御嶽山(宮本町)〜吾妻山
山岳信仰を巡る山歩きに近頃すっかりはまった「やまの町桐生」関係者で、桐生市街にほど近い里山の石仏を探訪して来ました。
出発点の吾妻公園に集合したのは、桐生みどりご夫妻、代表幹事代行さんと私の4名。車を公園の駐車場に置いて、最初に御嶽神社に向かう。吾妻公園にはもう何十回と来ているのに、そのすぐ隣りにある御嶽神社にお参りするのは、私は今回が初めてである。
光明寺の墓地を左手に見て参道の階段を登っていくと、途中に千手観音がある。今日のコースを企画した代表幹事代行さんは、今日見る予定の石仏の資料(桐生タイムスに連載された「桐生の石仏」のコピー)を持参していて、それを見させて頂くと、千手観音の持ち物の中には髑髏があるそうな。ええっ、が!と思ってもう一度良く見ると、確かに右手に髑髏の刺さった棒(髑髏杖)を持っている。
その上には矜迦羅童子・制吒迦童子を従え、真っ赤に彩色された火炎光背を持つ不動明王や、新しく立派な霊神碑がある。石段を登り切って鳥居を潜ると、落ち葉がふかふかに積もるこぢんまりとした境内があり、管理人のおじいさんが落ち葉を搔き集めて熾す焚き火の煙が立ち込めている。社殿の軒先には、籠を紙垂(しで)で覆った酒林(さかばやし)のようなものが下がっていた。これも初めて見るものだ。
境内の山側の急な斜面には、三十六童子の文字塔(数えてないが多分全部ある)や不動明王、御嶽三座神、霊神碑など、夥しい数の石碑・石像があり、御嶽講の往時の隆盛を偲ばせる。
斜面の上の方にも点々と宗教モニュメントがある。特に道はないので、落ち葉を踏んで登ってみる。愛染明王は台座が球形なのが面白い。基部には「紺屋職人中」と刻まれていて、織都桐生らしく染物職人の信仰を集めていたようだ。
さらに上の斜面には「大江大権現」や「三笠山 御嶽山 八戒山」と刻まれた石碑、普寛行者の石像が点在する。普寛行者は武州大滝村に生まれ、木曽御嶽山の王滝口を開いた実在の人物だが、この行者像の表情も写実的でリアルだ。
見上げる御嶽山は急峻な岩場となっていて、岩の窪みにも石像がある。桐生みどりご夫妻は例によって岩場を直登して石像に到達。代行さんと私は岩場を迂回して近づく。火炎に赤い彩色が残る不動明王だ。岩場には他に「大聖歓喜天」という文字塔もある。
桐生市街の展望を背負って、赤松の生えた岩場をさらに攀じ登る。頂上直下にも「御嶽座王大権現」の石碑がある。踏み跡が現れ、少し辿ると御嶽山の頂上に着いた。2基の石祠があり、それぞれ「白山妙理大権現 千手観世音 土地護伽藍神」と「桐心霊神」が祀られている。頂上は松林に囲まれているが、木立を透かして吾妻山が意外と高く聳えている。なお、この山を御嶽山と呼ぶのは通称で、元来は観音山と呼ばれていたそうだ(hisiyama さんから教示頂いた情報。光明寺では、観音様が降臨された山とされているとのこと)。
吾妻山に向かう稜線にははっきりとした踏み跡があり、これを辿ると吾妻公園から吾妻山に登るお馴染みの遊歩道の途中に飛び出た。こちらから御嶽山に向かえば踏み跡が利用できるが、入口には何の目印もなく、判り難い。
吾妻山への登山道は、いつも大勢の人が行き交って賑やかだ。もしかして、市街の商店街より人が多かったりするかも(市街の寂れ方がそれだけ深刻ということだが…)。急坂にちょっと汗をかいて、トンビ岩(これも今の名称で、昔は天狗岩)に着く。今日はすっかり晴れ渡って、12月とは思えないほど暖かい。トンビ岩から見おろす桐生の町並みも霞んでいるが、御嶽山の尖った山容が良く眺められる。
もう一登りで吾妻山の頂上に着く。頂上にも大きな石祠があり、登って来る人の中には手を合わせる方もいらっしゃる。
頂上のベンチに腰掛けて大休憩。美味しい干し柿など、いろいろ頂き物を食べる。しかし、まだ昼食には早いので、そろそろ次の目的地の御嶽山白龍神社に向かって腰を上げますか。吾妻山から南西の青葉台に続く稜線を辿る。この道も初めて歩くので、楽しみだ。
明るい雑木林の稜線を進むと、杉林の中の急な下りとなる。ひとしきり下ると再び緩い稜線となり、展望の良いピークに着くので、ここでランチタイムとする。眼下には市街地の中に丸山がぽっこりと浮かび、その向こうには渡良瀬川が銀色の帯となってうねり、八王子丘陵が長々と横たわっている。
のんびり休憩したのち、さらに稜線を辿る。葉が落ちた雑木林の中の道は明るく快適だ。「みたけ神社、丸山下駅、桐生駅」というプレートのある分岐に着き、ここで青葉台への道と分かれて、左に折れる。分岐点には2基の石祠があり、1基の屋根は修復されてコンクリ製だが、どちらも年代は古いらしい。
御嶽神社への道も雑木林の明るい尾根の上で、気持ち良く歩ける。この辺りの尾根と谷はゆったりと広く、桐生市街のすぐ近くとは思えないような奥山の雰囲気がある。振り返ると木立の間に吾妻山がツンと聳えている。
尾根を離れて右の万ヶ入の谷に緩く下ると、開けた小平地がある。建物の基礎だけが残り、事務机等が放置されているのを見ると、昔は事務所の類いがあったのかも知れない。周辺にはコンクリ舗装の道型もある。何やら怪しい空間だ。
小平地の一角に大岩があり、その上にお目当ての石像があった。青銅色に苔むした石碑が隠す様に取り囲んでいるので、他の場所にあったものをここに集めたものらしい。それにしても変な置き方だ。石像の光背に刻まれた文字は「御月待供養塔」と読める。穏やかな表情で、素朴な感じのいい石像だ。
緩い谷間を下ると、道端に猪のぬた場がある。猪に擦られたのか、金精様の像のように磨かれた木の切り株があり、珍しい。メンバー一同、しげしげと観察。
古いコンクリ舗装の道を下ると、谷間に荒廃した感じの神社が出現した。正面に回ると、朽ち果てて柱だけになった鳥居と狛犬、それに巨大な天狗像がある。脇に奉加帳が掲示され、寄付者8名の氏名と平成6年度までの総工費が1850万円であることが記されている。してみると最近建てられて、その後に寂れてしまった宗教施設のようだ。
境内にはひと気はなく、朱塗りの鉄骨の上に建てられた小屋や閉じられた社務所?、白亜の観音様、木造の社殿、一番奥には沢の水を樋に引いて落とす水垢離場がある。その脇の御嶽三座神の石碑は古びて由緒ありそうだが、他は新しくて怪しい。極め付けは凄く禍々しい面相のお稲荷さん。この神社は、桐生でNo.1の怪しいスポットじゃなかろうか(^^;)
白龍神社から下ると直ぐに堤町の住宅地に出て、あとは吾妻公園までぷらぷら歩いて戻る。途中、二十六夜塔などの古い物や閑静な住宅街(大富豪N氏の豪邸もあり、あまりの豪壮さにビックリ)を見学する。この辺りの町中は初めて歩くので、他所を旅行している気分が味わえて、なかなか良い。水道山の坂を経由して雷電山(水道山)の忠霊塔に立ち寄り、吾妻公園の哲学の小径を下って車に戻った。
参考URL:桐生山野研究会「青葉台から万ヶ入を歩く」。