野山稲荷〜釈迦弥観音
桐生山野研究会のhisiyamaさんに案内頂いて、ハイトスさん、桐生みどりさんご夫妻と一緒に、川内の野山稲荷とその奥の院にあたるという釈迦弥(しゃがみ)観音を訪ねて歩いて来ました。野山稲荷と釈迦弥観音については、やまの町桐生に2006年7月にアップされた「野山稲荷」の記事も参照下さい。
川内公民館の駐車場に集合したのち、一台の車を下山予定地の名久木に置き、もう一台の車で登山口の釈迦堂(しゃかんど)に移動して、車道終点に車を停めて出発する。未舗装道に入ってすぐのY字路を左に進むと広場があり、右寄りの杉林の中に踏み跡が続いている。これが地形図の小倉川沿いの破線路で、昔、整備されたハイキングコースだそうだ。道の泥濘具合を見ると、今は歩く人は少ない様子。
薄暗い杉林の中を進むと、左手の尾根に長い階段が現われる。約130段の階段を息を切らせて登ると、尾根の上に野山稲荷の朱が鮮やかな鳥居と小さな社殿がある。社殿の中には陶器製の稲荷きつね像がぎっしりと並べられ、中には古そうな土製の像もあって、昔から多くの信仰を集めていたようだ。
階段を降り、杉林の中の道に戻る。開けた平地(畑の跡?)を過ぎ、墓地を右に見て荒れた林道に入る。途中で村松峠への道を右に分け、小倉川に沿って長い林道を辿って行く。ちょっと高原的な開けた場所に出て一休み。自然観察の森へ続く稜線が近い。
ここから僅かで林道は終点となるが、さらに右手の植林の中の林道跡を辿る。だんだん怪しい道となって参りました。谷に出て見上げると、すぐ先に背丈のある杉が七本固まって生えている。hisiyamaさん曰く、釈迦弥観音はあの七本杉の根元にあるとのこと。
イバラの刺に気をつけて短い藪を抜けると、数個の巨石が積み重なった釈迦弥観音に着いた。観音像のような物があると勝手に想像していたので、意外。岩の根元にきつね像が置かれているので、宗教的なモニュメントであることには違いない。さて、この観音様には何をお願いしようかな?
釈迦弥観音から少し登ると杉林の中に踏み跡があり、斜め右に上がって吾妻山〜鳴神山縦走路の上の「鳳仙寺沢の頭」の道標のある地点に登り着いた。ここから村松峠を経由して小倉川に下れば出発地点に戻れるが、それでは歩き足りないでしょう(hisiyamaさん談)ということで、萱野峠越えの旧道を名久木に下ることにする。
縦走路を北に進み、桐生倶楽部歩く会の「柳原・小倉尾根へ」という道標で西に折れて、自然観察の森への関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)に入る。
以前、夏にここを歩いたときは草藪が繁茂して閉口したが、この時期になるとすっかり枯れ、苅り払いもされていてさっぱり快適なハイキングコースになっている。陽当たりの良い道端の枯れ草の上に腰を下ろして、四方山話をしながら、のんびり昼食とする。
昼食で休憩した地点のすぐ先で、稜線から北側の谷に降りる。入口にテープはあるが、道はない。藪は薄いので適当に下るべし。薄暗い杉林の谷を下ると、やがて水流と微かな踏み跡が現われる。土管製の吸い殻入れがあるのは、かつてハイキングコースとして整備された名残だそうな。途中、左手の斜面の上に小さな社があり、簡素な石段を登って参拝する。周囲に落ちていた木札は、掠れながらも湯殿山大権現と読めた。
右に地蔵を見て、畑跡?の草地を通り抜けると柳原の車道に出た。ここには「右桐生」と刻まれた石の道標があり、下って来た道が桐生と柳原を結ぶかつての峠道であったことを示している。
車道に出てすぐ右手には、玄武岩の巨石と陽当たりの良い斜面に建つ民家がある。桐生市街からすぐの場所なのに、こんな長閑な山村風景があるのに感動。車道を下り、車を置いた名久木の大日堂橋のたもとに着いた。ここにも古い石の道標がある。
登山口に置いた車を回収したのち、hisiyamaさんに近くにある「カンカン石」に案内して頂く。台座に据え付けられた石の種類は定かでないが、中が空洞になっているそうで、木の棒で叩くと確かに金属的ないい音がする。
これで川内の里山の史跡巡りを終え、川内公民館で散会となった。hisiyamaさんにはいろいろ興味深いスポットを案内頂いてお礼申し上げます。