嶽バス停で斜め左後ろに分岐する道に入る。ここも道標あり。民家の間を抜けて上り坂にかかると鐘ヶ嶽の登山口で、七沢浅間神社の参道入口の石段がある。説明板によると、鐘ヶ嶽は古くから知られて「浅間山(せんげんさん)」とも呼ばれ、頂上付近には七沢浅間神社が建立され、定正が崇敬して社殿の造営を行ったとのこと。


鐘ヶ嶽ハイキングコース案内看板


河鹿の沢バス停


鐘ヶ嶽バス停から鐘ヶ嶽を仰ぐ


七沢浅間神社の参道入口

石段を登り始めると、途中に「壱丁目」の大きく立派な石標が建つ。さらに「石坂供羪塔」の石塔、1対の石灯籠に続いて立派な石鳥居が建つ。鳥居の右と左の柱にはそれぞれ「天下𣳾平」「國家安?」の文字が刻まれている。これらの石造物は、鐘ヶ嶽周辺から産出する七沢石と呼ばれる石材(火山礫凝灰岩)でできているそうである。鳥居を潜ると石段は終わり、杉林の中を緩く登る山道となる。すぐに「二丁目」の石標がある。柱の上に石仏が乗っているが、風化が進んで、何の仏なのかは判然としない。


「壱丁目」石標


一丁目の石灯籠と石鳥居

頑丈な防獣柵のゲートを通ると、「三丁目」の石標がある。これには綺麗な石仏が乗っていて、石標に「虚空藏?」の銘が刻まれている。以降、石仏を乗せた石標が「大珠菩薩四丁目」、「勢至菩薩六丁目」、「大日如来七丁目」、「不動尊八丁目」、「八幡大菩薩九丁目」と連続する。この間、山道は段々傾斜を増して、ところどころ深く掘り窪んだ尾根道となる。

「拾丁目」の石標には石仏がなく、代わりに「鐘嶽登山」の下に🗻印、○の中に福の屋号、「文久四子(1864)年正月吉日」「當國高𫝶郡福田村 淘綾郡中里村 講中」の銘がある。このあとは石仏のない石標が連続する。「拾一丁目」は「愛甲郡長谷村」、「拾二丁目」は「淘綾郡西小礒村」、「拾三丁目」は「高𫝶郡本蓼川村 門沢橋村」の銘があり、相模国一円から信仰を集めていたことが窺える。


防獣柵のゲートを通過


「三丁目」石標


「八丁目」石標


「拾二丁目」石標

十三丁目に「←上杉公内室の墓 3分」の道標があるので、立ち寄ってみる。山腹をトラバースすると3分とかからずに石仏と2基の小さな墓碑を見出す。中央の墓碑には「長皎院孤月了圎大禅定尼 延徳三辛亥(1491)年八月廿三日 當城主上杦定正奥 廣沢寺廿四世大全代」と刻まれており、これが上杉公内室の墓らしい。右の墓碑には「延徳三年八月廿三日上杉鶴子姫 當村横死者諸霊位」の銘と共に、安政、慶應から明治にかけての日付と人名が二十数名分刻まれている。参拝登山の途中で不慮の事故に遭った方々だろうか。


「上杉公内室の墓」分岐


上杉公内室の墓

十三丁目の石標に戻って尾根道を登る。「拾四丁目」の石碑には高森村の銘。七沢自然ふれあいセンターへの道を右に分け、急坂を登ると勢至菩薩の石像(嘉永五(1852)年)と「拾五丁目」の石標が並び建つ。この石標には高座郡打戻村の銘あり。

「拾六丁目」、武州多摩郡八王子寺町の銘のある「拾七丁目」の石標を過ぎる。急斜面をジグザグに登ると、高座郡吉岡村と大住郡南金目村の銘のある「拾八丁目」の石標があり、続いて現れる「十九丁目」と「二拾丁目」の石碑には鎌倉郡和泉村の銘がある。


「拾四丁目」石標


七沢自然ふれあいセンター分岐


勢至菩薩像と「拾五丁目」石標


「十九丁目」石標

「廿一丁目」の石碑(鎌倉郡宮沢村)を過ぎると岩場が現れ、「浅間山 覗きの松 二代目」の新しい石標や古い石碑、石標がある。岩場の上からは南側の眺めが開ける。


覗きの松


覗きの松から南側の眺め

しばらくなだらかな尾根を登り、行く手には鐘ヶ嶽の山頂が見えてくる。「廿三丁目」(高𫝶郡菖蒲沢村宮原村)、「廿五丁目」(高𫝶郡今里村)、「廿六丁目」(高座郡葛原村)の石標が次々に現れる。


鐘ヶ嶽の頂上を望む


大山を望む

二十六丁目を過ぎると長い石段が現れる。「廿七丁目」(高𫝶郡吉岡村)の石碑を過ぎ、「廿八丁目」の石碑に着くと参道石段修復の記念塔(昭和52年)や「丁杬供養塔」(慶應二(1866)年)が建つ。丁杬とは何ぞや。その上に大岩があり、傍には「鐘掛山尊聚院 天台宗禪法寺跡」の新しい石標や「明治三十九年 大天狗」の石板がある。石段を少し上がった所には「淺間山」の額束を掲げた小さな石鳥居が建ち、その左手には出征兵士の石像、右手には水盤と「一金五百圓社殿建設寄付」の石碑がある。


「廿七丁目」石標と参道石段


鐘掛山尊聚院 天台宗禪法寺跡


浅間神社下の石鳥居


出征兵士像

このすぐ上の広場に浅間神社の立派な社殿が建つ。説明板によると創設は孝元天皇の代で、後に上杉定正によって造営され、養蚕・子宝・安産を祈願して信仰されたとのこと。陽当たりの良いベンチがあり、休憩適地だ。展望説明盤もあるが、眺めは生育した杉に遮られて、厚木市の白山が見える程度である。


七沢浅間神社


浅間神社のベンチ

社殿の左脇から杉とアオキが鬱蒼と茂る林をひと登りすると、鐘ヶ嶽の平坦な頂上に着く。不動尊像の他、ベンチもあるが、樹林に囲まれて展望は全くなく、地味〜な頂である。写真を撮っただけで、先に進む。


鐘ヶ嶽頂上


頂上の不動尊像

頂上から西へ尾根を下ると、ところどころ冬枯れで明るい雑木林を通る。尾根が細くなり、左斜面を絡んで下る。手摺にトラロープが張られた箇所もあり、南面に山麓の眺めが開ける。行く手には木立を透かして大山が高く遠くに眺められる。こちら側から大山に登ると、登り応えがあって面白そうだな。


冬枯れの雑木林を下る


トラロープが張られたトラバース


南面の展望


大山を遠望

細い尾根を通り、ほどなく山ノ神峠に着く。峠の左右に山道が通じる。道標があり、左は広沢寺温泉、右は山神隧道経由広沢寺温泉と記されている。また、直進する方向には「←大山 一部道悪し」との書き込みがある。


山ノ神峠


山腹をトラバース

峠から右(北)に下ると薄暗い樹林に覆われた山腹をトラバースしたのち、小沢を下って林道二の足線に出る。この地点には「鐘ヶ嶽」と記された小さな道標がある。


小沢に沿って下る


林道二の足線に下り着く

林道は谷太郎川の右岸中腹をトラバースするもので、谷を覗き込むと急峻で深く、上流には大山と三峰山を結ぶ稜線が高く望まれる。林道を上流に向かう。ほどなく、路側が広くなった駐車スペースがあり、「林道二の足線終点」の看板がある(かつてはここまで車で入れたようだが、現在では広沢寺温泉と山神隧道の間にゲートがあり、進入不可)。


林道から大山〜三峰山の稜線を仰ぐ


林道二の足線終点

終点の先も車道が続き、谷太郎川を橋で左岸に渡ると「煤ヶ谷バス停 約95分約5km→」の道標があり、左岸を下る山道が分岐する。ここにはベンチやWCもあるが、WCは凍結のため1月末まで使用不可の貼り紙あり。右岸に渡って車道を上る。フサザクラ(開花時期3月〜4月頃)やミツマタ(3月中旬〜4月中旬頃)などの花の説明板があり、時期が良ければ花が楽しめるようだ。


煤ヶ谷バス停分岐


林道を奥へ

簡易WC(こちらは使用可)を過ぎると車道終点となり、橋を渡って不動尻に着く。広場があり、一面に人工芝が敷き詰められてベンチが設置されている。「ヤマビル注意」の貼り紙があり、6月〜10月に出るらしい。この人工芝はヤマビル対策だろうか。そうでもしないといけないとは空恐ろしい。周囲にはミツマタの群落があり、既に蕾を付けている。


不動尻


不動の滝に向かう

案内図によると不動の滝まで3分とあるので、立ち寄ってみよう。杉林を進んで沢岸に出、古い砂防堰堤の横を石段と鎖の手摺で越えると、右から不動の滝が勢いよく水を落とす。落ち口が妙に滑らかな一枚岩の滝で、堰堤かと見間違う。高さは数m程で、ちょっとしょぼい。上流には大滑滝と白滝があるそうだが、沢登りの領域なので、ここで引き返す。


砂防堰堤を越える


不動の滝

不動尻に戻り、谷太郎川本流に沿って登る。すぐに大山と三峰山の分岐となり、ここは右の三峰山へ。古い注意看板があり「三峰山は地形が急峻で歩道は狭く沢沿いやくさり場など多く経験者向きの登山道です。無理をしないで引き返す勇気が必要です」と書いてある。これはなかなか期待できる。


大山・三峰山分岐


沢沿いに登る

杉林を抜け、ナメや小滝を見ながら沢沿いの山道を登る。ガレた沢筋から鎖が張られた岩場を登り、右岸の桟道を交えた山道を進む。古い石積みの堰堤を越え、道標に従って沢を右、左に渡り返す。薄暗い杉林を抜けて、陽当たりの良い右岸斜面を登る。頭上には青空が広がり、雰囲気が明るくて気分が良い。


一つ目の鎖場


沢を右左に渡り返す


明るく開けた沢を登る


ガレ沢に沿って登る

二つ目の鎖場を登り、急斜面をジグザグを切って上がる。樹林の切れ間から、三峰山の前衛峰が眺められる。やがて稜線に登り着くとベンチがある。稜線を辿り、「←不動尻1.4km 三峰山0.7km→」という道標を過ぎる。あと0.7kmだが、ここからが意外ときつい。


二つ目の鎖場


急斜面をジグザグに登る


稜線に登り着く


急な稜線を登る

稜線を辿ると急坂の登りとなる。木の根や岩角が露出して段差が大きく、鎖の手摺も設置されている。登り着いた910m圏ピークには特に標識の類はない。ここから小さなアップダウンのある痩せ尾根が続く。左右の斜面は急峻で、右側には木の間から谷太郎川支流の鳥屋待沢を俯瞰する。途中、数組のハイカーさんとすれ違う。鎖や梯子、桟道が整備され、変化に富んで面白いが、出発から4時間歩いたこともあり、だいぶ疲れてきた。


910m圏ピーク


痩せ尾根を辿る


鎖場で小ギャップに下る


最後の急登

最後に木の根・岩角・鎖の稜線を急登して、三峰山(南峰)の頂上に着く。頂上は平坦だが狭い。山名標識と浮き上がって傾いた三角点標石(点名:三峯)、1基のベンチがある。樹林に囲まれて、展望は木立を透かして丹沢主脈が遠望できる程度。頂上には誰もいない。ベンチに腰を下ろして昼食休憩とする。鯖味噌煮で缶ビールを飲み、カップ麺のCOOPごぼう天そばを食べる。それからカボスの皮を剝いて、そのまま食べてみる。非常にジューシーでフレッシュな酸味がある。これは美味いカボスだなあ。

(三峰山に登るのは1986年7月以来、2回目。前回は東面の鳥屋待沢を沢登りして、三峰山に登り上げた。紙の登山日誌を読み返すと、滝の高巻きが一箇所あるだけで大して面白くないが、最後の詰めは崩れ易いガレでかなり緊張した、と書いてある。うーん、全然、覚えていない😅。下山は北に稜線を辿って、煤ヶ谷に下っている。)


三峰山頂上


丹沢山を遠望

ゆっくり足を休めたのち、往路を戻って下山する。痩せ尾根を辿り、ベンチのある鞍部に向かって下る。


往路を戻る


小ギャップと鎖場


東麓の展望


稜線から沢への下り口

稜線から離れて左斜面をジグザグに下る。下りは楽やね。沢沿いの道となり、往路は日溜りだった斜面も、早くも日が傾いて日陰となっている。2箇所ある鎖場も問題なく通過。不動尻に帰り着く。


山腹をジグザグに下る


沢沿いに下る

広場のベンチで一休みしてブロックチョコを齧る。ここからは車道歩きとなる。林道二の足線を辿り、鐘ヶ嶽の登り口を過ぎると山神隧道の入口に着く。トンネル内は照明がなく真っ暗だが、向こう側の出口が見えているからヘッドランプなしで進む。ちょっと薄気味悪く、何かついて来ているんじゃないか、と妄想すると鳥肌が立つ。


不動尻に帰着


山神隧道入口

トンネル出口の脇に山ノ神峠への登り口があり、簡易WCもある。林道を下るとゲートで閉鎖されており、一般車は不動尻方面に進入できない。ゲートから少し下ると谷が開け、広い路側スペース(大平石切場跡)があるので、駐車する際はそちらが良さそう。


山ノ神峠登り口


林道二の足線のゲート

新しく大きな砂防堰堤の下流で右岸に渡ると「大釜弁財天道」と書かれた御影石の標石がある。弁財天の前には七つの滝壺があり、かつては雨乞いが行われたとのこと。興味深い。また、弁財天の近辺には広沢寺の岩場と知られるロッククライミングのゲレンデがあるそうである。やがて、たわわに実をつけたカボス園が現れ、その向こうに広沢寺温泉の建物が見えてくる。右手には愛宕大権現の山道石段があり、「見城山頂へ1.0km約40分」の道標もある。これもちょっと興味が湧く。広沢寺前駐車場はここからすぐである。


大釜弁財天道


広沢寺前駐車場に帰着

帰りは広沢寺温泉玉翠楼に日帰り入浴で立ち寄る(1000円。1ヶ月有効で次回入浴が半額になるサービス券が貰える)。館内は古民家風で大変風情がある。日帰り入浴は露天風呂で、湯船に浸かる前に身体を洗う間は超寒い。しかし、湯に入れば温まって極楽。強アルカリ性の泉質でヌルヌルした肌触りが素晴らしい。他に入浴客が二人。あまり広くないので、空いていて良かった。


広沢寺温泉玉翠楼


広沢寺本堂

のんびり浸かって温まったのち、広沢寺もちょっと見学して、実家へ向かう。残りのカボスは翌日の夕食の水炊きで使ったら、バッチリと味が合って、大変美味しく頂けた。