雷電山〜唐沢山

天気:のち
メンバー:K,T
行程:登山口 11:30 …雷電山 11:35 …242m峰 11:55 …姥沢の頭 12:30 …根元山(275m) 13:05 …籾山峠 13:25 …245m峰 13:55 …日向山二柱神社 14:25〜15:00 …236m峰 15:20 …唐沢山(261m) 15:40 …東澤寺 16:20
ルート地図 GPSのログを地理院地図に重ねて表示します。

このページをアップしたのは、山行当日から一か月以上も経った四月の頭である。なぜアップがこんなに遅れたかと言うと、とにかく仕事が忙しかった(T_T)。例年この時期は忙しいのに加えて、今年は面倒な業務のお鉢まで回って来て、も〜大変。

しかし、それもようやく一段落したので、薄れた記憶を元に山行記録を書き上げた次第。怪しい記述が多々あるので、同行頂いた代表幹事代行さんの記事もご覧下さい。また、今回の行程の大部分は一昨年の八王子丘陵縦走と同じなので、宜しければそちらも参照して下され。

My Civic を下山予定地の東澤寺に駐車したのち、Mさんご夫妻の車で雷電山の登山口まで送って頂く。出発点は岡の上団地外れの畑地である。この冬、スキーで足を骨折して登山は当分おあずけのMさんと運転の奥さんとはここで別れ、Kさんと二人で歩き始める。

二月末にしては妙に暖かい日で、畑の土は夜来の激しい雨で湿って黒く、春の芽吹きも近い感じ。振り返れば、ぽうっと白い梅の花の向こうに鳴神山脈が見え、稜線には白い雲がかかっているが、その上には期待していなかった青空が広がっていて、明るい気持ちになる。小径を辿って畑を突っ切り、雷電山の尾根に取り付くと、雷電神社の参道入口を示す石柱がある。


雷電山への登り口


桐生市街と鳴神山脈を望む

冬枯れの尾根道を登ると、ほどなく雷電山の頂上に着く。広場の手前に1基、奥の石積みの上に2基の石祠があり、説明板によると岡の上雷電神社というらしい。建御雷神(たけみいかづちのかみ)を祀り、建立はそれぞれ寛政三(1791)年、寛政八(1796)年となっている。曰く、桐生は夏期の雷が多いため雷神の信仰が盛んで、現在でも天神三丁目の荒神山、平井町の物見山、小曾根町の雷電山、広沢の山の三か所、錦町に雷電神社があるとのこと。そう言えば、先日登った菱町の山も雷電山だった。

雷電神社までは参道らしく良く踏まれた道型が通じていたが、ここから先は笹藪が被さる細い踏み跡に変わる。里山にしてはなかなか山らしい雰囲気。山歩きの経験をだいぶ積んで来たKさん、尾根の上なら迷わないから、と先に立ってずんずん進む。左側、木の間越し間近に茶臼山が眺められる。


岡の上雷電神社


笹藪の枝尾根を登る

八王子丘陵の主稜線に登り着き、東西に延びる縦走路の途中に出る。ここには桐生市基準点No.27の標識がある。今日は主稜線を東へずーっと辿って、唐沢山から東澤寺に下山する予定だが、ちょっと逆方向の黒石峠に道草する。Kさんが以前来た時は明るく開けた峠だったそうだが、今は周囲の木が成長して、展望はほとんどない。峠から少し西の道端には「奉納御寳前 寛政四壬子年四月吉日」と刻まれた石灯籠と、「藪塚村上原中 明和九年四月吉日」と刻まれた石祠がある。


黒石峠


黒石峠の石灯籠

黒石峠から引き返して、主稜線を東に向かう。基準点No.27を過ぎて滑り易い急坂を下ると、右に三本松コースを分ける。登り返したピークが姥沢の頭で、木陰に置かれたベンチで一息つく。先は長いので茶臼山往復は割愛し、ここからの渡良瀬川と仙人ヶ岳の展望をカメラに収めて、縦走路を先に進む。小さなアップダウンのある尾根上の道が続く。

縦走路途中で、また道草。古井戸跡の標識から左に入り、八王子山に立ち寄る。前回来た時は藪や倒木が邪魔だったが、訪問者が増えたのか歩き易くなっている。「八王子」石碑は大きくて、何度見ても感心する。その先、道があるかなと思って覗き込むと、下れそうにない急斜面。前回も同じことを考え、同じことをしたことを思い出して苦笑い(^^;)。


姥沢の頭から茶臼山(左)と
渡良瀬川方面の展望


八王子山の石碑

縦走路に戻って、東毛自然の家への道標と庚申塔を過ぎると、石尊宮の道標がある。これに導かれて縦走路から少し南に下ると、3基の石祠が祀られている。石祠の間には誰が置いたのか、粘土で拵えた僧侶と地蔵の小さな像があり、少額ながらお賽銭がお供えされていた。


庚申塔


石尊宮

縦走路を辿ると、根元山の手前で、右側(南側)の樹林を切り開いた展望所があり、オートキャンプ用ベンチが置かれている。どうも有志の方が私的に作った展望所のようだ。今日の天気ではもやっているが、西上州方面の眺めが良い。根元山からは展望はないが、275m峰と書いた手製の道標が待ち受けている。八王子丘陵のファンによる道標がこのあともしばしば現われて、良い目印になる。


私設展望台から榛名山を遠望


根元山の道標

根元山から細く急な尾根を下って、県道によって大きく切り開らかれた籾山峠に降り着く。ここにも手製の詳細な「八王子丘陵概念図」が掲げられ、それによると唐沢山まで1時間半だ。そんなに近かったっけ?大型ダンプの通行が多くて埃っぽい県道を少し南に進んだ小さな窪が、八王子丘陵東部縦走路の入口だ。相変わらず古タイヤ等の廃棄物が散在する荒れた道だが、歩く人は増えたようで、道型はしっかりしている。


県道が越える籾山峠


丘陵西部の登り口

しばらくは左側に大規模な採石場が見えていて、殺風景な山歩きが続く。しかし、245m峰までくれば、どちらをみても樹林に覆われた山と谷で、落ち着いた雰囲気の尾根歩きになる。先はまだ長いし、私は前回登っているので、未踏のKさんには申し訳ないけど天王山は素通りする。


245m標高点


天王山への分岐

左手の谷に少し下ったところには神籠石があるはずだが、こちらも今回は割愛する。その次の二柱神社は前回行っていないので、これは立ち寄ってみる。主稜線から右に分岐して平坦な枝尾根をしばらく辿ると、常緑樹に囲まれた二基の石祠がある。南から参道が登って来ていて、石造りの新しい立派な鳥居が建ち、「日向山二柱神社」と刻んだ額束がかかっている。なかなかの参詣を集めているようだ。

歩き始めが遅かったので、時刻はもう14時半。お腹が減るはずだ。ここでパンの昼食とする。Kさんが用意してくれた魔法瓶のお湯で作ったスープが美味しい。


日向山二柱神社


東へ稜線を辿る

主稜線に戻って、さらに東へ縦走する。菅塩峠は深い切り通しが南北に通り、かつては往来が繁くあったのだろうか。峠の先も冬枯れの静かな稜線歩きが続く。手製の道標のある236m峰は、地形図上では標高点だけが記載され、山名はないようだ。


菅塩峠


236m標高点

この辺りから、「唐沢山三角点へ」という手製の道標をたくさん見かける。「角」の字が「肉」に似た字形で「角」のように書かれているのだが、何故だろう?

唐沢山への登りの尾根も、前回は笹藪が深かったが、歩く人が増えたのか道型がはっきりしている。唐沢山は一等三角点の山で、木立の中に立派な三角点の柱石が設置されている。その柱石に刻まれた文字を見て、件の道標の字形の訳を理解(^^;)。

頂上は樹林に囲まれて、一等三角点に相応しい展望はないが、小広くて休憩には良い。頂上の一角には1基の石祠があるが、年代不明。頂上から尾根を南東に少し下ると平らで小さな岩場があり、その下に「とりでん様」の石祠が祀られている。ここも前回は見逃していたスポットだ。石祠の側面には「明治四十一年三月」の文字が見えるから、比較的新しい。


唐沢山の一等三角点標石


とりでん様の石祠

東澤寺への下山道は唐沢山頂上ととりでん様の間から分岐し、入口がちょっと判りにくい。笹藪に囲まれた結構急な尾根をひとしきり下ると、稲荷神社に着く。立ち並ぶ鳥居は鮮やかな赤に塗り立てで、ペンキの匂いが漂う。鳥居の前に鎮座する狛狐の台座には、「納主 伊勢崎 圖子田榮四郎 昭和十七年二月初午」と刻まれている。図子田(ずした)という姓は珍しく感じるが、この辺りには多い姓のようだ。また、初午(はつうま)というのは、調べてみると稲荷神社の縁日らしい。

お稲荷さんからさらに急な斜面をジグザグ道で下ると、東澤寺の墓地の裏手に着く。降りた所の鳥居から左へ山裾を回ると、小径の脇に観音や地蔵など多数の石像が立ち並ぶ。昔の墓地にあったものを、ここに集めたらしい。


稲荷神社


東澤寺墓地の横に降り着く

これにて、長丁場の八王子丘陵縦走も終了。Kさんも長い距離を歩いて満足そう。東澤寺の前の駐車場に置いた My Civic に乗って帰宅した。