ついに村の場所さえ分からなくなって・・・

はじめまして。
亀穴集落で生まれ育った(小学低学年まで)最初で最後の世代のものです。
記事中にある「この辺りに開拓一家の跡の二階家があるそうだが」はT家のもので、集落を最後まで守った家です。
その近くにあったのが我が生家です。
もうみんな元の山に返ってしまってるようですね。
時々この地域を歩いた人がネットに上げてくれるのを楽しみというか懐かしく思ってます。

user.png ヤママヤー time.png 2021/04/23(Fri) 17:05 No.3997
Re: ついに村の場所さえ分から・・・
ヤママヤーさん、はじめまして。投稿ありがとうございます!
まさか、亀穴集落のご出身の方に拙HPの記事をお読み頂いて、
しかもコメント頂けるとはびっくりです。
岩佐徹道著「群馬の峠」という本(S46刊)に亀穴から日野街道を見下ろした
写真があるのですが、樹林を切り開いた畑地の中に建物があり、
眼下に街道沿いの集落が見えて、昔はずいぶん眺めが開けていたようですね
(岩佐氏はS44年8月に訪問)。
現在は、峠下の緩斜面は明るい雑木林、その下は杉林で、
どちらも大きく成長していて眺めは全くなかったです。
昔の写真と見比べて、あまりに違う様子に、時の流れを感じました。。
小学校低学年までいらしたとのことですが、
通学はどうされていたのでしょうか。
user_com.png あにねこ time.png 2021/04/23(Fri) 20:19 No.3999
Re: ついに村の場所さえ分からなくなっ
物心ついたときから御荷鉾山を見て育ちました。
鮎川の対岸にある山です。
後ろの峠に登ると高崎や前橋の街や赤城山が見えました。
学校は日野西小学校。
もう無いようです。
登校は30分もかからず、帰りは道草食い(文字通りの)ながら2時間位。
子供なので疲れも知らず走り回っていましたが、今にして思えば大人たちには山の生活は大変だっとと思います。
当時は杉の植林が国策だったようで、親たちは農業の傍ら従事していたようです。
記事の最初にある養浩院は地域の菩提寺であり私の祖父母父母兄弟たちが眠ってます。
「縁側の窓内に居られたおじいさんと目があう。」
多分住職で現在73歳になると思う。
「亀穴から日野街道を見下ろした
写真」
自分は記憶しかないので見てみたいです。
user_com.png ヤママヤー time.png 2021/04/24(Sat) 11:51 No.4000
Re: ついに村の場所さえ分から・・・
4001昔はずいぶん眺めが良かったようですね。
新屋峠、亀穴峠とも、現在は展望はほとんどありません。
日野西小学校を調べてみたら、場所は分かりましたが、
ここまで通学とは、すごいですね。
養浩院のご住職、そんなお歳でした。
帰りに会っていろいろ話し込んだお爺さんも、
昔は林業で羽振りが良かったと話しておられました。
「群馬の峠」の新屋峠の項に掲載されていた写真を
アップします。

user_com.png あにねこ time.png 2021/04/24(Sat) 15:57 No.4001
Re: ついに村の場所さえ分からなくなっ
貴重な資料ありがとうございました。
少し上の世代ですが富岡高校に通ってた人もいました。
峠の画像もなんとなくイメージの記憶はあります。
禿山みたいなのは、杉植林の前に雑木を伐採したからかもしれません。
ちなみにあにねこ様のお名前は兄猫様ですか?
ヤママヤーは山猫の意味です。
猫は山が好きなんですかね。
user_com.png ヤママヤー time.png 2021/04/24(Sat) 18:54 No.4002
Re: ついに村の場所さえ分から・・・
こちらこそ、掲示板と、加えてメールでも非常に貴重なお話をありがとうございました。
日野西小学校への通学でもびっくりしましたが、富岡高校に通学となると、
ルートがちょっとわからなくて???となりますね。峠を越えてバスでしょうか。
先日、秋畑・那須を通って山に登って来ました。あちらは蕎麦が名物だそうで、
また、峠探索を兼ねて訪問して、蕎麦を食べたいと思っています。

因みに「あにねこ」は猫舌の兄が起源です(^^;)。
私が良く拝見している山登りHP関係の方では、
みー猫さん(http://blog.livedoor.jp/yamatabifuukei/)や、
重鎮さんのHP(http://gun-mtido.sakura.ne.jp)に登場する猫吉さん、
その他、山猫さんや大熊猫さんもいて、
名前に入っている動物では多いですね。
user_com.png あにねこ time.png 2021/04/25(Sun) 16:48 No.4004
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