有笠山〜家ノ鞍山〜西入
有笠山は群馬百名山の一座でもあり、麓を通り掛かって岩鎧を張り巡らせた怪異な山容を仰ぎ見たこともあって、以前から興味を持っていたのだが、桐生からちょっと遠い割には半日行程で登れる小さな山なので、いずれと思っているうちに後回しになっていた山だ。
最近、吾妻周辺の山歩きに度々出かけていて、その際、よく参考にしている本に『藪山辿歴』(望月達夫・岡田昭夫著、1988年刊行)がある。この本に「家ノ倉・有笠山」と「西入(晩野山)」という節がある。家ノ倉は中之条・東吾妻町界尾根上の1022m三角点峰で、『群馬300山』では家ノ鞍山と紹介している。頂上南面に大規模な養豚場があるためか、ネットで検索しても爺イ先生の山行記録しかヒットしない、超不遇な山である。
家ノ鞍山にはあまり興味が湧かないが、その西の切目(きりめ)峠には馬頭観音像があるそうで、大いに気を引かれる。さらに町界尾根を西進した1104m三角点峰は西入と呼ばれ、『吾妻の里山』でも紹介されているが、この山もネット上の山行記録は全く見当たらない。有笠山から家ノ鞍山、切目峠を経て西入まで繋げば、歩き応えも十分で面白そうだ。という訳で、出かけてきました。
桐生を未明に車で出発し、R353、県道中之条草津線を走って沢渡温泉へ。温泉入口の晩釣せせらぎ公園に車を置く。11月末ともなると朝の冷え込みが厳しく、車外温度計は0℃を示している。風がないのは幸い。公園のWCを借りた後、手袋を付け、フリースを着込んで県道を歩き出す。行手には、拳骨を突き上げたような有笠山の山容が間近に見える。
15分程で県道から分岐する蛇野(有笠山)林道に入り、天狗橋を渡る。有笠山を背景にして歌碑が建っているが、字が崩されて「梓…」しか読めない(^^;)。すぐにY字分岐となり、左の道は東登山口、右は蛇野(蛇野)林道で西登山口に通じる。分岐に数台分の駐車余地有。正面の建物は水道施設だろうか。右には林道を挟んで沢渡温泉アウトドアパークと称するオートキャンプ場があるが、今日は全くひと気がなく静まり返っている。
西登山口に向かって右の林道に入ると案内看板あり。登山コース概略図に加えて、かつて、源頼朝が浅間で野狩りを行った帰り道、頼朝の従者の梶原源太景季が「あずさ弓 日も暮坂につきぬねば 有笠山をさして急がん」の一首を残した山として知られている、と書かれている。さっきの歌碑はこれか、参考になるな、と思ってデジカメでメモっていると、タヌキが一匹、林道をトコトコと歩いて近づいて来た。カメラを向けると、ようやくこちらに気づいた風で早足になり、何とか後ろ姿を捉える。タヌキとの遭遇でザックの雨蓋に入れっぱなしの熊鈴を思い出したので、取り出してザックの横にぶら下げておく。
左には杉林を透かして有笠山の大岩壁を見上げ、右は上沢渡川の流れを見おろして、薄らと雪が残る未舗装の林道を歩く。突然、間近でバタバタと羽音が起こり、丸々と太ったキジが飛び去った。キジには熊鈴は(効かなくても全く差し支えないが)効かないらしい。
分岐から15分程で西登山口に到着。3台くらいの駐車スペースがある。身体が温まって来たので、フリースを脱いでから山道に入る。笹に覆われているのは入口だけで、すぐに下草のない杉林の登りとなる。
木の階段道を登ると右手に岩塔があることに気が付いたので、立ち寄って登ってみる。この岩塔は台状の岩場の上に岩塊が乗った形をしており、数個の岩窓や岩門がある。岩塊の天辺に登るのは怖いので、一段下の岩場までにしておく。岩場からの眺めは良く、暮坂峠辺りの山々や谷間に広がる耕地、大岩山と古界名(こがいな)山の岩山二つ、振り返って有笠山が眺められる。しかし、岩場の上に古タイヤが投棄されているのは戴けない。
山道に戻って少し登ると東屋がある。さらに登ると「西石門→」の道標があり、右手の杉林の中に巨石がπ字形に積み上がった石門があるので、これにも立ち寄っていく。
道標に戻り、急斜面の杉林を登ると大岩壁の基部に着く。見上げるとオーバーハングしており、その只中にクライマーが残したスリングが数本垂れ下がっている。あんな所を登るのか。おっそろしー😱
さらに岩壁に沿って右へ登る。一箇所、小さな岩場の下りがある。鎖とロープが張られているが、微妙にオーバーハングしてスタンスがなく、意外と手古摺って降りる。
日陰の西斜面から日向の東斜面に入ると、東登山口からの山道との合流点に着き、ここから山頂に往復する。見上げると岩壁が帯状に連なって、どこをどう登るのか、見当がつかない。まず、枯れ葉が積もる斜面を左上に登ると、岩壁の基部に何故か「有笠山888m群馬百名山」の山名標柱が建つ。こちら方面の山でしばしば見た、中之条町が建てたものだ。
有笠山登山はこの先がハイライト。いよいよ鎖と梯子に差し掛かる。左側は切れ落ちて、かなり高度感がある。鎖場を越え、さらに岩場を一段登り、右に方向を転じて落ち葉の積もる斜面を横切る。ここは何と言うことのないトラバース道ではあるが、すぐ下は絶壁なので万が一にも滑落できない。慎重に足を運ぶ。
もう一つ梯子を越えると、ようやく傾斜が緩み、頂上の一角の岩場に登り着く。南面の眺めが開け、家ノ鞍山のちんまりと形の整ったピークを望む。その左の稜線を眺めて行くと家ノ鞍山より高いピーク(吾嬬山北西の1165m標高点峰)があって、目を引かれる。有笠山の頂上は、細く平坦な稜線を少し辿った地点で、落ち葉に覆われた小平地に古い山名標柱が建つ。樹林に囲まれて展望はほとんどない。
往路を注意して合流点まで戻り、東登山口に向かう。岩壁に沿って下ると、岩壁の中腹に大きな横穴が黒く口を開け、これが案内看板に書いてあった先住民族遺跡らしい。
岩壁の基部を下り、さらに派生した岩脈に沿って下る。岩脈の末端を回り込むと、左上方に東石門がある。石門を潜ってみると、岩脈の反対側の高さ15mくらいの岩壁で二人組のクライマーが練習中だ。
落ち葉を蹴立てて浅い谷を下ると、蛇野(有笠山)林道が通じる東登山口に着く。振り返ると、木立を透かして有笠山の岩壁が見上げるように高い。西登山口からここまで約2時間。車道歩きを含めてもやはり半日行程の小さな山だが、岩壁の登降は予想以上にスリルがあり、有笠山だけでも大満足。余韻を楽しんで、ここから帰っても良いな…
…と一瞬思ったが、時間はたっぷりあるので、計画通り家ノ鞍山に向かう。林道は東登山口にゲートがあり、ゲートの前は転回スペースのため駐車禁止になっている。蛇野沢の穏やかな流れを横に見ながら林道を辿って、なだらかに開けた明るい谷間を登る。沢の右岸の尾根上にも険しい岩峰が並んで目を引く。
林道はやがて伐採地に差し掛かり、緩く蛇行して登る。振り返ると大岩山や古界名山、有笠山が眺められ、背景の四万周辺の山々には薄らと白く雪が積もっている。
伐採地の蛇行の最後のカーブが峠入口で、ここから分岐して幅広い明瞭な道型(作業道跡?)に入る。雑木林に覆われた日陰の斜面をトラバースして行くと、道型はやがてか細い踏み跡となる。崩壊地で道型は消えるが、ここを突っ切ると水流が消えた浅く広い谷間となり、ポサポサと笹原が現れて、程なく無名の峠に着く。
峠の反対側には大平(おおだいら)牧場の近代的な豚舎が建ち並ぶ。ちなみに後日調べると、大平牧場は「やまと豚」を生産する(株)フリーデンの全国10ヶ所の牧場の一つで、ここでは2.5万頭の豚が飼養されているそうである。
家ノ鞍山の頂上に向かって、雑木と丈の低い笹に覆われたなだらかな稜線(町界尾根)を辿る。左手には豚舎が見え隠れし、風向きによっては仄かに田舎の香りがする。小さくアップダウンし、最後は短い急坂を上がって家ノ鞍山の頂上に登り着く。
山頂は雑木林に覆われて展望なし。山名標の類は全くない。三角点標石があるはずだが、どこだろう、としばらく探し回って、落ち葉から僅かに頭を出した標石を見つける。そろそろ昼時で腹が減ったし、牧場は隔たって気にならないので、ここで腰を下ろして昼食とし、缶ビール(小)と鯖味噌煮、熱々の鍋焼きうどんを食べる。
腹が満たされたところで縦走を再開。地形図を見ると頂上から西へ簡単に下れそうに思えるが、実際にはかなり急で、しかも北西の枝尾根に導かれてしまう。登って来た坂を戻って少し下り、浅い窪の中を西に向かう。地形図に表現されていない小さな凹凸が交錯し、ルートが分かり難い。990m圏の小ピークに向かって急坂を登り、頂で左に折れて急斜面を下ると、左手に大きな凹地がある。どうも小ピークは左から簡単に巻けたらしい(^^;)
雑木林の広い斜面を下ると、一面の落ち葉に覆われた平地に南西向きの石像がある。ここが切目峠だ。石像は三面八臂の馬頭観音像で、正面から柔らかい陽射しに照らされて、憤怒ではなく穏やかな表情を浮かべておられるように見える。光背と台座に刻まれた文字は掠れ、辛うじて「施主…村…右ヱ門」「九番」と読み取れる(『藪山辿歴』によると、光背には「施主郷原村又右ヱ門」と刻まれているらしい)。
切目峠からしばらくは幅広く緩い尾根を辿るが、やがて傾斜が増して細尾根となる。左の南斜面は冬枯れの木立に陽が差し込んで暖かそう。一方、右の北斜面は薄らと雪に覆われて暗く、寒々としている。木立の隙間から振り返ると、大平牧場の奥に吾嬬山の傾いた台形のピークが覗き見える。
程なく登り着いた石尊山の頂上には特に何もなし(『吾妻の里山』によると、かつて祠があったが、大平集落に遷されたとのこと)。町界尾根をさらに西へ辿って緩く下る。展望は木の間越しに限られ、行手に西入のピーク、北側に上沢渡の集落と大岩山が垣間見えるくらいだが、藪もなく快適な尾根歩きだ。
小さな露岩もある細尾根を登り返して、『吾妻の里山』で天狗ノ峰と仮称する小ピークに着く。このピークと南麓の中尾集落の中間に天狗様の石祠が祀られる岩場があるとのことで、興味を惹かれるが、先は長く日は短いので、今回は割愛する。
細尾根を小さく上下して、三角点標石のある西入に登り着く。ここも山名標の類は全くない。東西に長く平坦な山頂は雑木林に囲まれて、展望は南側の木立の間から吾妻川の谷間を遠くに見おろす程度だが、雰囲気は開けて明るい。今日の目的の最後のピークなので、ちょっと腰を下ろして休憩。地図を取り出して下山ルートを再検討する。
『藪山辿歴』では西入からさらに町界尾根を辿り、1110m標高点峰を越え、暮坂峠越えの県道に近づいたところで県道に降りている。地図で検討しても、それが一番良さそうだ。
頂上を辞して西に向かうと、行手に眺めが開けて、杉林に黒々と覆われた1110m標高点峰が眺められる。右側が切れ落ちた細尾根を辿ると露岩が現れ、岩場を攀じ登って小岩峰の上に飛び出す。
小岩峰の頂上は狭く、周囲は切れ落ちて、今日一番のほぼ360度の展望が得られる。まず、北方に大きく稜線を広げる山が目を引く。最初は松岩山かと思ったが、地図を見ると松岩山南東の1443m標高点峰のようだ。稜線を右へ目で追うと、ゴツゴツした岩山が二つ並び、これらが大岩山と古界名山だ。その右には、谷間と奥の高田山を挟んで、有笠山の頂がポチンと飛び出している。
さらに右には家ノ鞍山のピークが小さく、大平牧場の白い屋根も見える。振り返った方向には、西入の雑木林に覆われた頂がこんもりと盛り上がる。この小岩峰(P1)の次のピークも小岩峰(P2)で、P2の方が頂上が広くて落ち着ける。P1の展望に加え、吾妻川の谷間を俯瞰し、榛名山が遠望される。
P1、P2に続いてP3もある。P3はちょっと岩場がある程度の小ピークで、1110m峰が間近に眺められる。その1110m峰には、尾根を小さく上下してすぐに着く。今日の行程中の最高地点だが、小枝が煩い灌木に覆われて、ゆっくり寛げる雰囲気の頂ではない。
1110m峰からは急傾斜で大きく下り、少し登り返した小ピークで町界尾根から分かれて、北の枝尾根に入る。こちらの方が町界尾根より僅かに高い。すぐに小さな瘤があり、その先は急角度で落ち込む。下れるルートは斜め左方向の、雑木林と杉植林の境となっている枝尾根の一択だ。ここも傾斜はきついが、一定斜度で下まで見通せて悪場はなく、支えになる立木も点々とあるので、問題なく下れる。
最後は雪が解けてグサグサに柔らかい斜面で滑りそうになりつつ、無事に沢の二股に下り着く。ここから100m程、沢を下る。階段状の小滝がある程度で、ここも問題なく下れるが、濡れた岩は登山靴ではやはり滑り易いので注意。左岸の枝尾根が標高差10mくらいまでグッと下がってきた地点で、斜面を這い上がって枝尾根上に出る。
枝尾根を乗り越して反対側に下るのが県道への近道だ。けもの道を辿って斜面を横切り、小尾根上に出ると真下に車道が見える。これは楽勝、藪漕ぎもなく県道に下り着く。
後は沢渡温泉まで歩いて戻る。自転車をデポしておけば坂を下って戻れるが、今回は運動のために歩く。それに路面は部分的に凍結していて滑るから、徒歩で結果的に正解だ。私の車もそろそろ冬タイヤに替えておこう。
細尾の集落には3軒の民家が建ち並ぶ。案内看板があり、暮坂峠へ旧道が通じていて、遊歩道として整備されているらしい。ちょっと興味を惹かれる。
県道を歩くと、右手に歩いて来た町界尾根を仰ぎ、小岩峰群と1110m峰が見える。行手には傾いた陽射しで茜色に染まる有笠山の岩峰が小さく見え、目的地までの距離が分かって良い目印になる。途中にある旧大岩学校は明治12年に建築された校舎で、昭和29年に新校舎が完成するまで使われてきたものとのこと。若山牧水がここを通り掛かった際、校庭で遊ぶ生徒等を見て詠んだ歌の碑がある。
やがて左手に大岩山の大岩壁が現れる。麓から仰ぐと迫力があり、登りたい意を強くする。すぐ先で、登山口の大岩不動尊参道入口を確認。
ようやく有笠山の麓に着く頃には陽が沈み、残照に岩峰が浮かぶ。晩釣せせらぎ公園に帰り着いた時にはとっぷりと日が暮れて、夜空に低く上弦の月が出ていた。
早速、沢渡温泉の共同浴場に入りに行く。浴場脇の駐車場は狭くて満車なので、公園に車を置いたまま温泉街の坂道を上がって向かう。受付のおばさんに料金300円を払い、二つある湯船の奥から入る、とレクチャーを受ける。石鹼、シャンプーは無し。お客さんは皆、地元の人か常連の感じ。湯は熱いが、冷えた身体にはちょうど良くて長湯できる。極楽、極楽。よく温まったのち、湯冷めしないように車に急いで、桐生への帰途についた。