藤坂山はどこか

ここでいう藤坂山は、佐野宗綱が討ち死にしたとされる「藤坂山の北」の藤坂山です。

事の顛末は、『関八州古戦録 下 (教育社新書. 原本現代訳)p.70 若殿暴走、あえなき最後』
https://dl.ndl.go.jp/pid/12231396/1/38
が読みやすい(無料のユーザ登録が必要)。他の文献も「藤坂山の北」で討ち死にしたのは同じ。

宗綱戦死の場所については、『栃木県史 第8巻 p.10 須花古戦場』
https://dl.ndl.go.jp/pid/1246371/1/15
に以下の記述がある。

「新合村大字下彦間の西方にある、いまは田畑となっている、小字日向と称する付近一体の地である。
天正十一年正月元日、佐野宗綱と長尾顕長と合戦せし地にて、佐野宗綱戦死した、
其戦死せし場所は不明であるが、昭和十一年八月調べにてハンノキのあるあたりではあるまいかと想像さる、
里民宗綱の冥福を祈らんとて、二つの塚を築く、
周囲十八間、高さ一丈余(著者の調査によれば塚の周囲二十二間高七八尺と思わる)、
其塚上に榧を植えたりと伝う、正光寺の側にして榧の木何も周囲約一丈五尺見事に成育している、
宗綱の戦死は天正十一年と記せるも、関東古戦録には十六年とある、又十三年と言うのもある。」

現在の地形図にも須花や日向という地名があるが、
日向は正光寺の辺りで、須花や須花城からはだいぶ東。里民が建てた塚もこの辺りにあるらしい。
討ち死にしたのは、この南に広がる畑地の山裾に近いところではないか。
昔は須花峠より大坂峠の方が名草へのメインルートだったので、大坂=藤坂と仮定して、
↓この辺
https://maps.gsi.go.jp/#15/36.397710/139.496627/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
が藤坂山じゃないかな〜、と考えてます。

user.png あにねこ time.png 2023/03/29(Wed) 12:56 No.4072
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