戸叶山〜不動岳

天気:
メンバー:T
行程:あきやま学寮前バス停 8:03 =(バス)= 岩崎バス停 8:19 …尾根上 8:50 …「玅音天」石碑 10:50 …戸叶山(530m) 12:40〜13:00 …大釜林道 13:25 …520m三角点峰 13:45 …613m標高点 14:10 …不動岳(664m) 15:05〜15:15 …塩沢峠 15:45 …落倉橋バス停 16:30 …あきやま学寮前バス停 16:50
ルート地図 GPSのログを地理院地図に重ねて表示します。

この週末はどこに出かけようかな。最近、赤城や日光の山を歩いたネット上の記録を見ると、あちらの山々の雪はかなり深くなってきた様子。そろそろ雪山を歩きたくもある一方、昨年末から集中して歩いている安蘇山塊にも、まだ登ってなくて気になる山がある。

今回は、昨年末に新調したが、まだ履いていない登山靴(AKU Terrealte GTX)の試運転も兼ね、仮面林道ライダーさんきりんこさんが歩かれた仙波川右岸の尾根(以下、仙波尾根と略)を辿って、気になる山の一つの戸叶山に登ることにする。戸叶山から先は不動岳へ縦走し、塩沢峠の西側の破線路を下る計画を立てて、出かけてきました。

桐生を朝6時頃に車で出発。足利、葛生を経由し、秋山川沿いの県道秋山葛生線を北上すると、石灰石の採鉱跡が大岩壁となったピラミッド型の山が見えてくる。これが戸叶山だ。人工的な岩壁とは言え、なかなかの威容である。カメラに収めるために麓に車を停めると、側の空き地に軽四駆と橙色のジャケットを着用したおじさんが大勢集結している。これは……。ちょっと嫌な予感。

(後日調べると、この鉱山は村樫石灰戸叶鉱山といい、既に閉山されている。山麓に鉱山施設の遺構があり、廃墟マニアの間では有名な廃鉱山らしい。なお、念の為に書くと、オレンジ・ジャケットのおじさん達は廃墟マニアではない^^;)

(2017-02-11追記:戸叶山について地元の方に尋ねたところ、「とかのやま」と呼んでいるとのこと。また、夏はマムシが多いので要注意だそうだ。)

さらに山間に入り、あきやま学寮に7時半頃到着。広くてガランとした第二駐車場に車を置き、さーのって号秋山線の上り始発便、あきやま学寮前バス停8:03始発のバスを待つ。今日は良く晴れているが、冷え込みが厳しい。周囲の山々に雪はほとんど見えないが、念の為スパッツと軽アイゼンは携行する(結局、使用せず)。10分程早くバスが到着し、暖房が効いたバスの車内で定刻までぬくぬくと過ごす。乗客は私一人で発車。途中でおばあさんが三人乗る。来た道を戻り、仙波尾根末端の岩崎バス停に8:19着。ここで下車する。


山麓から仰ぐ戸叶山


岩崎バス停から仙波尾根末端を見る

仙波尾根末端の取り付きは、先人のレポの写真で見た通り、防獣フェンスでガッチリと囲まれている。取り付けそうな場所を探して付近をうろうろ。西側の擁壁の切れ間(向かいに三日月神社がある)から樹林に覆われて薄暗い山腹を登る。岩場が現れ、右から巻いてガレた斜面を這い上がり、尾根上に出る。こちらからの取り付きは険しいのであまりお薦めしない(きりんこさんは東側からあっさり取り付いたそうである)。

尾根末端には石碑や石祠があるそうだが、南に結構下ることになるので割愛して、北に向かう。ところどころに岩場がある細い尾根で、小さなアップダウンが続く。両側とも山麓が近く、車の走行音が聞こえる。冬枯れの樹林に覆われて、展望は木の間越しに限られる。左手には秋山川を隔てて、先月歩いた石尊山と浅間山の鋭鋒が並んで眺められる。


擁壁の切れ間から取り付く


岩場が点在する尾根を辿る


秋山川側の山麓と
石尊山・浅間山を望む


仙波川側に石灰鉱山を望む

尾根の幅はだんだん広がって、意外に平坦なところもある。杉林や常緑樹、冬枯れの雑木林が混じって尾根を覆う。踏み跡やマーキングの類は全くない。下界の音はいつの間にか遠ざかって聞こえない。


尾根上の平坦地


樹林に覆われた尾根を辿る

やがて尾根上を塞ぐ様に建つコンクリ製の構造物に突き当たる。門柱には「常磐簡易水道 第二配水池」とある。これはフェンス沿いに巻いて通過。ところどころで低木の小藪が現れ、小枝を躱して進む。303m標高点の次のピークは、北東に平坦な枝尾根を延ばす。何かあるかなと思って、そちらに行ってみるが、何もなし。主尾根は北西に向かって下る。


常盤簡易水道第二配水池


低木の小枝を躱して進む

小さなコブを三つ程越えて鞍部に下ると、東西に明瞭な峠越えの道型が通じ、3基の石祠がある(内、一つは屋根のみ)。祠の一つには「文久二戌(1862)年三月吉日」、もう一つには「享和三癸亥(1803)年四月吉日」「宮之下 中之内 大和坂 氏子中」と刻まれている。

峠から尾根を緩く登ると、途中に木の祠を覆った小屋がある。痛みが激しく、何の神様を祀っているのかはわからない。


峠の石祠(1)


覆屋の中に木の祠

覆屋を過ぎて小ピークに登り着くと、東(右)の少し離れたところに石碑がある。先人のレポでこの辺にあると知っていて、目を皿にして探していたから気づいたが、最初の仮面林道ライダーさんはよくぞ見つけたものだ。石碑には種字と「玅音天講中 仙波村大蔵院」と刻まれている。きりんこさんによると「玅は妙の異体字で、妙音天は弁財天のこと。つまり弁財天信仰にまつわる石碑」だそうだ。後日調べると、仙波村は1889年に合併して常盤村になったので、この石碑はそれより前に建立されたことになる。


「玅音天」石碑


明るい雑木林の尾根

石碑を過ぎると杉林や雑木林の緩やかな尾根がしばらく続く。ヒノキが植林された平坦な鞍部で、西(左)側に石祠を見つける。これは先人のレポにはなかった(^^)。正面に「道祖神」と刻まれた変わった形のもので、側面に「明治四十五年三月 仙波 野部長吉 立之」の銘がある。この鞍部もよく見ると峠道の道型が残っている。


ヒノキが植林された平地


峠の石祠(2)

石祠を過ぎると、大きな杉の木が立ち並ぶ尾根となる。やがて明るい雑木林となり、尾根が細くなる。松の生えた小ピークに登り着くと、木立の間から戸叶山や仙波川上流の大きな石灰鉱山が眺められる。ここから尾根が痩せて、いくつかの小ピークを越える。この辺りは岩と松を交えた尾根で、変化に富む。途中で正午となり、山麓から時報のサイレンが聞こえてくる。腹が減って来たが、戸叶山の頂上まで頑張ろう。


杉の並木


再び明るい雑木林の尾根


痩せ尾根のアップダウン


大鳥屋山(右)を望む

再び杉林に入り、小さな鞍部に下ると2基の石祠がある。一つは風化した祠。もう一つは比較的新しいもので、苔むした台座には「上仙波 大○ 氏子中」の銘がある。大○は多分、東麓の大釜集落のことだろう。ここも峠越えの道型が残る。


峠の石祠(3)


風化した石祠

峠から戸叶山への登りにかかる。小さな岩場を越えると一直線の急登となる。露岩が現れると傾斜が緩んで、戸叶山の広く平坦な頂上に着く。比較的新しい山名標が木の枝からぶら下がり、その下には古い石標がある。頂上の西面は石灰採掘によって削り取られ、大岩壁を形成している。腹ペコなので、まずは昼食。山専ボトルに入れてきたホットココアを飲み、パンを齧る。


戸叶山への急登


戸叶山頂上

腹がくちくなったところで、岩壁のへりの岩の上から、じっくりと展望を楽しむ。正面に山肌が大きく削られた大鳥屋山と、その右奥に鋭いピークを擡げる岳ノ山を眺める。足元は真っ直ぐに麓まで切れ落ちて、覗き込むとクラクラする。先人のレポの写真で同じ光景は見ていたが、実際に見るとやはりスケールがでかくて、緊張感が半端ない。


戸叶山から大鳥屋山(左)と岳ノ山


戸叶山西面の岩壁を覗く

展望を楽しんだのち、尾根を北へ下る。鉱山の廃れた作業道が尾根まで達し、岩屑が散乱して荒れ気味だ。途中、石の台座の上に3基の石祠がある。「明治十年四月 水木村氏子中」の銘があり、そこそこ古い。台座は比較的新しいので、鉱山の開発に伴って他から移されたものなのかも。採掘が終わった現在では、石祠の周囲も荒れるに任されている。


戸叶山から北へ尾根を下る


北尾根の石祠

なおも樹林に覆われた尾根を降りると、下からチリーン、チリーンと鈴の音が近づいてくる。こんなマイナーな山を訪れるハイカーさんがいるとは。もしかしてその筋の人かもと思ったら、橙色のジャケットが目に入る。ハンターだ。幸い、私には気づかなかったのか、尾根から外れて山腹をトラバースして去って行き、事なきを得る。

尾根の途中に3本のモミ?の大木があり、そこから右に下って、仙波川上流から秋山川へ抜ける大釜林道に下り着く。西に寄り過ぎたので、林道を東に少し辿り、「←五丈の滝5.3K 高齢者センター6.3K →」の道標が建つY字路(栃久保林道起点)から520m三角点峰に向かって斜面を登り始める。


北尾根から戸叶山を振り返る


大釜林道に出る

この斜面は杉林に覆われ、篠竹がポソポソと生えている。作業道の道型が斜面を深く掘り込んでジグザグに登っているが、道型の中は篠竹藪が濃いので、直登した方が手っ取り早い。登り着いた頂上は杉林に囲まれ、三角点(点名:岩沢、俗称:高山)の標石とR.K氏の標高プレートがある。展望に乏しく、パッとしない頂なので、サクッと先に進もう。


520m三角点峰への登り


520m三角点峰頂上

左が雑木林、右が杉林となった尾根を緩く登る。最後に急坂を登って、佐野・鹿沼市境尾根上の613m標高点に着く。標高が上がると雪がうっすらと残るが、スパッツをつけるほどの積雪はない。

ここから不動岳を目指して、市境尾根を北西へ辿る。踏み跡が通じ、歩き易い尾根が続く。しかし、小ピークを一つ越えて次の小ピークへの登りにかかると急坂となり、大きな岩場に突き当たる。直登は難しいので、右から巻いて岩場の上に出る。なおも岩稜を登って小ピークに着くと、行く手に木の間を透かして不動岳が見えてくる。


613m標高点頂上


不動岳への市境尾根の岩場

小ピークから急坂を下る。薄く雪が積もって滑り易い。雪の上には登山靴の足跡があり、先行者がいるようだ。不動岳との鞍部から登りにかかる地点に石祠がある。「文化六己(1809)二月 願主 ○○内 政七」の銘がある。ここはかなり奥まった場所になるが、かつては峠道が通じていたのだろうか。


不動岳を望む


登りの途中の石祠

不動岳への登りも露岩の多い急斜面となり、さすがに長距離を歩いた疲れが出てくる。ようやく不動岳頂上に登り着く。やれやれ。腰を下ろし、残りのホットココアを飲んで休憩する。不動岳の登頂は2回目。前回は永野川側からあっさり登った。今回はそのときよりも達成感(というか、たくさん歩いたという疲労感)がある。あとは下りだから楽だろう。


不動岳への急登


不動岳頂上

不動岳と塩沢峠の間は前回も歩いているが、あまり記憶にない。小さなアップダウンや岩場を過ぎ、塩沢峠に向かってゆったりと下る尾根となる。冬枯れの雑木林を透かして、熊鷹山から横根山にかけての山並みを遠望する。傾き始めた日差しが雑木林を金色に照らし、心が落ち着く風景ではあるが、日が暮れては大変だから、先を急ぐ気持ちもある。


塩沢峠への途中の岩場


北方を望む


雑木林の尾根を緩く下る


塩沢峠の首なし地蔵尊

塩沢峠に下り着き、これは良く覚えている首なし地蔵尊と再会する。ここから西に下る。地形図には谷沿いに破線路が記載されているが、下り始めると道型はすぐに消失し、ザレた急斜面が谷底に向かって広がる。ここを真っ直ぐに下り、杉林に入って水のない谷を下る。傾斜が緩むと水流の脇に踏み跡が現れ、倒木が多くて跨いだり潜ったりが煩わしいが、かなり歩き易くなる。


塩沢峠から西へ下る


倒木が被さる踏み跡を辿る 

やがて踏み跡から明瞭な道型となり、道幅も広がって一安心。「左山道 右永野村至」と刻まれた石柱があり、かつて峠道の往来があったことを示す。作業道(林道落倉沢線)を辿り、秋山川を落倉橋で渡って県道秋山葛生線に出る。ここには落倉橋バス停があるが、あきやま学寮までは1.5km程しかないので、はなっから歩くつもりだ。茜色に染まり始めた稜線を仰ぎながら県道をのんびり歩いて、日没前に第二駐車場に着く。新しい登山靴は調子良く、問題なし。今回もたっぷり歩けて、満足して帰途につく。


落倉橋に出る


あきやま学寮第二駐車場

帰りは佐野やすらぎの湯に立ち寄る(600円)。大変繁盛しているが、ゆったり入れて温まる。それから、夜も18時を回って腹が減ったし、今日、1月22日は「カレーライスの日」ということを思い出したので、途中のココイチで大好きなカレーを食べて帰桐した。