ゴシュウ山

天気:
メンバー:T
行程:下高原登山口 10:40 …鹿岳分岐 11:00 …木々岩峠 11:30 …切り通し 11:45 …ゴシュウ山(950m) 12:20〜13:05 …鞍部 13:50 …車道に出る 14:10 …下高原登山口 14:30
ルート地図 GPSのログを地理院地図に重ねて表示します。

この秋、鹿岳トヤ山に続けて登った。そうなると、次は鹿岳とトヤ山を結ぶ稜線上にあるゴシュウ山(別名、仏岩山)が気にかかる。山と高原地図では赤線が引かれていない空白地帯だが、つれづれさんの2005年4月の記録(木々岩峠〜ゴシュウ山〜トヤ山)があり、その後、新ハイキング2006年12月号にも詳しく紹介されている。これらの記録によると頂上には石仏と石祠があり、山麓の信仰の山になっているようだ。木々岩峠という変わった地名にも惹かれるし、登路の途中には一本岩という奇岩もあるとのこと。トヤ山は既に登っているので、下高原から木々岩峠を経由してゴシュウ山に向かい、トヤ山の間の鞍部から下高原に下る周回ルートを考えて、歩いて来ました。

桐生を車で発ち、下仁田の市街を抜け(長らく改修中だった牧口橋が開通していた)、南牧川の支流を下高原に向かう。鹿岳登山口の路側の2、3台分の駐車スペースは埋まっていた。今日も鹿岳に登る人は多いようだ。

さらに上流に進んで下高原の集落を過ぎ、上高原への道を左に分けて川沿いに進むと、右手に分岐するコンクリート舗装の林道の入口に「木々岩峠・鹿岳登山口」という道標があった。向かいに木材置き場の空き地があり、今日は使われていなさそうなので、ここに車を置く。空き地の地面はうっすらと雪に覆われていた。

最初は簡易舗装された急な林道を登る。頭上に鹿岳付近の岩峰を仰ぎながら、杉林の中を歩く。簡易舗装が尽きると少し荒れた古い林道となり、小さな尾根を乗り越す。一か所、林道の分岐があるが、左へ。すぐに鹿岳の分岐に着く。鹿岳への道は林の中にか細く続いていた。ここには道標があるが、根元から折れて倒れていた。


木々岩峠・鹿岳登山口


木々岩峠・鹿岳分岐
道標は根元から折れて倒れていた

木の間越しに谷を隔てて見える鋭い岩峰が一本岩のようだ。谷に向かって、山腹をトラバースする。方向を変えて見ても、一本岩は鋭く聳えている。谷に降りて杉林に入ると道が分かりにくくなるが、プレートやテープがあるので、これらを頼りに登る。やがて山腹を巻くように雑木林と杉林の境界を進む。落葉が積もって、道型が不明瞭な箇所がある。


一本岩


木々岩峠への登り

道が小さな尾根を乗り越す箇所で、左にある小さなピークに登ってみると、頂上から行く手にゴシュウ山とトヤ山が良く見えた。振り返ると、鹿岳の岩峰が大きい。

ここから道は少し下って稜線に出るが、どこが木々岩峠かは判然としない。たくさんあったテープ類も稜線上では少なくなって、灌木の小枝も少し煩く、道も踏み跡のようになる。稜線上の最低鞍部には「←下仁田」と書かれた標識があった。とすると、このあたりが木々岩峠なのだろうか。それにしては、峠らしいものは何もない。「←仏岩山方面」と書かれたプレートに導かれて、さらに稜線を辿る。


行く手にゴシュウ山を望む


木々岩峠付近の稜線
後方はトヤ山

雑木林に覆われたアップダウンの多い稜線を進むと、林道によってすっぱりと断ち切られた、かなり高い切り通しに行き当たる。左に降り、イバラの藪を搔き分けて、雪が少し残る林道に降り立った。平成14年に開通という標識があったが、林道の先は現在も延伸工事中のようだ。

対面も高い法面が続いているので、取り付ける場所を探して右へ林道を辿る。乗用車が1台あり、猟銃を持ったハンターが一人戻って来た所だった。何を撃っているのか尋ねると、シカを撃っているとのことだった。この日、山中で会ったのは結局この人だけだった。

見上げると、林道の上にゴシュウ山が鋭く聳えている。ここまで車で来れば楽勝で登れそうな近さなので、人知れぬ秘境の山を期待していた私としては、ちょっとテンションが下がる(^^;)。法面が切れた所から緩い斜面を登ると、楽に稜線に戻ることができた。


尾根は切り通しで切れている


切り通しから見上げるゴシュウ山

しかし、ここからのゴシュウ山もそう甘くはなかった。尾根を登ると非常に急峻な斜面になり、油断すると転げ落ちそうだ。立ち木も疎らで摑む物がなく、四つん這いでなんとか上がりきる。境界標柱のある肩に登りついてようやく一息。しかし、その先の頂上直下も露岩のある痩せた尾根で、息を切らせて強引に登り、頂上にたどり着いた。


急斜面を這い上がる


見事に剝けた木の皮の模様

頂上には石祠と石仏があり、周囲の木が刈り払われていて、東から北にかけての眺めが良い。石祠の前にはつれづれさん一行が残した山名標が置かれていた。前述の新ハイの紀行文には、この山名標について次のような記述がある。

登山者には縁のない藪山と思っていたが、表面に「仏岩山・MHC」、裏面に「YAMAGAITIVAN」と彫りつけた山名板が立ち木に付けられている。前号に紹介した千ヶ平と同じく、こんな見知らぬ藪山に興味をもつ同好の士がいたのである。

立ち木に針金でくくり付けていたものが、切れて落ちたらしい。それから、どうでもいい疑問だが、なんでVと思っていて、実物の裏面を見ると、ちゃんとBと綴られていた。これで疑問解消(^^)。缶ビールを飲み、MSRのストーブで鍋焼きうどんを作って食べる。


ゴシュウ山頂上の石祠


ゴシュウ山頂上の石仏
後方は物語山

食事ののち、ゆっくりと展望を楽しむ。南東には鹿岳がゴツゴツとした岩峰を並べていて、その左には関東平野が明るく広がっている。妙義山方面も、上空は黒い雲が流れているが、稜線は陽が当たって明るく輝いている。拳を握ったような物語山の山容も目立つ存在だ。遠くには物見山、荒船山が見えた。


ゴシュウ山より荒船山


ゴシュウ山より妙義山

登りが急だったので、頂上からの下りも大丈夫か気になるところだ。最初ははっきりとした踏み跡があり、いくつかのピークを越えて行く。逆光の中にトヤ山に続く稜線が見えるが、なかなか遠い。今日はそこまで行く予定ではないので、気は楽だが。

岩場を右に巻くと、ちょっとした岩尾根の下りになるが問題はない。その先は藪っぽい雑木林の稜線を辿る。「四六八」と刻まれた境界標識のある地点で主稜線がどれかわからなくなり、GPSで確認しようと思ったら電池が切れていた。地図と磁石でルートを探して下ると、間違って主稜線の一つ南の尾根を下ったようだが、杉林を抜けて、無事、トヤ山との最低鞍部に到達した。


岩尾根を下る


トヤ山へ続く稜線

最低鞍部は明るい雑木林の平地で、北側は急峻な斜面になっているが、南側は緩やかな谷だ。地図で見る限りは、この谷は下まで緩いので降りれそうという目論み。「四七六」という境界標識から南に下ると、すぐに踏み跡が現われる。林業の仕事道があるようだ。杉林の中には炭焼き釜の立派な石組みが残っていた。

途中に地図からは予測できなかった5mくらいの滝があるが、巻き道があり難なく下れる。高崎営林署の看板を過ぎると杉林が切れて、目の前に鹿岳の岩峰が現れた。この眺めは期待していなかったので、なかなか感動。やがて、工事中の林道(ゴシュウ山の切り通しに繫がっているらしい)に出て、すぐ左に行くと、下高原最奥の民家がある。たくさんの無線アンテナが立っているところを見ると、その関係の趣味の方がお住まい?ここから見る鹿岳は遮る物がなく、一ノ岳、二ノ岳の岩峰を振り立てた姿が素晴らしい。


鞍部から南に下る


下高原最奥の民家より鹿岳

民間の前の車道を鹿岳を眺めながら下る。開けているのはかつて開墾された土地で、今は放置されているようだ。途中で「羊太夫の墓」という案内板を見る。上野國多胡郡の司で、今から約1300年前に都の征討軍の追撃を受けてここで敗死したと伝えられているらしい。もしかして有名な人なのかな。

林道を下り、車に戻る。空き地の雪はすっかり融けてなくなっていた。帰りは例によって、かぶら健康センターかのさとに立ち寄り、お風呂で温まって帰桐した。