助戸東山〜尻無山〜大月御嶽山

天気:
メンバー:T
行程:山川長林寺 11:05 …富永公園登り口 11:40 …雷電神社 11:55〜12:05 …助戸東山(116m) 12:15 …東山展望台 12:30〜12:35 …千歳橋 12:45 …尻無山(63m) 13:00 …威怒神社 13:00 …御嶽山神社奥宮 14:00 …大月御嶽山(190m) 14:20 …山川長林寺 15:20
ルート地図 GPSのログを地理院地図に重ねて表示します。

前々回、前回に続いて、この週末も近場の里山歩き。まだ登っていない足利百名山のうち、№69助戸東山、№59尻無山に登り、さらに番外の№129大月御嶽山に御嶽山神社のある尾根から登って再訪してきました。

助戸東山

桐生を朝のんびりと VEZEL 号で出発し、山川長林寺の駐車場に車を置く。人気ハイキングコースの起点なので、既に多くの駐車がある(ハイカーは17時まで限定で駐車可)。今日は助戸東山→尻無山→大月御嶽山と周回して、ここに戻ってくる予定である。

長林寺から裏通りを経て袋川沿いの県道足利環状線に出、しばらく県道を北上。袋川を隔てて、街並みから僅かに稜線が覗く助戸東山の山並み(通称、助戸山脈)が眺められる。


山川長林寺駐車場


袋川を隔てて助戸山脈を望む

袋川を久松1号橋で渡り、助戸山脈を目指して住宅地を西から東へ横断する。助戸山脈に突き当たり、山脈の南端に向かって山裾の車道を辿る。途中、東山小学校の向かいに雷電神社参道入口があり、ここから助戸山脈の途中の雷電神社に登るルートもあるが、やはり山脈というからには端から端まで歩き通したいので、今回は通過。定年寺(じょうねんじ)の前には桃?の花が満開で、風はまだ冷たいが、春が近いことを感じさせる。


雷電神社参道入口


🌸🌸🌸

山脈の南端には「富永公園」の石標がある。ここからコンクリ階段の歩道に入り、平仮名のくの字形に曲がりつつ登る。歩道には落ち葉が積もり、笹藪が被り気味で、あまり歩かれていない様子。やがて、民家と「金」の一文字を◯で囲んだ屋号を掲げた塔が現れる。


富永公園登り口


富永公園を登る

民家は空き家で、無住になって久しい様子。裏手に回って細い連絡通路を渡ると、塔の基部で民家の屋上の見晴台に出ることができ、南面の眺めが良い。近くの市街に浮かぶ緑の小島のような山は足百No.88の岩井山(勧農山)のようだ。民家の裏手には、廃屋や煉瓦造の高い台座など、謎の遺構が笹藪に埋もれて点在する。

後日調べると、富永公園は、貧農出で一煉瓦工から身を興して長者となり、市政県政に進出した他、社会諸事業に巨万を出捐した富永金吉翁が、昭和初期に私費を投じて開設したとのこと。塔は金剛閣といい、大谷石材を用いて建てられた。また、見晴館という太陽熱温泉や、富永翁の頌徳碑があったらしい(参考文献:宇賀神利夫著『富永金吉翁』)。


金剛閣


見晴台から岩井山(観農山)を望む

富永公園を抜けて少し下ると、稜線の左斜面に定年寺の墓地が広がって、眺めが開ける。鞍部に「助戸東山HC起点」の標柱が建つ。通常は定年寺から墓地内の道を上って、ここから稜線を伝うHC(ハイキングコース)に入るようだ。雑木林に覆われた「どんどん山」のピークを越え、再び墓地の上端に出たところに「助戸山3号墳」の標柱が建つ。


助戸東山HC起点


どんどん山

笹藪が下生えの雑木林の尾根を緩く登ると、南と西に展望が開けたピークに着き、東山小学校からの登路を合わせる。ピークには雷電神社のコンクリートブロック造の覆屋や鏡石と呼ばれる露岩、鏡石荘と称する東屋がある。そろそろ正午なので、風を避けて覆屋の屋根の下に入って腰をおろし、昼食にパンを齧る。


助戸山3号墳から南面の展望


雷電神社と鏡岩


覆屋の中に雷電神社の木の祠


雷電神社から山川長林寺方面の眺め

軽い昼食ののち、助戸東山に向けて出発。よく整備された縦走路を小さくアップダウンして辿る。街中の里山らしく、散歩風の軽装の人と数人すれ違う。木の間から助戸東山のピークが大きく見えるが、大した登りもなく、ゆるゆると登って助戸東山の頂上に着く。


助戸東山へハイキングコースを辿る


木の間に助戸東山を望む

頂上には三角点標石と足百No.69助戸東山の山名標識、少し手前にベンチがある。冬枯れの雑木林の間から周囲の市街や近郊の山々を眺め、北に冠雪した日光男体山を遠望する。


助戸東山頂上


足百No.69助戸東山の山名標識

頂上のすぐ先の露岩の陰に奥の院の祠がある。縦走路は小さな瘤を越えると市街地を見おろす下りとなり、右折してさらに常緑樹林を下る。急な箇所には階段が設置されている。


奥の院


市街地を見下ろしつつ下る


常緑樹の山腹をジグザグに下る


切り通しの上に出る

程なく切り通しの上の園地に着く。ここにはベンチの他、御嶽山信仰の霊神碑など数基の石碑がある。中央の大きな石碑には八海山國狭槌尊(くにのさつちのみこと)、御嶽山國常立尊(くにとこたちのみこと)、三笠山豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)の御嶽山三神の名が刻まれている。園地から階段で切り通しに降り立つ。ここにHC案内看板と「助戸東山HC終点」の標柱が建つ。HCが良く整備された里山で、とても気分良く歩けた。


御嶽山信仰の石碑


助戸東山HC終点

次は尻無山に向かい、切り通しの車道を東側に下る。途中に黒塀(くろべい)というレストランがあり、その傍に「東山展望台→」の案内標識がある。興味が湧いたので、立ち寄ってみる。

参考URL:やまの町桐生『助戸山脈

東山展望台

展望台への入口の左右には合わせて10台分程の駐車場がある。階段を登るとウッドデッキ製展望台がある。太陽光発電のパネルに囲まれているのは些か殺風景だが、まだ真新しいテーブルやベンチがあって、寛げる雰囲気。眺めも良い。かつて、足利赤十字病院の分院として結核病棟があった跡地を利用して、2020年に設置されたとのこと。


東山展望台登り口


除草担当のヤギ


東山展望台の瀟洒なウッドデッキ


東山展望台から大月御嶽山と天道山を望む

なお、展望台に掲示されたパネルによると、足利赤十字病院初代院長の小野康平氏は、故ジョン・レノンの妻であったオノ・ヨーコさんの叔父だそうである。なるほそ。

尻無山

次は尻無山に向かう。住宅地を北上してR293に出、袋川に架かる千歳橋まで歩く。千歳橋から上流を眺めると、袋川は緑豊かな丘を削るように迫って流れる。この丘が尻無山だ。千歳橋の西詰に「ありがとうの森無料P」の看板があり、6台分程の駐車スペースがある。


千歳橋の袂から袋川の眺め


ありがとうの森入口

無料Pの奥から登ると、すぐにありがとうの森の広く平坦な天辺に着く。周辺は公園としてベンチ等が整備され、樹林が切り開かれて眺めが開ける。また、木彫りのいろいろな動物の像があちこちに立ち並び、千歳庵という蕎麦処?や浅間金刀比羅(あさまことひら)神社の社殿が建つ。


ありがとうの森を登る


ありがとうの森の頂部


木彫りの三猿


木彫りの熊

浅間金刀比羅神社の正面は反対側で、仏坂と呼ばれる坂道の終点が入口だ。石鳥居と「浅間神社」、「金刀比羅神社」のふたつの社号標が建ち、合わせて浅間金刀比羅神社。


浅間金刀比羅神社


仏坂の終点から尻無山に向かう

神社の表側、仏坂の終点から尻無山の頂上に向かう。最近、伐採の手が入ったようで、雑木林が切り開かれて、作業道が奥に通じている。大した登りもなく、最後にちょっと盛り上がった高みが尻無山の頂上で、「足百No.86尻無山」の山名標識がある。


左奥の高みが尻無山頂上


「足百No.86尻無山」の山名標識

頂上を越えて、そのまま北西へ下る。踏み跡が錯綜するが、伐採された雑木林の間の作業道を下ると北麓の新山団地公園に下り着く。周辺には近代的な高層団地が建ち並ぶ。斎場の周辺は工事中。公園の中を横切った端っこに数台分の駐車スペースがある。


頂上から新山団地公園に下る


袋川と尻無山の間の歩道に入る

袋川と尻無山の間の歩道に入り、桜並木(咲くのはまだ先)を進む。尻無橋の袂を過ぎると少し開けた平地があり、助戸新山公園の立て看と遊具類、新しい休憩舎とWCなどがある。山の方を見上げると浅間金刀比羅神社の社殿が見え、そちらへ登る歩道もある。


助戸新山公園


袋川と名草川(右)の出合

公園を通り抜け、袋川沿いの歩道を辿って千歳橋に戻る。この歩道も桜並木で、桜の名所になっているそうである。尻無山も周辺に良く整備された公園があり、合わせて気分良く歩けた。今日の行程の最後は大月御嶽山に向かう。

参考URL:やまの町桐生『尻無山

大月御嶽山

R293を横断し、千歳橋を渡ってすぐに路地に入り、東に向かう。正面には大月御嶽山から天道山にかけての山並みが眺められる。長途路(ながとろ)川を和田橋で渡り、深井製作所入口の十字路を右折。道なりに進むと威怒神社、その少し先に立派な石灯籠が建つ。


長途路川に架かる和田橋から
大月御嶽山(中央左)を望む


威怒神社

今日はここから御嶽山神社を経て、足百No.129大月御嶽山に登る。一昨年、大月雷電山〜天道山を歩いてここを通りがかった際は、御嶽山の入口の車道は和田耕地沢の砂防堰堤建設のため工事中であった。既に砂防堰堤は完成し、新しく舗装された車道が通じている。


登り口の石灯籠


舗装された砂防堰堤への道路
左奥に御嶽山を望む

車道を上ると舗装が尽き、鎖が張られたゲートがあり、その手前から右に旧道が分岐する。どちらに進んでも先で合流するが、ここは旧道へ。民家の間の狭い路地を抜けて参道の細い道型に入ると石柱、続いて立派な石灯籠が現れる。


右の旧道に入る


石灯籠

石灯籠の背後を掠める様に砂防堰堤への作業道が通じ、参道は作業道を斜めに横断して、山腹を斜めに登って行く。落ち葉が深く積もり、あまり歩かれている様子がないが、ところどころに石段が残っていて、確かに参道であることが分かる。


砂防堰堤への作業道を横切る


石段が残る参道を登る

左に鋭く切り返して参道を登ると「奉 御嶽山」と「納 國常立神(くにのとこたちのかみ)」と各々刻まれた1対の石柱が建つ。さらに進んで尾根上に出たところに水盤や1対の狛犬(弘化四丁未(1847)九月吉日の銘あり)、数基の石灯籠や霊人碑がある。かつてはここに御嶽山神社の里宮が建っていたそうだが、今では完全に崩壊して、僅かな廃材が残されているだけである。


「御嶽山」の社号標


御嶽山神社里宮跡

里宮跡周辺の石碑の中に、一際大きく「建坐王神廟記」と刻まれたものがあり、神社の由来らしきものが漢文でびっしり刻まれている(後日調べると、この石碑の拓本を採って銘文を読み取ったブログ記事がある)。


「建坐王神廟記」石碑


奥宮への参道

参道はさらに尾根上に続き、途中に多数の石造物があって、大変興味深い。お顔立ちが整った石仏は如意輪観音だろうか。傍の台座?には天保年間の銘が刻まれている。


一対の石灯籠
嘉永七甲寅(1854)八月吉日


如意輪観音

ザレて露岩が多く、急な尾根上をジグザグに登って参道が続く。大岩の上に何やら石造物がある。近づいてみると…


参道石段と石灯籠
天保十三壬寅(1842)


また何か見えて来た

…石像だ。福耳で右手に錫杖、左手に数珠を持ち、下駄を履いた像で、御嶽を開いた普寛行者ではないかと思う。「二十三夜供養塔」の石碑もあり、弘化の銘が読み取れる。


岩場の上に石像


二十三夜供養塔

その上に御嶽山神社奥宮の石祠がある。左右に石像があり、御嶽三座神で右が八海山大神ならば、左は三笠山大神だろう。奥宮の前は眺めが開けて、足利の市街が俯瞰できる。桐生・足利近郊で御嶽山信仰の山と言えば、菱町の御嶽山三十六童子が石造物が多くてワクワクしたが、ここもなかなかのものである。いやー、来て良かった、良かった。


御嶽山神社奥宮


右側の石像


左側の石像


奥宮から足利市街の展望

参道は奥宮で終点だが、この先の尾根にも明瞭な道型が続く。足利の山によくあるザレて開けた尾根で、振り返ると先程登った助戸東山や足利市街、遠く太田金山が眺められる。


奥宮からさらに尾根を登る


助戸東山と太田金山(左奥)を望む

樹林に入って急坂を一直線に登ると、大月雷電山からの稜線に登り着く。このあたりが、大月御嶽山の山頂だ。この稜線は前回も縦走して歩いているが、足百No.129大月御嶽山の山名標識は見逃していて、気になっていた。で、周辺を探し回ると、木の幹の陰に隠れるような位置に山名標識が架かっているのを発見。これで懸案も解決してすっきりした。


樹林に入って急登


一直線に急坂を登る


大月御嶽山頂上


足百No.129大月御嶽山

稜線を南下して大坊山ハイキングコースに合流。あとはハイキングコースを長林寺に戻るだけだ。足百No.45天道山やNo.33あわぎ山は登頂済だから立ち寄らず、最短経路を取る。


なだらかな稜線を辿る


天道山分岐


大坊山を見ながら下る


あわぎ山は巻いて右のシルバーコースへ


あわぎ山を巻いて進む


合流地点からあわぎ山の尾根を仰ぐ

あわぎ山を巻いて健脚者コースと合流。富士山の大きな方向板のある展望台を過ぎ、右に健脚者コースを見送って真っ直ぐ初心者コースを下るとベンチのある見晴しに着く。関東平野を一望し、左手には大小山、振り返るとあわぎ山が眺められ、なかなかの好展望だ。


今日は初心者コースを下る


ベンチのある見晴し


見晴しから大小山(左奥)を望む


見晴しからあわぎ山を振り返る

見晴しからザレた山腹を斜めに下ると健脚者コースと合流して、案内板とベンチのある広場に着く。ここから薄暗く急な山腹をトラバースして自衛隊道路に出る。


案内板とベンチのある広場


自衛隊道路を横断

交通量の多い自衛隊道路を横断し、ハイキングコースを辿る。足百No.66山川浅間山も登頂済だし、結構登るから、初心者コース(巻き道)に入る。最後は久し振りに道了尊に立ち寄り、参道の急で長い階段を下って長林寺に戻る。午後も遅くなってすっかり暖かく、長林寺の池ではマガモがのんびり泳ぐ。駐車場の車はほとんどが帰ったあとだった。


山川浅間山は巻いて初心者コースへ


道了尊


道了尊からの眺め


参道石段から道了尊を見上げる


公園の池を遊弋するマガモ


駐車場に帰着

帰りは鹿島園温泉に立ち寄って入浴。料金は一昨年は600円だったが、800円になっていた。まあ、諸経費高騰の折、致し方ない。結構、お客さんが多く、繁盛していたのは何より。のんびり浸かって日頃の疲れを癒したのち、桐生に帰った。

参考URL:やまの町桐生『大月御嶽山